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吉之助のお気に入りアーティスト(五十音順)

*本稿では音楽を中心とした吉之助のお気に入りアーティストを取り上げています。歌舞伎役者は取り上げておりません。


マリア・カラス(1923〜1977)

マリア・カラスは言うまでもなく・20世紀後半最高のオペラ歌手のひとり。演出家フランコ・ゼッフィレッリは「オペラの歴史はふたつの時代に分けられる、カラス以前とカラス以後に。」とまで言いました。残念ながら全盛期のカラス はまとまって見られる映像は実に少ないのですが、その遺された映像だけでもカラスの凄さは歴然としています。そこで見られるカラスの集中力と演技力には感嘆させられます。 まずパリのコンサートの「トロヴァトーレ」のレオノーレのアリアは牢獄に閉じ込められた恋人マンリーコのことを思って懊悩する心情を描いたもの。こうした引き裂かれた心情を歌う時のカラスの声の生々しさは、声の綺麗・汚いを通り越して・聴き手の耳にビンビン突き刺さります。 ハンブルクでの「カルメン」の「ハバネラ」も素晴らしい。カラスはカルメンを実演で演じていませんが、カラスにとってカルメンは心情的にぴったりのキャラクターだと思います。これについては別稿「音楽ノート・カルメン」をご参照ください。カラスの数少ないオペラの舞台映像「トスカ」第2幕はオペラでのカラスの演技を知る上で非常に重要なものです。これも素晴らしい演技のティト・ゴッビのスカルピアと繰り広げるドラマは 実にリアルそのもので・ほとんどオペラであることを忘れさせるほどです。むしろ音楽付きであるがゆえに・素の芝居以上に刺激的・かつドラマティックなものになっています。音楽表現における写実(リアル)の表現とは何かということをこの映像ほど教えてくれるものはありません。吉之助にとってまさにカラスは最高の「女優」なのです。


ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)

吉之助にとってヘルベルト・フォン・カラヤンは20世紀後半最高の指揮者です。カラヤンの映像は数多く残されて いて・ひとつとして見る価値のないものはありません。下記に紹介したドキュメンタリー「カラヤン・イン・ザルツブルク」(1987年映像)での「トリスタン・愛の死」は 全曲収録ではないですがジェシー・ノーマンの素晴らしい歌唱とともに・もう奇跡としか言いようがない演奏。透明で・繊細かつ官能的なワーグナーはまるでリートのような室内楽的感覚があ り、通常のオペラの舞台では決して聴けない小宇宙がここにあります。カラヤンのベスト演奏を10挙げるなら、吉之助はそのひとつに・この87年ザルツブルクのこのライヴ録音を挙げたいと思います。(注:独グラモフォンからライヴCDが出ています。)下記に紹介したふたつのコンサート・ライヴは晩年のカラヤンとベルリン・フィルの到達した芸境の高さを実感させるものです。R.シュトラウスに関してはカラヤンを凌ぐ指揮者は未だ現れていないと思いますねえ。


シルビー・ギエム(1965〜  )

ギエムはいわずと知れた現代バレエ界の大スター。ギエムの当り役は数多いですが、ギエムのドキュメンタリーに「イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェィテッド」のリハーサルを舞台袖から撮った興味深い映像があります。この作品は鬼才ウイリアム・フォーサイスの振付で、決して親しやすいとは言えない現代バレエ作品のなかで数少ない吉之助のお気に入りです。トム・ウィムレスの音楽は無機的な金属音の連続で・殺伐とした荒涼たる心象風景を思わせます。ところが音楽に合わせてダンサーが踊ると、これが律動する肉体と意志の自由さを主張しているように聞えてくるのですから舞踊というのは不思議なものです。


フリッツ・クライスラー(1875〜1962)

クライスラーは20世紀前半の重要なヴァイオリニストのひとりですが、クライスラーのもうひとつの業績は素敵な小品(編曲を含む)を多数作曲したことです。クライスラーのおかげでヴァイオリンのレパートリーはどれだけ豊かになったか計り知れません。クライスラーの「美しきロスマリン」にしても「ウィーン奇想曲」にしても・旋律は親しみやすいですし・技巧的には別に難曲ということはない のですが、実は巧く弾きこなすのはなかなか難しいのです。情感込めて弾こうとすると意外に甘ったるく粘る・サラリと弾こうと思うと何だか物足りない・そこの兼ね合いがとても難しいのです。いろんなヴァイオリニストがクライスラーの小品を取り上げていますが、結局吉之助が行き着くところは録音状態が貧弱なクライスラーの自作自演ということになってしまいます。( クライスラー以外で巧いのはパールマンですかねえ。)クライスラーについては普段姿の映像が残っていますが・不思議なことに演奏場面の映像が残されていないようです。ポルタメントを多用するスタイルは時代を感じさせるところかも知れません 。若い音楽学生にクライスラーの録音を聴かせると笑い出すのが多いそうですが、大事なのは微妙に速くなったり・遅くなったりして・テンポが実によく揺れることです。この点が実に浪漫的な特徴と言うべきで、これがこれら世話物的小品の味わいの深さにつながっています。「揺れ」の感覚は十九世紀後半の芸術の重要な感覚です。これは歌舞伎で言えば黙阿弥の世話物の感覚に通じるものだということを申し上げておきます。


フリードリッヒ・グルダ(1930〜2000)

グルダは20世紀後半の優れたピアニストであり、ベートーヴェンなどドイツ古典派を得意としましたが、60年頃からジャズ演奏に傾倒し・クラシック音楽 から即興性を加えた新しい音楽の在り方を模索し始め、ちょっと毛色の変わった演奏家になってしまいました。グルダがアルバート・ゴロヴィンという変名で弾き語りで録音した「ブルー・ドナウ」とか「我がウィーン再訪」(70年頃の録音)などがありますが、これが実に勝手気ままに音楽やりたい放題でありながら・グルダの故郷ウィーンへの愛をひしひしと感じる素敵な演奏で、これは吉之助のとても好きなアルバムです。晩年の東京での演奏会はマイクを持って・観客とトークしながら演奏するようなスタイルでした。もっとも演奏の方は多少雑な感じがなくもありませんでしたが、それ以上に音楽を聴くのが愉しいと思わせる演奏会でした。 どこまでもライヴ性を大事にする演奏家であったのです。


ワレリー・ゲルギエフ

ゲルギエフは北オセチア出身の指揮者で、バレンボイムと同じく政治的な発言が多い指揮者です。この地域は政治的な混乱に見舞われている地域なので・ゲルギエフも必然的にそのような問題に関心を向けずにはいられないようです。この点については別稿「音楽ノート:ショスタコービッチ・レニングラード交響曲」を参照ください。時代と無縁な形では芸術もあり得ないという問題意識を痛感させてくれることではバレンボイムとゲルギエフはまさしくこの時代の芸術家だと言えます。下記に紹介する「トーランドット」の映像はイタリアの作曲家ベリオによる最終場面の補綴完成版(通常はアルファーノ版)による上演が話題になったものですが、それだけでなくテンポに微妙な伸縮を加えて・とてもダイナミックで問題提起の多い演奏であったと思います。もうひとつの「オネーギン」にはゲルギエフのチャイコフスキーに対する共感がひしひしと感じら れます。ナイーヴで傷付き易い若者たちの心情がこれほど暖かく描かれたことがあったかなあと思うような演奏です。演出も素晴らしい。


デートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925〜   )

フィッシャー=ディースカウは20世紀の歌曲(リート)史上最も重要な歌手です。それは単に歌唱や解釈が素晴らしいとかいう以上のもので、音楽と言葉というものの関連をフィッシャー=ディースカウほど突き詰めて提示した歌手はいません。フィッシャー=ディースカウは歌唱というものの在り方を根本的に変えてしまったとさえ言えます。シューベルトもさることながら、ヴォルフ・レーヴェ・マーラーなどの歌曲はフィッシャー=ディースカウを抜きにして吉之助は論じることができません。70年前半までフィッシャー=ディースカウは名伴奏ピアニスト・ジェラルド・ムーアとの共演が多かったのですが、ムーアの 引退後・意識的にリヒテル・ポリー二・バレンボイム・ブレンデルなど名ピアニストと次々と共演して・伴奏者との芸のぶつかり合いのなかでさらに表現の限界を追及していきます。 下記に紹介した「水車小屋の娘」のパリでのリサイタル映像(1992年)の冒頭「さすらい」 で伴奏のエッシェンバッハの取るテンポは・ムーアとの有名な録音(1972年)と比べるとテンポがかなり速い感じで、その分フィッシャー=ディースカウはフォルムを引き締める方向へ行っているように思われます。一方、 ドキュメンタリー「秋の旅」などでのリヒテルとの共演ではこのピアニストの作り出す骨格の太い・古典的なフォルムのなかで・逆にリラックスして 自らの表現を自由に泳がせている風がうかがわれます。共演者による解釈の変化を誰よりもフィッシャー=ディースカウ自身が愉しんでいると感じます。


アルトゥーロ・トスカニーニ(1967〜1957)

トスカニーニは20世紀前半の最高の指揮者であり、吉之助にとって非常に大事な存在です。そのフォルムを厳格に守る演奏スタイルは・カラヤンなど後進の指揮者に強い影響を与えました。トスカニーニにはNBC交響楽団を指揮した比較的良質のライヴ映像が揃っており・どれもが貴重なものです。特に「アイーダ」演奏会映像は吉之助には拝ませていただくだけで有難いという宝物です。作家アルベルト・モラヴィアは「ヴェルディとは今や廃屋と化して労働者や職人たちが住んでいる旧邸宅である。言い換えれば、それは反宗教改革の後にイタリアの支配階級によって見捨てられ裏切られ、庶民によって保たれながらも民間伝承(フォークロア)に過ぎないものとなっていた我らのルネッサンスのヒューマニズム的概念である。要するにヴェルディは、庶民的・農民的な ・したがって「卑俗」な、我々の民俗的(フォークロア的)なシェークスピアである」と書きました。このことはヴェルディとこの時代のオペラ形式と、安土桃山時代を経て江戸時代に生まれた浄瑠璃歌舞伎との類似性を 暗示するものとして・心に留めておいてください。このことをトスカニーニのヴェルディ演奏ほど明らかにするものはありません。それはまさに民族の血としか言いようのないものです。直線的で・力強く、ちょうど円空の一刀彫りの仏像に感じるのと同じ・粗野 な活力があり・聴く者に直接的に迫ってくる生々しさがあるのです。


ジョルジュ・ドン(1946〜1992)

ドンは1970〜80年代の重要なバレエ・ダンサーのひとりです。当り役は数知れずですが、最も有名なのはやはりモーリス・ベジャール振付の「ボレロ」でしょう。 それにしてもベジャールの振リ付けは肉体表現のエッセンスを直裁的に見せつけるようで・実にインパクトの強いものです。それはラヴェルの音楽の持つエロティックな要素とも結びついています。ベジャールはドンの「ボレロ」について魔人がその魔力で周囲の人々をひれ伏されるような力を感じさせると言うようなことを書いていますが、まさにそれは「過程(プロセス)」のドラマなのです。ところでベジャールはこの「ボレロ」の振付を現在は東京バレエ団の上演においてのみ許可し・他では一切上演できないことになっています。西洋では振付というものはどんな名振付でもいつかは塗り替えられて・消え去っていくのが普通のことです。振付というのは・いわば「型」なのですが、 能・歌舞伎を通じて「型」の心を知っている日本人なら自分の「ボレロ」を確かな形で受け継いでくれる・とベジャールは考えたのだろうと思います。


ルドルフ・ヌレエフ(1938〜1993)

ヌレエフはロシア(旧ソ連)出身のバレエ・ダンサーですが、冷戦時の1963年に亡命し・英国ロイヤル・バレエ団のゲストとしてマーゴット・フォンテーンとペアを組んで数々の伝説の舞台を作りました。 遺されたフォンテーンとの伝説の映像はどれも「古典的(クラシック)」というのはこういうものかと感じ入ってしまう見事なものです。しっかりと地面に足が付いて・揺るぎがない安定感のある動き、自由に振舞って・身体を極限まで使っているようでいて・結果的に それはすべてしっかりと枠のなかに納まっていて・決して枠を逸脱することのない無駄のない動きです。で本「歌舞伎素人講釈」は歌舞伎のサイトですから・歌舞伎に関連つけますが、折口信夫が六代目菊五郎の踊りについて「舞台の鼻まで踊りこんで来て・かつきりと踏み残すといった鮮やかな彼の芸格は彼の芸が持つ科学性と言つてもちつともをかしくない」と書いているのとまったく同じものがここにあります。古典的であるということはどこか科学的なきっかりした印象になるということです。このことがヌレエフ/フォンテーンの踊りを見ていると理解できると思います。つまりヌレエフの踊りから六代目菊五郎の踊りもイメージできると言うわけです。


ダニエル・バレンボイム

バレンボイムは現代の最も優れた指揮者であり・ピアノストですが、それ以上に音楽を武器にして戦う思想家でもあります。ユダヤ系であるバレンボイムとパレスチナ出身の哲学者エドワード・サイードとの対話は実に示唆あるものです。その本「音楽と社会」(バレンボイム/サイード 音楽と社会) は関心ある方は是非お読みいただきたいものです。サイードとの協力で実現したウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団の試みも実に見上げたものだと思います。昨年(2008)8月のロンドン・プロムス公演では演奏後のバレンボイムが 観客に向かって「中東で正義が実現されることが、みなさんは今の演奏を聴いてよく分かったでしょ」とスピーチして観客の大喝采を受けていました。バレンボイムの演奏はどれも鋭い問題意識が感じられるものです。もちろんオペラの場合は演出家の意図も絡みますが、下記に紹介したバイロイト音楽祭での「トリスタン」(ジャン・ピエール・ポネル演出)は「トリスタン」演出史でも特筆すべきもの。ベルリン・フェスト・ターゲでの「マノン」(ヴィンセント・パターソン演出)も興味深いものです。


レナード・バーンスタイン(1918〜1990)

バーンタインは20世紀後半の名指揮者であり・作曲家でもありますが、一般にはミュージカル「ウエストサイド物語」の作曲者として知られています。それまでのミュージカルは寸劇の間に歌をはさむ形式の音楽劇(まあ歌芝居ということです)であった のですが、「ウエストサイド物語」はミュージカルを音楽とドラマが一体感をなす形式に作り変えました。いわば英語のポピュラー・ミュージックを借りたオペラというのが「ウエストサイド物語」の隠れた意図なのです。しかし、実際にオペラとして上演 しようとすれば歌手のダンスの素養・演技の素養がどうしてもネックになってしまいます。 それが「ウェストサイド物語」がオペラ劇場に掛けるための大きな障害でした。バーンスタイン自身は自分はクラシック音楽の作曲家と自負していたので、「ウェストサイド物語の作曲者」と紹介の冒頭でいつも言われることを非常に気に病んでいたようです。バーンスタインが「ウェストサイド物語」を自身で指揮することを ほとんどせず(シンフォニック・ダンスという編曲版での指揮はしましたが)・この作品と長きに渡って距離を置いていたのはそこに原因があったようです。しかし、晩年に至って・84年に ホセ・カレラスとキリ・テ・カナワというふたりの名歌手を主役にして・ついに本曲を録音したのは、「ウェストサイド物語」をクラシック音楽にしたい・というバーンスタインの強い願望があったと思います。 下記に紹介したのはその時の映像です。


ウラディミール・ホロヴィッツ(1904〜1989)

ホロヴィッツは20世紀を代表するピアニストのひとりであり、吉之助のお気に入りです。ホロヴィッツは「The Last Romantic」とよく言われます。超絶技巧を誇示するスタイルとか・アクセントやリズムに昔風の表現の誇張が見られるので・そう言われるのでしょうが、ホロヴィッツの表現の本質はむしろザッハリッヒ(即物的) だと思います。例えばショパンの英雄ポロネーズでの中間部で見られる左手の激しい行進曲的リズムは他のどのピアニストの演奏より機械的・無機的であり・かつ打楽器的です。それゆえゾッとさせられるような凄みがあります。シューマンが「ショパンは花の陰にかくれた大砲である」と看破したことの意味がホロヴィッツのショパンほど明らかなものは ないと思いますん。これはホロヴィッツの演奏するシューマンあるいはラフマニノフでも同様です。それとホロヴィッツは小品の名手でありましたねえ。東京でのコンサートの「ウィーンの夜会」 (シューベルト/リスト編曲)の終結部の微弱な和音などは実に忘れ難いものです。


マリオ・デル・モナコ(1915〜1982)

1950年〜60年代のイタリア・オペラの代表的テノール歌手です。遺されたその舞台映像を見るとお分かりの通り、アリアのサビの箇所で声を張り上げる時に舞台で一歩前へ踏み出し・腕を振り上げてポーズをとって・観客に向かって正面向いて声を張り上げるのが、いかにも見得をする感じで歌舞伎的であって・「イタリ屋っ」とでも声を掛けたくなりませんか。今の歌手は臭いと思うのか・舞台でこういう仕草をしませんねえ。 下記に紹介した「アンドレア・シェニエ」最終場面の二重唱でも現在のオペラの舞台ならばシェニエとマッダレーナは互いに抱き合って向かい合って歌う・つまり観客から見ると横を向いて歌うのです。つまり声の威力はそれだけ減殺されることになる。これは表現の繊細さと表裏一体のところがあるのでその良し悪しは一概に言えませんが、映像でのモナコとテバルディは手をつないで 並んで・正面向いて声を張り上げています。これが昔のオペラのやり方でしたねえ。やはりこの方が視覚的にもストレートに響きます。それにしてもここでのモナコとテバルディ の組み合わせは、歌舞伎で言えば十一代目団十郎と七代目梅幸の趣であるなあと吉之助はつくづく思うのです。(カラスは六代目歌右衛門だと思いますねえ。)オペラと歌舞伎の・この感覚の類似は決して偶然ではないと言うのが本「歌舞伎素人講釈」の感じ方です。「オテロ」や「道化師」で デル・モナコが目を剥いた場面はホント十一代目団十郎を想わせます。


 

 

 

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