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たそがれの味〜鏡花をかぶき的心情で読む


1)たそがれの味

『世間にたそがれの味を、ほんたうに解して居る人は幾人あるでせうか。多くの人はたそがれと夕ぐれを、ごつちやにして居るやうに思ひます。夕ぐれと云うと、夜の色、暗の色と云ふ感じが主になつて居る。しかし、たそがれは、夜の色ではない、暗の色でもない。と云つて、昼の光、光明の感じばかりでもない。昼から夜に入る刹那の世界、光から暗へ入る刹那の境、そこにたそがれの世界があるのではありませんか。(中略)世界の人は、夜と昼、光と暗との外に世界のないやうに思つて居るのは、大きな間違ひだと思ひます。夕ぐれとか、朝とか云ふ両極に近い感じの外に、たしかに、一種微妙な中間の世界があるとは、私の信仰です。』 (泉鏡花:「たそがれの味」・明治41年3月)

この泉鏡花の談話は鏡花作品を考える時にとても重要なものです。ここで鏡花は「たそがれの味」ということを言っています。「黄昏(たそがれ)」とは太陽が落ちかかって・昼が夜に変わろうとする・その狭間の時間帯のことです。そこに微妙な中間の世界があると鏡花は言います。鏡花の言いたいことをさらに考えると、そこには昼の世界から来る感覚と・夜の世界から来る感覚が交じり合い・同時に存在しているということです。その地帯においては同時に昼でもあり・夜でもあり、しかし決して昼だけではなくて・夜だけでもないのです。だからそこを「境界」と言ってしまうと意味が限定されてしまって・それを越えると全然違う世界になってしまうという語感になるのでちょっと違います。正確に言えばそこに境目はないのです。いつそのような中間の世界に入ったのかも分からないし、気が付いたらそこにいるという感じです。そこには本来は対立するはずのどちらの要素もが共存・交流するところの緩衝地帯が鏡花の言うところの「たそがれ」なのです。

この鏡花の「たそがれの味」はお化けが出てくる鏡花の作品を読むと、もっと感覚的に理解できます。鏡花と言えば世間では「お化け好き」で通っています。しかし、鏡花のお化けというのは怪談や絵草紙に出てくるお化けと違って、人を呪ったり・驚かせたりするために出てくるものではないようです。何げなく見るとすぐ横に座って居るという感じのお化けなのです。「変だなあ・こんなものはこの世に居るはずがないのになあ・・でも、そこに確かにそこに居るのだから・いないと思う俺の方が変なのかもなあ・・」などと思いながら一緒に並んで黙って部屋に座っているという感じです。そんなものかな・という感じで目の前の不思議な現象を受け入れてしまえば、お化けはあなたに別に何も悪さをするわけではないのです。ところが、あなたがそこで驚き・騒いで・慌てふためいたりするとあまり良いことにはなりません。しかも、これはお化けが悪さをするというよりも・騒ぐご本人が自分で勝手に悪い事態を引き寄せているという感じです。それが鏡花のお化けなのです。

『このたそがれ趣味は、単に夜と昼との関係の上にばかり存立するものではない。宇宙間あらゆる物事の上に、これと同じ一種微妙な世界があると思ひます。例へば人の行ひにしましても、善と悪とは、昼と夜のやうなものですが、その善と悪との間には、又滅すべからず、消すべからざる、一種微妙なところがあります。善から悪に移る刹那、悪から善に入る刹那、人間はその間に一種微妙な形象、心状を現じます。私はさう云ふたそがれ的な世界を主に描きたい。』 (泉鏡花:「たそがれの味」」・明治41年3月)

(H20・7・4)


2)妖怪の世界

平成18年7月歌舞伎座において玉三郎を座頭にして泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」・「海神別荘」・「山吹」・「天守物語」の4作品が一挙上演されて、それぞれの舞台で興味深い成果を挙げました。鏡花の芝居と言えば新派での「滝の白糸」・「婦系図」・「歌行燈」などが有名ですが、これらは鏡花の小説を他人が脚色したもので・鏡花自身の筆になる脚本ではありません。「夜叉ヶ池」など鏡花オリジナル戯曲の方は文学的な評価はともかく上演機会が非常に少なく・むしろ敬遠されている感じすらあります。どちらかと言えば小説の脚色芝居の方で鏡花の芝居のイメージが出来上がっているようです。恐らく鏡花オリジナル戯曲の方は設定が極端であるとか・登場人物に妖怪がいたりしてリアリティがなくて上演が難しいとか・いくつか理由があって上演機会が遠のいているのだろうと思います。

歌舞伎座での鏡花上演の後に鏡花関連の劇評・評論など目に付くところをざっと目を通しましたが、吉之助が奇異に感じたのは妖怪の出てくる世界(異界)を人間の住む世界(人間界)を対立したものとして二元的に作品を読むものがほとんどであったことです。つまり、鏡花のこれらの戯曲は「妖怪の世界から見れば・名誉欲・金銭欲などでドロドロした人間の世界は何と醜いことであるなあ」という鏡花の俗世批判であるという見方です。まあ確かに二元論というのは芝居においては・空間的にも視覚的にもそういう構造が成立しやすい芸能ではあるのです。舞台を見れば上手があり・下手がある。主役がしゃべり・相手役が返すという対話形式も二元的ではあります。舞台と客席が仕切られている構造も二元的な感覚を引き起こします。男も女も二元的であり、人間と妖怪の構造も二元的に感じられるのかも知れません。

例えば「天守物語」(大正6年・1917)は舞台が姫路城の天守閣ということになっていますが、そこから妖怪である登場人物たちが下界(人間界)を見下ろす構図になっています。つまり、そこに縦の構図が意識されています。もしかしたら鏡花はここで歌舞伎のセリを想定した可能性があります。しかし、「観客席は天守を仰ぎ見る位置にあるのだから・観客は俗世に属する存在として妖怪たちから見下ろされていると意識せねばならない」(出典はあえて伏す)などと言われると、吉之助はどうも違和感を覚えますねえ。

吉之助が思うには、ここでの観客は妖怪たちと一緒に天守に遊んでいる気分なのであって・その意味でここでは観客も妖怪なのです。妖怪たちの立場になって・下界(姫路城の階下)から迷い込んで来た図書之助の話を聞いてみれば富姫同様に「まったく人間というのは仕方のない生き物だねえ・・・」という嘆息する気分に観客もなると思います。それが「天守物語」において鏡花が意図していることです。そのことが鏡花の談話「たそがれの味」を読めばお分かりになると思います。天守閣は人間である図書之助も入り込むことが出来る領域なのですから、完全な異界ではありません。観客もまた入り込むことが出来る・そのような領域なのです。観客席もまたたそがれの空間にあるわけです。

(H20・7・9)


3)「天守物語」とたそがれの味

「天守物語」の幕切れに桃六という不思議な老人が登場して・富姫と図書之助の危難を救います。桃六が「世は戦でも、胡蝶が舞う、撫子も桔梗も咲くぞ。・・(下界を見下ろして呵々と笑い)ここに獅子がいる。お祭りだと思って騒げ。槍、刀、弓矢、鉄砲、白の奴ら。」と言って幕になります。

この桃六の幕切れの台詞は日清・日露戦争に浮かれて騒ぐ世相と・台頭する軍部に対する鏡花の批判を込めたものだという説があるそうです。まあ確かに芸術作品はそれが生まれた時代の気分と切り離せないものです。「天守物語」の成立年代(大正6年・1917)を考えた時にそうした気分が反映していることは確かにあるかも知れません。図書之助がそこ(人間界)から追われて来たものの背景を読むことは大事なことです。しかし、江戸時代の設定のお芝居で・愛と心情のファンタジーの幕切れに日清・日露戦争の批判が突然飛び出してくる必然性は全然ないと吉之助は思いますがねえ。作品に時代の気分の反映を見ればよいだけのことです。妖怪界と人間界・綺麗と汚いという対立項的な二元論で読んで作品の主題を無理にこじ付けようとするから・こういう解釈が出てくるのです。

「天守物語」をたそがれの世界の論理で読んでみれば、富姫たち妖怪の遊びやら世間話に・我々人間界との違いは全然ないことが分かると思います。名誉とか金銭とか・そういう人間的な柵(しがらみ) がないので・その点で妖怪たちは確かに自由に見えるでしょう。しかし、妖怪たちの会話をよくよく聞けば妖怪たちも人間と同じように俗そのものです。よくよく見れば妖怪には妖怪の世間があるのが分かります。結局、人間界を裏返したような形で同じように俗な妖怪界があるわけです。そのことが分かれば観客も異界に自由に遊ぶことができると思います。芝居を見ながら・たそがれの世界にあるところの観客は、妖怪の感覚でも・人間の感覚でも物事を自由に読むことができます。ですから城下から天守閣を見上げて武器を振り回して・騒いでいる人間達の姿を見て「何だかつまらんことをワイワイと騒いでおるなあ」とカラカラと笑って幕切れを迎えればよろしいのです。あとは富姫と図書之助のふたりだけの世界です。外にはなにもない。それが「天守物語」の幕切れです。

幕切れに突然登場する桃六という不思議な老人は・舞台中央に位置する獅子頭の作者ですが、獅子頭の制作年代から推してかなり以前に亡くなった人物であることが明らかです。富姫はかつて落人として逃げてきた貴夫人であり・陵辱されるのを拒否して獅子頭の前で舌を噛んで死んで妖怪となったという前歴を持ちます。おそらく桃六はそれ以前に何かの理由で非業の死を遂げて成仏できずに妖怪となり・獅子頭と共に天守に移されて・そのなかに潜んでいたものと思います。富姫たちは天守に住みながら・桃六の存在にずっと気が付いていなかったのです。

「天守物語」における桃六はギリシア悲劇の幕切れに忽然として登場するデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)の役割を演じています。しかし、幕切れにおいて富姫と図書之助はさらに高次の愛の世界へ旅立つという見方は、妖怪の世界は清らかで・それに比べて人間界は汚いという二元論に捉われた見方です。たそがれの世界の読み方ならば、この幕切れは「・・・そして・ふたりはいつまでも幸せに暮らしましたとさ」という程度に読めば良いものだと吉之助は思います。

(H20・7・12)


4)鏡花とかぶき的心情

鏡花作品をいろいろ読むと・鏡花は婚姻について結構頑固な信念を持っていることに驚かされます。「お互い好きあっている男女が一緒になるのは当然」という考え方は、鏡花初期の短編「琵琶伝」や「外科室」(いずれも明治28年)や「婦系図」(明治40年)にも強烈に出てくるものです。元禄の近松門左衛門も読み方によってはそのような考え方を見ることができます。しかし、江戸の世においてはそうした心情はとても危険なものでした。それらはまだ世間の義理や人情のなかにやんわりと淡いかたちで隠されなければなりませんでした。明治期の鏡花の場合にはそれが強烈に・しかも世間に対して驚くほど挑発的に顔を出します。鏡花と言えば江戸の読本や草双紙の影響を濃厚に引きずった作家とされますが、実はこの点において鏡花は非常にハイカラ・かつ革新的です。鏡花が明治28年に書いた評論を引用します。

愛のためには必ずしも我といふ一種勝手次第なる観念の起るものにあらず、完全なる愛は「無我」のまたの名なり。に愛のためにせむか、他に与へらるゝものは、難といへども、苦といへども、喜んで、じて、これをく。元来不幸といひ、窮苦といひ、艱難辛苦といふもの、皆我を我としたる我をて、他に――社会に――対するより起る処の怨言のみ。愛によりて我なかりせば、いづくんぞそれ苦楽あらむや。』(泉鏡花:「愛と婚姻」・明治28年5月)

これは明治28年・鏡花22歳の時の文章です。肩に力が入った感じの硬い文章です。しかし、論旨として鏡花の生涯を貫いたものです。明治になって個人主義思想が西洋から流入して、社会は個人と対立する ものであると初めて明確に意識するようになりました。それは西洋から来た進歩的思想であり・ハイカラ思想です。しかし、その情念の本質を見れば・それは実はかぶき的心情として江戸に昔からずっとあったものです。かぶき的心情は明治になって西洋思想によって理論的裏付けを得て、初めてその心情の矛先を強く認識したのです。大正期に二代目左団次によって創始された新歌舞伎ではかぶき的心情は社会的視点を持って描かれました。社会が個人を抑圧し・束縛するものだという意識を新歌舞伎は明確に持っています。新歌舞伎に感じられるある種の気負いは、かぶき者が理論的裏付けを得て・「この俺が江戸の昔からずっと感じていたことはやっぱり正しかったのだ」と勇み立っているような印象を吉之助は受けます。鏡花の場合にも似たような気負いを感じます。(明治の文化人は誰でも似たような気負いを持っていると思います。このことはとても大事なことです。)

それならば同時代である鏡花作品は「個人は社会・世間と対立するものである」という二元論で読むべきでしょうか。まあ読み方は人それぞれのことですし・名作のお楽しみの仕方はひと通りではありませんから、そういう二元論の読み方もありだと思います。しかし、吉之助としては「たそがれ」の味で鏡花の作品を読みたいと思うのです。「たそがれ」の味こそ鏡花を明治大正の文学のなかでユニークたらしめているものだと思います。「たそがれの世界」の概念が鏡花作品の背景に強くあって、そこでは世間も社会も喪失していると考えています。すなわち鏡花を二元論で読まないのが吉之助の見方です。その典型が鏡花が好んだところの「お化けもの」です。前述の「愛と婚姻」の場合でも・重要なのはその主義主張ではありません。重要なのはそこに満ちている気分です。「完全なる愛は無我のまたの名なり」という箇所こそ鏡花の論理のキーポイントです。無我の世界とは・昼でもなければ夜でもない・それは「たそがれ」の世界のことに違いありません。

かぶき的心情の視点において鏡花は近松に非常に似たところがあります。初期の短編「義血侠血」(明治29年・新派で有名な「滝の白糸」の原作)など読むと近松の類似をとても強く感じます。(別稿「鏡花とかぶき的心情」をご参照ください。)近松とちょっと異なる点は・近松の情念は熱く感じられるのに・鏡花の情念は静かに冷たく佇(たたず)むという趣があることです。これは近松の感性が現世的であり、鏡花の感性はベクトルが過去(江戸)の方へ向いているということから来ていると思います。

別稿「近松心中論」において近松作品の心中に向かう時のふたりの心理のなかでは世間・社会は喪失するということを指摘しました。「私が・・私が・・」という気持ちが強 くなるほど表現ベクトルは自我の中心へ向かって行って・無我の状態になり、社会という視点が消し飛んでしまいます。これこそ個人や社会の境目が消えてしまった「たそがれ」の世界です。この現象はかぶき的心情と密接に重なります。しかし、江戸時代においては個人と社会が対立するという構図は漠然としか意識 されませんでした。社会が個人を抑圧し・束縛するという概念は江戸時代にはなかったのです。それは漠然と巨大な・抵抗しがたいものとしてしか認識されませんでした。しかし、社会視点の喪失ということは為政者から見れば非常に怪しからぬことですから、幕府は近松の心中物を反社会的だと見なして禁止しました。

大事な点は鏡花において世間の視点が完全に消し飛んでいるわけではないということです。鏡花は明治期の作家ですから、世間をまったく意識しないでいられるはずがありません。正しい言い方をすれば・鏡花は世間を意識しているのに・敢えて目を反らしてそのことを考えないようにしているのです。逆に言えばそれほどまでに鏡花は世間を内面に強く意識しているということに他ならないのですが、しかし、鏡花は表面的にはそうした態度を決して見せようとしません。それが鏡花の「お化けもの」なのです。そのような鏡花の作品に二元的な対立視点を無理に持ち込んで読む必要はないと吉之助は考えます。

「天守物語」におけるかぶき的心情は、「三たび戻らぬ」と約束したはずの図書之助が意を決して三度目もまた天守閣に戻ってくることに示されています。つまり、図書之助は自分の行為が思いもよらず主人の不興を買ったことを心外として・決して服従しなかったのです。図書之助が富姫に惹かれて天守閣に戻ったということも確かにあるでしょう。しかし、それ以上に主人に対する怒りの方が強かったのです。図書之助は断固として個の正しさを主張して・その信念において世間に背を向けたのです。ご注意いただきたいですが、これは世間を拒否した・捨てたということではありません。逆に世間をとても強く意識しており・だからこそ自分を認めない世間に対して強く怒っているのです。これがかぶき的心情の現れ方です。三島由紀夫は鏡花作品に登場する女性について次のように語っています。

『女の凛々しさとか・女の男っぽさとか、何かきりっとした感じ、ああいう美しさというのはずっと忘れられていたんだね。そして惚れた男のためには身体も張るけれども、金力・権力には絶対屈しないというイメージですね。(中略)そして弱い男に女は惚れて、女が庇護する。その弱々しい男に正義があるんですよ。』(三島由紀夫・「泉鏡花の魅力」・澁澤龍彦との対談・昭和43年11月)

(H20・7・17)


5)「草迷宮」とたそがれの味

「ここはどこの細道じゃ、細道じゃ、天神様の細道じゃ、細道じゃ・・・」、戯曲「天守物語」(大正6年・1917)はわらべ唄「通りゃんせ」の旋律で始まります。どこか懐かしい故郷の世界へ誘うが 如きです。 同じように小説「草迷宮」(明治41年・1908)は「向うの小沢にが立って、八幡長者の、おと娘、よくも立ったり、巧んだり ・・・」という毛鞠唄で始まり、わらべ唄の「通りゃんせ」で終わります。幼い昔に、亡き母親が唄ってくれた毛鞠唄。その耳に残るその唄をもう一度聞きたいと思って、母への憧憬を胸に・毛鞠唄を探し求めて放浪する青年が主人公です。

「草迷宮」の題材は平田篤胤の聞書「稲生物怪録」(いのうぶつかいろく)が典拠とされています。ただし、死の数ヶ月前に鏡花の話を聞いた折口信夫の証言に拠れば、稲生武太夫が化け物に出会った話は「稲亭随筆」など数種類があるが、鏡花は「稲生物怪録」の名前を挙げなかったので、その周辺のものは読んだだろうが、篤胤のものは読まなかっただろうということです。しかし、まあそのことはとりあえず置くとして、それより吉之助にとって興味深いのはここに鏡花の言う「たそがれの世界」の典型があることです。「草迷宮」には不思議なエピソードがたくさんちりばめられて、いつの間にやら異界(妖怪界)に紛れ込んでいく 。と言うよりも日常世界のなかにすでに異界が混在しており・どこまでが日常なのか・どこからが異界なのかが分からない迷宮に彷徨い込んだような印象を受けます。つまり、ここでは人間界と異界の境目がはっきりしません。これが「草迷宮」のたそがれの味です。

秋谷屋敷に宿泊する青年を追い出そうとして妖怪たちはいろいろ怪異を仕掛けます。しかし、青年に対してはさっぱり効果がありません。青年はさまざまな怪異をそんなものだと受け入れて・ちっとも騒ぎはせぬのです。ついに妖怪が根負けした形となり・最後に美しい女性の物の怪が現れて青年が捜し求めていた毛鞠唄を客僧に授けて・妖怪たちは館を去ります。傍らで青年は赤子のようにスヤスヤと眠っており・何事も起きません。小説の末尾で流れる毛鞠唄やわらべ唄のイメージのなかで、青年がまるで母の胎内に戻ったような・そんな懐かしい安堵した感覚が読み手のなかに湧き上がります。

ですから「草迷宮」は怪異譚の形式を取っており・そのように読んでもちろん結構ですが、実は「草迷宮」は怪異譚であるより・まったく鏡花の心象風景なのです。毛鞠唄やわらべ唄は鏡花の心のなかにある遠い故郷の記憶から来るものです。妖怪は鏡花の感情の綾の表現に過ぎません。「天守物語」 冒頭でも 同じように「ここはどこの細道じゃ、細道じゃ、天神様の細道じゃ、細道じゃ・・・」とわらべ唄が静かに流れます。その時、舞台だけでなく・観客席もすでに異界の方に引き込まれ・日常から「たそがれ」の世界のなかへ引き込まれていく のです。わらべ唄にはそのような効果があるわけです。

(H20・7・20)


6)「夜叉ヶ池」とたそがれの味

「夜叉ヶ池」(大正2年・1913)もやはり「たそがれ」の世界の出来事として見たいと思います。萩原明と百合が生活する家と鐘楼の周辺は夜叉ヶ池にほど近く・すでに異界の雰囲気が漂ってきて・異界と人間界が交錯する「たそがれ」の世界です。そこへ山沢学円が行方知れずになった友人(萩原)の安否を訊ねて琴引谷にやってきます。

巷の劇評を見れば東京から琴引谷に迷い込んできた学円は・人間界の現実へ萩原を連れ戻そうとする俗な人物であり、萩原を巡って百合に敵対する人物であるとする見方が多いようです。こういう見方は異界と人間界(世間)を対立的に見る二元論から出たものだと思いますねえ。もし学円が本当に百合に敵対する人物であるなら、学円は百合を夜叉ヶ池の生贄にしようとして結局洪水に巻き込まれて死んでしまう村人たちと同様の運命を辿らねばならかったはずです。しかし、最後の場面において学円は助かり・この夜叉ヶ池の出来事を伝える語り部として残されます。と言うことは学円は百合と敵対する人物であるどころか・萩原と百合の隠棲の事情を理解し同情する人物であったということを示しているのです。

「たそがれ」の世界の論理で読めば、萩原の心のなかに世間の柵・あるいは未練がどこかに残っていて、その未練の糸が引き寄せた人物が学円であると見ることができます。学円は萩原の心情を理解できる人間ですが、別の余計な者たちがその糸にたぐり寄せられるようにして・同じように琴引谷にやって来ます。それが雨乞いのために百合を夜叉ヶ池の生贄にしようとする村人たちです。

一方の百合はどこかしら謎めいて異界の者の雰囲気を持っていますが、その糸の端は明らかに夜叉ヶ池に住む妖怪・白雪姫につながっています。白雪姫の前身を辿れば・彼女は雨乞いのために夜叉ヶ池の生贄にされるため裸体で牛の背に縛られることを苦にして自殺して果てて・今は妖怪として夜叉ヶ池の主であるということでした。芝居の終わりで同じ運命が百合にも待っています。このことは百合が白雪姫の分身であると考えることももちろんできますが、百合のなかの理性では解明できない不思議な縁(えにし)が夜叉ヶ池の白雪姫を引き寄せているという風に解することもできます。

個人や社会の境目が消えてしまった「たそがれ」の世界・「夜叉ヶ池」のなかで、萩原と百合というふたつの存在は静かに向き合っています。これはふたりが対立しているということを意味しません。学円と白雪姫は、萩原と百合それぞれの存在が引きずっている縁(えにし)を象徴しています。「夜叉ヶ池」の舞台を見ると萩原と百合は世間から離れたところで・世間を拒否して・人知れず静かに・しかし幸福に暮らしていると見えるかも知れません。表面的にはそのように見えるでしょうが、それはちょっとした途端に揺らいでしまうほど危うい静けさであり・幸福です。つまり、静かで幸福な生活の奥底に・実はその幸せがいつかもろくも崩れ去るであろうという不安がふたりの心の底に渦巻いていたことにほかなりません。

(H20・7・23)


7)「夜叉ヶ池」とかぶき的心情

「夜叉ヶ池」に登場する鐘は夜叉ヶ池に封じ込められた竜神が暴れ出して村を洪水にすることがないように明け六つ・暮れ六つ・丑満六つと一昼夜に三度必ず鐘を鳴らすこと・その他の音は一切させない・という約束になっています。これは別稿「禁問とかぶき的心情」で取り上げた「禁問(Frageverbot)」に当るものです。つまり、「ローエングリン」ならば「あなたは私の名前をきいてはならない」という問い・「番町皿屋敷」ならば「お家重宝のお皿 を割ってはならない」という家訓と同じものです。鏡花が「夜叉ヶ池」を執筆したきっかけは、明治40年(1907)にドイツ文学者登張竹風との共訳で・ハウプトマンの戯曲「沈鐘」を出版したことにありました。「沈鐘」は山に棲む妖精と・人間の鋳鐘師との恋を描いた世紀末的幻想戯曲です。

ですから「夜叉ヶ池」の場合もかぶき的心情で読むことができます。「夜叉ヶ池」でのかぶき的心情は、百合(あるいは人間であった頃の白雪姫もそうです)が夜叉ヶ池の生贄にされるため裸体で牛の背に縛られることを屈辱だとして自害して果てるところに現れています。これは個の尊厳を断固として主張 して死するかぶき的心情の行為です。百合の行為に感応する形で萩原も自害します。ふたりの幸福な生活を破壊したのは、確かに外部からやって来た・村人たちの行為(つまり無慈悲な世間ということ)です。それはもちろん萩原や百合自身が望んだものではありません。しかし、それはあたかも磁石が砂鉄を引き寄せるように・萩原と百合ふたりのの存在・彼らの生活が引き寄せたものです。百合はその妖しい雰囲気からして・村人たちに雨乞いの生贄に相応しいと思わせる霊気を持っていました。萩原は村を洪水にせぬために日々鐘をついていますが、その献身的行為は村人たちにちっとも理解されず・彼は変人だと思われていました。つまり、萩原と百合ふたりは彼らの意思に係わらず・彼らの本質によって滅んだとも言えます。

萩原のなかの男性・百合のなかの女性は決して対立していません。萩原と百合はむしろ寄り添い・互いを守ろうとしています。ふたりはいつかこの幸せはもろくも崩れるであろうという不安を孕んだ状態で静かに向き合っています。その静かな緊張状態を象徴するものが「日常的に鐘を突く行為」なのです。この日常行為の約束によって萩原と百合の静かで幸せな生活はかろうじて守られてきました。そして、鐘の掟が破られた時・それはふたりが破滅せねばならない時ですが、このささやかな幸せを破壊したものは復讐されねばならないのです。「自分たちの幸せを壊した者たちは呪われよ」ということです。それが村を襲う洪水です。これが世紀末のかぶき的心情の行き着く結末です。自分たちに同情してくれた者・学円だけが救われることになります。

「夜叉ヶ池」での主人公の心情の熱い部分は「自分たちの幸せを壊す者は自分とともに滅びよ」という形で最後に世間に向きます。この点だけ見れば鏡花は大正期の新歌舞伎と同様に「個人は社会と対立するものである」と見え ます。しかし、それだけでは鏡花の見方として十分ではないのです。「夜叉ヶ池」の悲劇は萩原と百合のふたりの存在自体から生み出されたものであるからです。鏡花はそこに存在悲劇的な不安を見ています。「夜叉ヶ池」はそのようなふたりの不安が「たそがれの世界」のなかで引き起こす内面のドラマなのです。

(H20・7・26)


8)たそがれの味と世紀末の感覚

「夜叉ヶ池」において百合の魔性が萩原を虜にして・彼を山奥の鐘守として暮らさせる・つまり萩原は百合の魔性によって世を捨てさせられ・自己を捨てさせられたのであるとする見方もあるようです(出典はあえて伏す)。これも男と女を二元論の対立視点で割り切った読み方ですねえ。萩原が白髪のカツラをつけて老人のなりで百合とひっそり暮らしているのは、萩原が「百合に殺されたも同然である」と書いてあるのには驚き呆れました。日本古来、翁媼(をうあう=おじいさんとおばあさん)というのは長寿を示しており、鶴亀と並んで・めでたいことの象徴であることをご存知ないのですねえ。百合と萩原が白髪のカツラをつけるのは、「ふたりのなかでの時間が止まって欲しい・この幸せが永遠であって欲しい」という願望を示しているのです。彼らは白髪のカツラをつけてその身を守っているわけです。

百合には魔性めいたものが確かにあります。しかし、それは魔性と言うより・理性では説明できない不思議な雰囲気・危うい魅力という方がより適切なのです。それは夜叉ヶ池の主・白雪姫につながる縁(えにし)であり、村人たちが彼女を生贄にしようという行為に走らせるものでもあり、またそれゆえ萩原が彼女を守って・山奥で共に朽ち果てようという決意をさせたものでもあります。

「たそがれの世界」ではすべてのものが等価で存在します。相反するものが混ざり合い・逆に親しいものが別かれて分離することもある・そのような世界です。「綺麗は汚い・汚いは綺麗」という「マクベス」の魔女の言葉が示す混沌の状態が「たそがれの世界」です。綺麗と汚いというふたつの概念は対立しているのではなく、まざり合っているのです。マクベスの魔女の言葉について「価値の逆転」ということがよく言われます。しかし、この読み方では「マクベス」は十分に理解できません。これは価値の逆転ではなく、価値の混沌であり・ 価値の無意味化なのです。そこでは無意識が心の奥底からふっと浮き上がり、逆に意識が眠りの底に深く沈んでいきます。しかも、そのような混沌の状況が夢うつつ のなかで・本人の意識のなかで何の疑問もなくすんなり受け入れられてしまいます。それが「たそがれの世界」です。

萩原と百合はお互いを必要としていて・ずっと一緒にいたいのですが、まるで別かれることを望んでいるかのように・引き離される不安を互いに感じています。彼らは幸福でありながら・ 未来の不幸を予感しており、不幸を予感しているが故に・今現在の幸福がたまらなく大事なのです。それが毎日決まった時間に鐘をつくという行為(禁問)が示すものです。このような感覚が世紀末芸術の感覚であることは言うまでもありません。鏡花の「たそがれ」の味とは世紀末の感覚です。「夜叉ヶ池」の 幕が開くまで、萩原と百合の間にはそのような悠久の時が危うい形で続いていたわけです。言い換えれば「夜叉ヶ池」のドラマは芝居が始まる前からずっと静かに続いていたのであって、学円が来訪したところから「夜叉ヶ池」のドラマが始まるのではないのです。

(H20・7・30)


9)「山吹」とたそがれの味

「山吹」(大正2年・1923)には妖怪は出てきませんが、これも「たそがれの世界」の物語です。幕切れで夫人が画家島津に「世間へ、よろしく・・・さやうなら」と言って・人形遣いと立ち去り、ひとり残された島津が「うむ、魔界かな。これははてな、夢か、いや、現実だ。・・・ええ、俺の身も、俺の名も棄てようか・・・いや、仕事がある」と呟きます。この幕切れについて「夫人と人形遣いが立ち去るその先に魔界があり・舞台上には魔界が設定されていない ・その先の魔界において人間そのものが妖異化しようとしている」とするのが「山吹」の一般的な解釈のようです。この芝居には夫人が人形遣いを折檻する異様な倒錯世界が描かれているので、常人には 素直に感情移入できないところがあると思います。しかし、これは「たそがれの味」で読めばすんなり理解ができます。

まず大事なことは「たそがれの世界」には境目(境界線)がないということです。ここまでが人間界・ここからが異界というような境目はないのです。ふっと気が付いたら自分は異界にいる らしいと感じる・あるいは気が付くと自分が元の世界に戻ったことを突然知るという具合です。「たそがれの世界」とは急に濃くなったり・また晴れ たりする霧のようにその濃度が始終揺れ動くものです。さっきまで普通の場所だった同じ場所が突然異界の様相を呈したり、それまで妖怪が動き回っていた場所が気が付くと常の場所であったりすることがあるのです。その変化に何か兆しらしい・きっかけらしいものも後から 考えれば確かにあるのですが、それもその時点でははっきりとはしません。「たそがれの世界」とはそういうものです。

「山吹」の場合も、たそがれの味が場面によって濃くなったり・薄くなったりします。 あるときは幻想性が増し・ある時には倒錯性が増します。そしてふっと気が付くと観客は自分が現実の世界に戻ったことを知るのです。夫人が人形遣いを折檻する場面は異界の様相が非常に濃いものです。あたり一面に異界の霧が濃厚に立ち込めている・そのような「たそがれの世界」です。その光景を脇から慄きながら眺める島津の立っている場所はやや霧が薄いように思えますが、島津の足元には異界からの霧がひたひたと流れてくる・そのような場所です。ですから島津が「うむ、魔界かな。これははてな、夢か・・いや、現実だ」と呟く時、異界はそのずっと先にあるのではありません。まさに島津が立っている場所 (そこは観客が立っている場所でもあるのです)が「たそがれの世界」なのです。そして夫人と人形遣いの姿が濃い霧のなかに次第に消えていくと・そのように考えればなりません。「・・・いや、仕事がある」と島津が呟いた時、島津も・観客も足元の霧が少しづつ引いて・自分が常の世界に戻ったことを突然知るのです。

(H20・8・2)


10)「山吹」の幕切れ

「うむ、魔界かな。これははてな、夢か、いや、現実だ。(夫人の脱ぎ捨てていった駒下駄を見る)ええ、俺の身も、俺の名も棄てようか・・・(夫人の駒下駄を手にす。苦悶の色を顕しつつ)いや、仕事がある。 」(その駒下駄を投げ棄つ。)

この「山吹」幕切れの画家島津の台詞は難しいようです。下手をすると、島津が世間に固執する・非常につまらない・ダサい男のように思われかねません。この鏡花後期の「山吹」では「画家島津は旅芸人の人形遣いに及ばず その立場が失墜している・鏡花の知識人への見方がここでは憧れの視点から失望へと変化している」とする評論を読みました。(出典はあえて伏す。)確かに鏡花の初期の小説には貧乏書生が同情的に描かれているものが多くありますが、これは「人間の世界(世間)は汚い・異界は綺麗」という二元的な対立構図で無理に読もうとするからそのように見えるのでしょう。「たそがれの味」で読めば鏡花がどちらが尊いとか・どちらが卑しいとか・そういう見方をしていないことは明らかです。「世間は汚い・異界は綺麗」という構図は「天守物語」や「夜叉ヶ池」ならばまあ無理に読めばそう読めないこともないでしょう。しかし、「山吹」の倒錯的世界は常識的な尺度で計れません。そのことに多少の戸惑いと嫌悪を感じながらも、なおも「山吹」を鏡花の世俗批判であると受け取りたい気持ちが観客にも劇評家にも残っているのかも知れません。

『なぜなら美というものは、ファイドロスよ、よく覚えておくがいい、美というものだけが神々しいと同時に目に見えるものなのだ。そう言うわけだから、美は感覚的な者の行く道であるし、芸術家が精神へ行く道なのだ。そこで君はしかし、愛する友よ、精神的なものへ行くために感覚を通らなければならぬ人間が、一度でも英知と真の人間の品位を獲得することができると思うかね。それとも君はむしろ(私はその決定を君の自由に任せるが)これは危険でかつ愛すべき道であり、真に邪道であり・罪の道であって、かならず人を邪路に導くものだと思うかね。なぜと言って、これは是非言っておかねばならぬが、我々詩人たちが美の道を進んで行けば、必ずエロスの神が道づれになって、得々と道案内をするに決まっているのだ。(中略)我々は奈落を否定したいし、品位を得たいとは思うのだが、しかし我々がどう身を転じようとも、奈落は我々を引きつけるのだ。なぜと言って認識には、ファイドロスよ、何の品位も厳かさもないからだ。それは物を知り・理解し・許すもので、品性も形態もない。それは奈落に共感を持つ。それはまさに奈落なのだ。』(トーマス・マン:「ベニスに死す」)

トーマス・マンの小説「ベニスに死す」(1913年)の主人公・初老の作家アッシェンバッハがその死の数日前に見る幻影の場面です。アッ シェンバッハは旅先のベニスでギリシア美を想わせる美少年タッジオに魅せられ・彼の姿を追い求め、死へと突き進んでいきます。泉鏡花の「山吹」(1923年)も同じような同時代的テーマに拠っています。しかし、必死になって正気に踏みとどまろうとして奈落に堕ちていくアッッシェンバッハと違って、画家島村はかろうじて奈落に堕ちるのを踏みとどまります。芸術家というものは、人間の狂気を見据えながらも・狂気に捕らわれず・冷徹に対象を見据えることができなければ傑作を生み出すことは決してできません。この「山吹」幕切れの「・・・いや、仕事がある」の台詞をダサいと笑う方は、生涯を賭けた「仕事」の厳しさをお分かりではないのです。この後、島村の画風は一変するに違いありません。(別稿「鏡花の耽美主義について」を参照ください。)

鏡花の「山吹」の倒錯的世界は、同時代の谷崎潤一郎(小説「痴人の愛は大正13年・1924)の耽美主義に明らかに通じています。鏡花も谷崎も・マンもその根底にある発想は共通した時代的心情から発しています。晩年になるにつれ鏡花は江戸の怪談や絵草紙趣味のなかに逃げ込んで・次第に世間に背を向けていくと考えるならば、それはまったく間違いです。時代に生きる作家がその生きた時代と無関係になるということは決してあり得ません。その作品は時代的心情において読まねばなりません。

『いつも誰かから、「君お化けを出すならば、出来るだけ深山幽谷の森厳なる風物の中へのみ出す方がよからう、何も東京の真中の、しかも三坪か四坪の底へ出すには当たるまい」と言はれた事がある。が然し私は成るべくなら、お江戸の真中電車の鈴の聞こえる所へ出したいと思う。』(泉鏡花:「予の態度」・明治41年)

「たそがれの味」をキーワードにして鏡花の作品を読めば、鏡花のお化け・怪異とは鏡花の生きた(明治から大正という時代の)時代的心情に対する鏡花的な・あまりに鏡花的な感性の産物であることは明らかなのです。

(H20・8・9)


(後記)別稿「高野聖のたそがれの味」もご参照ください。

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