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音遣いを考える


1)音遣いを考える

本稿は歌舞伎の音遣いのことを逍遥しながら考えるものです。最初は歌舞伎と関係がないみたいですが、そのうち歌舞伎の話題へ入って行きます。先日クラシック音楽関係の演奏会のチラシを眺めていたら、吉之助が愕然とすることが書いてありました。それは 飯田橋のトッパン・ホールのチラシに掲載されていたドイツ人テノール、クリストフ・プレガルディエンのインタビューで、彼はこんなことを語っていました。

フィッシャー=ディ―スカウやプライなど偉大な 名歌手が彼の世代の聴衆と共に去り20年くらいの空白が生まれ・・・ドイツでは今学校で音楽の授業が削られ、子供が歌う機会が少なくなり・・詩自体が読まれなくなる時代となり・・ドイツ・リートの存在感が急速に失われつつある・・というのです。それでプレガルディエンらは幼稚園などへ出向いてポップスやロック以外にもこんな音楽(ドイツ・リート)の選択肢もあるんだよということを伝える機会を意識して作るようにしているそうです。(トッパン・プレス・82号・2016年3月)吉之助がショックを受けたのは、吉之助が今でも音楽の国だと思っているドイツでもこんな深刻な状況になっているのかということです。

吉之助のクラシック音楽歴は管弦楽とオペラが中心ですが、ドイツ・リートは昔からよく聞いています。吉之助が若い頃の偉大なドイツ・リート歌手と云えば、まずは何と言ってもバリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディ―スカウそしてヘルマン・プライ、テノールならばエルンスト・ヘフリガー、ペーター・シュライヤーということになります。彼らがシューベルト・シューマン・ブラームスあるいはヴォルフらの作品を吉之助は折に触れて聞いてきたわけですが、吉之助は今のドイツ・リートがそのようなお寒い状況になっていることを想像だにしませんでした。これはドイツ文化の危機じゃないかと思うくらいです。そこでハッと気か付いたことは、恐らく現在の日本の状況だって似たようなもの、あるいはもっと深刻な状況かも知れないということです。

詩(言葉)と音楽の関係の、とても微妙で繊細なところが見失われつつあるようです。これは気忙しい現代という時代に深く起因することなのかも知れません。「沈黙というものがなければ言葉は深さを失ってしまう」と言ったのは、確かスイスの哲学者マックス・ピカートであったと思います。情報が騒音の如く絶えず撒き散らされて神経をかき乱す現代では、言葉の息遣いを耳を澄ませて聞き取り深く味わうだけの余裕を人が持つことがますます困難になっています。言葉の息遣い、それは意識して聞き取ろうとしなければ、決して聞こえないものです。

ドイツ・リートだけでなく、イタリア語でのオペラでも、日本語での義太夫節でもまったく同じことなのですが、詩(言葉)と音楽の関係は、とても微妙で繊細なところで成り立っています。優れた歌曲においては、言葉からこの旋律が紡ぎだされて来るのか・それとも旋律がこの言葉を呼び覚ますのか、どちらなのだろうかと思うほど渾然一体となって、その関係が実に自然発生的なものに感じられます。例えばシューベルトの歌曲をどれでも良い・1曲でも歌詞を追いながらお聞きになれば、そのことがすぐ分かるはずです。しかし、どこがどうだからそう感じられるか・・これを説明することはなかなか難しいです。これはそれぞれの言語の民族の成り立ちと精神・文化と深く関連するからです。ここはまあ人為に拠るものではないと言っておくことにしますが、この言葉と音楽の関係を意識することは再現芸術家(演奏家・歌手あるいは語り手)の場合にはつねに大事なことになります。(この稿つづく)

(H28・5・1)


2)一音符一音主義批判

別稿「音楽と言葉」のなかで作曲家団伊玖磨の一音符一音主義批判について触れました。西洋音楽でドイツ歌曲などを習った日本人のプロの歌手が日本語の歌を歌うと、聞いていて言葉が良く分からないと云うのです。いい音程で歌っているのだけれど、西洋の発声法だと日本語のアイウエオという母音がどれも同じような響きになってしまって、そのため言葉が分からなくなる。ドイツ語の歌曲は上手く歌えるのに、日本語の歌が駄目とは奇妙なことです。これは多分、日本語とドイツ語の歌曲では歌い方がどこか微妙に異なるということなのでしょう。

『西洋の声楽家が日本に来て、アンコールに日本の歌をよく歌いますが、向こうの発声法の人であるにもかかわらず言葉がよく聞こえますね。これは日本の声楽家への大変な挑戦状じゃありませんか。向こうの発声法でもそのシステムが本当に身体の中に入り込んでいれば、外国語である日本語を聞いた場合に、自分の発声のヴァリエーションのどこかで日本語をとらえられるのではないですか。おそらくシューベルトの歌を歌う場合とモーツアルトのオペラを歌う場合は発声法を変えているのですね。しかし、それが生半可な習得だと、硬直状態でいつも同じ発声法になってしまうのではないでしょうか。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)

団伊玖磨・小泉文夫:日本音楽の再発見 (平凡社ライブラリー)

これに関連する形で団氏の「一音符一語」の批判が出てきます。

『日本語をどのような音型化してくかという問題にしても、一音符一語主義が無批判的に伝承されてきて、例えば「私はあなたを愛します」は「ワタシハアナタヲアイシマス」と十三の音符で書いて疑わない。外国の歌で「I  love you」なら三つ、「Je t'amie」なら二つの音符で表現できるのに日本語では十三音符が必要だということの不自然さに気がつけば、日本語をどう音楽化するかというシステムを作ったはずでしょう。そういうことだけでも先輩たちの手でできていたら、次の時代にまったく新しい生きた日本語の歌ができていたはずでしたね。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)

それならば「ワタシハアナタヲアイシマス」はいつくの音なら良いのか、その辺は団氏の考えと吉之助は意見が若干異なるところがあるようですが、日本歌曲の一音符一語主義については確かに問題があるように思います。和歌の形式は五七五七七というように、一語に一音を当てる概念が昔から日本にはあったようです。それが西洋から輸入された五線譜の楽譜に安直に結びついてしまったのかも知れない、そういうことを考えるようになりました。そこで日本の音楽教育のなかで刷り込まれた「一音符一語」の思い込みが日本語の歌を窮屈にして、延いてはこれが日本の詩歌の衰退にも繋がっているのかも知れないと推論を立ててみます。

例えば小泉文夫氏の「義太夫には地合(じあい)という、節のある歌でもなく地の詞でもない中間部みたいなものがあって、邦楽では日本語を音楽的にどう処理すればよいかという技術が昔からあるのだから、そういうものを現代オペラでも実践してみたら・・・」と云う発言に対して、団氏はこう返しています。

『ぼくは「ちゃんちき」といオペラで、初めてそういうことを実践しました。従来の西洋音楽の常識だと、ひとつのフレーズの途中では息を継ぎませんね。ところが邦楽では、たとえば「・・・に」という時に、「にィーー」がいろんな形で伸びて、息を継いで、また「イーー」とつなぐのがたくさんある。それと同じように自由にブレスをしてまた同じ母音をつなげていくというのをやってみたのです。何か事柄を述べている間の旋律には抑揚とかいろんな制約があるわけです。しかし、言い終わった後の母音が延びるところでは自由な旋律進行が可能です。しかも自由に息を継いで良いといいことになれば、そこでどれだけでもファンタジーが展開できる。これはまさに邦楽の方法で・・・・」(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)

団氏のこの発言は、歌舞伎を見て義太夫や清元・長唄など邦楽に或る程度触れている方なら「なるほど」と納得できると思います。現代日本の作曲家は一音符一語主義を崩そうと日夜格闘をつづけているわけですねえ。逆に云えば西洋音楽の分野ではそれほどまでに一音符一語主義の呪縛は強いということです。(この稿つづく)

(H28・5・5)


3)一音符一音主義批判・続き

前項での団伊玖磨の、「邦楽では、たとえば「・・・に」という時に、「にィーー」がいろんな形で伸びて、息を継いで、また「イーー」とつなぐのがたくさんある」という発言を考えます。「・・・に」というのを「にィーー」と伸ばして意味が通じるというのは、どういうことでしょうか。これが言葉の一部ならば「イーー」というのは、一体何なのでしょうか。これは言葉の影・尾っぽ、あるいは言葉の裏に潜む霊魂の姿(言魂)なのか。

ところで角田忠信著「日本人の脳〜脳の働きと東西の文化」(大修館書店)という本がありますが、ここに興味深いことが書いてあります。西洋人は言葉を聞く時に、母音は右脳(つまり感情を司る部分)で・子音を左脳(つまり論理を司る部分)で処理する。ところが日本人の場合は母音も子音も同じ左脳で処理しているというのです。これは日本語では母音単音でも意味をもつ言葉がある(え=絵など)からだと推測されます。この研究が示すところは、例えば日本語の「」は子音のNと母音のIで出来ているのではなく・まさに「」という音そのものとして日本人は聴いているのではないかということです。ということは義太夫などで「にィーー」と伸ばして「イーー」を自由に転がすのを聞いても、日本人はこれをちゃんと「・・・に」と受け取っているということになります。

角田忠信:日本人の脳―脳の働きと東西の文化

ところが、同じ対談で小泉文夫が指摘するように、「(西洋音楽教育を受けたプロの日本人歌手が日本語の歌を)西洋の発生法で歌うと、日本語のアイウエオという母音がどれも同じような響きになってしまって、そのために余計に言葉が分からない歌唱になる」という現象があります。これは恐らく西洋の発生法で歌うと、「に」が子音のNと母音のIに分解してしまって「にィ」となり、子音が飛んでしまって言葉が分からなくなるということだろうと思います。問題はNI(に)の音韻を、音程ではなく・音韻を、楽譜の音符ひとつ分正しく維持できないというところにあります。無理に旋律に情感を込めようとして、ひとつひとつの音韻の形を崩しているのです。

西洋の声楽家が日本に来てアンコールで日本の歌を歌う時に、西洋発声法の人であるにもかかわらず、言葉がよく聞こえることがあります。ジェシー・ノーマンが来日リサイタルのアンコールで「さくらさくら」を歌ったのを聴いたことがありますが、ひとつひとつの音韻を手のひらに乗せて大事に大事に扱うように発声していました。山田耕作など一音符一語で書かれている歌を歌う時は、これが基本なのです。そこで興味深いと思うのは、西洋音楽教育を受けたプロの日本人歌手が日本語の歌を歌う時に、素直に「に」と出せば良いのに、思わず「にィ」と転がしてしまうということです。嫌味で言うのではなく、そこに日本の伝統の根強さを見るようで、イヤ感動してしまいますね。

だから日本語の歌を正しく歌うための発声法というのは確かにあるはずですが、しかし、その一方で義太夫や長唄を聴いて「言葉が全然分からない」と言う日本人もだんだんと増えてきているようです。これは「にィーー」と伸ばして音を転がすのを、子音のNと母音のIに分解して聞いて、これを言葉だと認識しない日本人が出始めているということです。これは息の問題にもなると思いますが、「にィーー」と息を繋いでどんどん音を転がしていくことに、聴く方が緊張を維持できないということです。

この状況が長く続くと日本語のイントネーションの細かいところを解せない日本人が増えて来るのではないかと心配になってきます。多分これは日本人の脳の言語機能が変化したということではないでしょう。そんな短い年月で変化するものではないからです。多分これは「聞き方のコツをつかめば分かる」という程度のことだと思いますが、この問題の背景に「一音符一語」の思い込みが日本人の頭のなかで邪魔しているに違いないというのが、吉之助の推測です。「にィーー」を、「これは一音符ではない・一音符の範疇を越えた」と認識して、これを「・・に」と聴き取るのを放棄して、「イーー」としか受け取らないということなのです。これでは子音が飛んで耳に母音しか残らず、言葉が分かるはずがありません。つまりこれは日本の国語教育あるいは音楽教育の問題ではないかと思うわけです。(この稿つづく)

注:本稿で「にィーー」とか「にィ」とかあるのは、文字で表現するとそうしか書けないからそう書いているだけなので、音韻の表現はそんな単純ではないということだけ付け加えておきます。

(H28・5・8)


4)さらに一音符一音主義批判

『文芸の方をみると、江戸時代からつながってきたいろんな道が、さまざまに変身しながらも明治以後のものに生きていますが、日本の創作音楽というものはあまりにも日本の伝統を切りすぎたところから出発したために、継承発展ということがなくて未整理のままに取りのこされたという気がするのです。(中略)西洋に追いつくことに急で、追いついてどうするのかということを考えていなかった。日本に特徴的な歌謡というものについても、独自の追求度が非常に希薄なのですね。たとえば日本語をどのように音型化して行くかという問題にしても、一音符一語主義が無批判的に伝承されてきて、たとえば「私はあなたを愛します」は「ワタシハアナタヲアイシマス」と13の音符で書いて疑わない。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)

例えば日本語の伝統には和歌で五七五七七という形式があったりして、明治になって西洋音楽の記譜法が輸入されても、これを割合すんなりと一音符一音で受け入れる土壌があったということです。しかし、義太夫などで「にィーー」と伸ばして「イーー」を自由に転がすのを聞いて日本人はこれをちゃんと「・・・に」と受け取るわけで、日本の伝統音楽では一音の概念が一音符に完全にぴったりと収まり切らないというのが本当のところです。これを一音符一音に無理に収めようとするから問題が生じます。現代の日本人は、なまじっか一音一音符の思い込みに慣らされてしまっているので、変な事態が起きて来ます。

例えば現代の歌舞伎でよく見られる・いわゆる「ダラダラ調の七五調」がそうです。これは七五の台詞を一音一音符で処理しており実質的に四拍子でして、それをゆっくりしたテンポと節回しで誤魔化して「こうすれば様式的・音楽的でしょ」としているのです。これは「ワタシハアナタヲアイシマス」と13の音符で無理に処理しているのと同じことです。それでおかしくなっているのです。

このように明治以降に一音符一語主義が無批判的に受け入れられた背景には、これは武智鉄二が「身体行動論」のなかで指摘していることですが、明治政府が欧米列強に追いつくのに必死で、西洋式の軍隊を装備していく必要があったなかで、日本人の兵士・特に農村出身者が「行進が出来ない・匍匐(ほふく)ができない・ジグザグ走行ができない」などの問題に悩まされ、日本人の身体のリズム感覚を西洋式に矯正することが急務であった、このため日本の小学校唱歌などで一音符一音の記譜により二拍子(あるいは四拍子)のものが奨励されて来たという事情があったりします。この件については稿を改めて論じることにしますが、本稿では本来の日本語は一音符一音の枠に厳密に収まるものではないという指摘に留めます。(この稿つづく)

(H28・5・23)


5)言葉が持つ息や抑揚を拾い上げること

前項の通り「本来の日本語は一音符一音の枠に厳密に収まるものではない」ということです。このことは、リズム面からも・音程面からも云えます。しかし、これは別に日本語が特殊だというわけではありません。例えば「Ich liebe dich」なら三つ、「Je t'amie」なら二つの音符で表現できるのが当たり前であるが如くに団氏は言っていますが、ドイツ語の「Ich」という音韻・イッヒがひとつの音符に当てはめるのが本当に当たり前のことなのでしょうか。そういうことをちょっと考えてみる価値はありそうです。音韻学では「イッヒ」でひとつの音韻と理解しますが、イッヒの「イ」に音程が 当たるなら「ッヒ」の音って何なんだということです。ここに音のズレが生じてきます。そうすると音韻はひとつの点と云うよりも、或る種の長さと幅を持つ領域と理解され、ひとつの音符にイッヒの音韻を押し込めることの不自然さに気付くはずです。ひとつの音符に当てはめられるイッヒの音韻には、リズム面から見ても・音程面から見ても、微妙なズレがあるということです。このことを逆に云うならば、このズレをどう上手に生かすかが、歌を感情豊かに表現するための手立てとなるのです。そこに表現の無限の可能性があることになる。ですから音遣いという考え方は、別に義太夫節 だけの特殊な用語というわけではなく、ドイツ歌曲にもシャンソンにも同じようなものがあるのです。ただし、日本の音楽の場合には、明治になって西洋音楽の概念が突然流入して来て・そこに伝統の断絶があり・そこに接ぎ木した形で一音符一音の概念がよくやく定着してきたということなので、状況がより複雑であるということは云えます。

明治になって何が何でも西洋列強に追いつけという世の中になって、江戸時代までの邦楽の伝統が否定され、音楽面でも西洋音階の音程とリズムによる唱歌が奨励されました。このことは西洋音階に慣れない民衆に様々な波紋 とストレスを呼び起こしました。武智鉄二は、明治の地方の尋常小学校で「これは私たちの唄ではありません」と言って唱歌を歌うことを拒否した女の子の話をエピソードとして挙げています。明治期には洋楽を聴くと頭が痛くなるとか吐き気がするという人が多かったのです。最初は民衆も西洋音楽に対する拒否感覚が先に立ったものでしたが、学校教育で一音符一語主義の唱歌に民衆はだんだん慣らされて行きます。教育の力というものは、或る意味恐ろしいものです。歌謡曲の歌手にも音程の良い人が出て来ます。戦後の美空ひばりはその代表格ですが、そうした流れのなかで突然先祖返りみたいな現象が起きて来ます。「日本音楽の再発見」のなかで団氏は森進一の歌唱について触れているので、その部分を挙げておきます。

『たとえば森進一の「襟裳岬」なんかがその一つだろうと思いますが、歌の世界の常識では、森進一と云う人の声は常識外のものでしょう。クラシックの発声から見たら、彼の声は85%息が漏れている。声楽のレッスンなどを受けに行ったら、あなたは音楽をやめた方がいいと言われるでしょう。(中略)しかし、日本人が永年培ってきた声の美学が存在しているわけだから、そういったものと森進一の声とが続いているのかも知れない。(中略)ピアノのキーで探ってみると、「襟裳岬」の一番高いところは加線一本のAフラットと、これは素人では出ません。でもあの人の新内風の発声は下の方に共鳴音が多くある関係で、低く聞こえるのでしょう。実際は志寿太夫クラスの大変高い音を出していることが、ピアノのキーで探ってみて初めて分かりました。』(団伊玖磨・「日本音楽の再発見」・・・小泉文夫との対談・平凡社ライブラリー)

同じ対談で小泉氏も、森進一や布施明の歌は新内や清元など浄瑠璃のテクニックだということを云っています。このことは一音符一語主義で書かれた楽譜を、「に」の音を「にィ」とにじって(注:「にじる」とは押し付けて揺り動かすの意味)処理する歌唱法が出て来ます。つまり一音符一語で拾いきれない情感を、音をにじり・ずらすことによって拾い上げるということなのです。これは彼らが新内や清元を勉強したということではなくて、日本人の感覚のなかに染みついたものが、何かの拍子に滲み出たということなのでしょう。そのような先祖返り的な現象もありますけれど、吉之助が感じるには、昨今の歌謡曲・特にJポップと呼ばれるものはほとんど一音符一語が「当たり前」化しており、歌詞が持つ息や抑揚を旋律が拾い上げるというところがあまりないようです。言葉とかけ離れたところで旋律が付けられています。こういう状況においては、詩歌という形式が衰退するのも致し方ないことであるなあと思います。(この稿つづく)

(H28・5・29)


6)音遣いのこと

「音遣い」というのは義太夫の詞章を語る技巧のことを指し、語りの基本となる地合(じあい)に、情緒的で歌のような要素を加味し曲節に変化を与える手法とされますが、本稿ではもっと広義に、言葉のひとつひとつの音韻の微妙な取り扱いのことを「音遣い」であると捉えたいと思います。ところで、吉之助が師としている武智鉄二が、富岡多恵子氏との対談で「音遣いというのは具体的にどういうことなんですか」と問われてこんなことを言っています。

『あれはね、おなかへ力を入れますと、声帯を振動させないで声を出すようになるわけなんですね。つまり反NHKでね、声帯でものをいわないわけです。声帯の周辺の筋肉が振動して、声が出るわけ。だから声帯自体はつぶすわけですね、昔は。』(武智鉄二、富岡多恵子との対談:伝統芸術とは何なのか〜批評と創造のための対話」・学芸書林)

伝統芸術とは何なのか―批評と創造のための対話

具体的に・・と問われているのに、武智の言うことは禅問答みたいに相手を煙に巻いている感じさえしますが、もう少し武智の話を聞きましょう。

武智:だから、おなかに力を入れて、こうやって「音」・・・それを「音」っていうんですけどね、「音」で話をする。
富岡:浄瑠璃語りっていうのは、その「音」を中心に使っている。「音」だけで語っている。
武智:そう、理想的にいえば、全部「音」。「風」っていることを節だけだと思ってんですよね、いま。節のなかに「風」があるように思ってんです。作曲自体がね、「風」だと考えている人までいるわけです。そうじゃなくて、「作曲」というものはないんで、「節付け」で、全部同じ節なんだけども、それの表現の仕方が「風」なんだということですね。
富岡:だから人によって違うわけですね。
武智:ええ、人によって違うんだけど、同時に均一化するわけです。古典的なノルムがあって、それに向かって無限に近づいていこうという考え方ですからね。それはまず肉体を除去して、神の声になることから始まるんじゃないですかね。それが音遣い。

(武智鉄二、富岡多恵子との対談:伝統芸術とは何なのか〜批評と創造のための対話」・学芸書林)

話が具体的になるどころか、「風」ということが出て、話がますます謎めいてきます。これは武智が真面目に答えていないのではなくて、こういうのを説明するのは難しいのでしょうねえ。ともあれ弟子である吉之助は、浄瑠璃においては初演した太夫の語り口そのものを「風」とし、これを規範とする、その「風」(語り口)に少しでも近づこうとするための喉の遣い方が「音遣い」であると云うのが、武智の言いたいことだと考えています。つまり、義太夫用語としての音遣いというものは、平たく言えば、初演太夫の語り口を意識した音韻の置き方・音符に対する言葉の乗せ方ということになると思います。これならば恐らくドイツ歌曲にもシャンソンにも同じようなものがあると断言でき ます。(この稿つづく)

(H28・6・5)


6)音遣いのこと・続き

音遣いというのは、平たく言えば、音韻の置き方・音符に対する言葉の乗せ方ということになります。ただし正確に云えば西洋音楽のドイツ歌曲ならば音韻を音符に乗せるわけです。義太夫の場合は太夫が三味線のツボを外していくので・やっていることは逆であるように見えますが、これは太夫が三味線をはずしたところに音を置くと考えればよろしいわけですから、このこと自体に相違はないと考えます。

日本の伝統には、和歌の形式の五七五七七のように一語に一音を当てる概念が昔からあったので、西洋音楽の五線譜の楽譜に一音符一語を当てはめることに日本人はさほど抵抗を感じなかったのかも知れません。しかし、短冊に文字を書くのとは違って、歌となるといろんな問題が生じて来ます。日本語で歌を歌うと、音程面でもリズム面でも西洋音階に言葉がぴったり乗らないことがあるのです。

実際、義太夫など古い録音に合わせて唸ってみると、これは何の音だ?というような音韻に必ずぶちあたります。例えばアでもなくエでもなく、中間音のような・そうでないような。そういう音韻はひとつの音符にはまらず、捉えどころのない、非常に曖昧な音程を生じます。吉之助はクラシック音楽を聴 きつけている人間なので、このような捉えどころのない音を聴くと、脳内が宙ぶらりんになって、無調音楽を聴いている気分になったものです。このような曖昧な音韻は五線譜ではどれほど調性を工夫しても、その微妙なニュアンスを表現することはできません。(因みに武智鉄二はバルトークやシェーンベルクなど現代音楽に強い関心を持ち、それと同様な感覚を邦楽のなかに見ました。だから吉之助と同じように、武智も西洋音楽脳であったことは間違いありません。)

どうしてこうなるかは理由がありそうです。日本語は五十音というけれど、実際にはもっといろいろな音韻があるからです。武智鉄二がこんなことを言っています。ちょっと長くなりますけれど、引用してみます。

『五十音表を見ますと、ンの字まで入れて、日本語は五十一の言葉の組み合わせだと思われているかも知れないが、実際に用いられる言葉はそうではないのです。子音の方はほとんど動きませんけれど、母音は非常に動くのです。たとえば能の発声を取りますと、能にはアという音はないわけです。純粋なアという発声はございません。一番多く使われる母音はウの音です。「これは」という場合でも「KOREWA」とは発声しません。強いて発音記号で記すと「Kouruewua」という風にみなウの音に近い感じで、オもアも、みなウの音に直して言います。アと言う時も、唇の開き方はウの形で言うのです。嬉しい時はエの口で言います。能ではこの二種類しかありませんが、歌舞伎や狂言などで、それから驚いた時とか感動した時はオの口で言います。悔しいのをこらえるとかいう時はイ。アはほとんど使わない。(中略)つまり、母音を五つの感情、「アハハ」と笑い、「イヒヒ」と笑う、「ウフフ」「エへへ」「オホホ」がそれぞれ微妙な感情、愉悦とか猜疑とか軽蔑とか抑制とかの、差異のなかで捉えて、それを本来の五音、アイウエオと掛けあわせたら5X5=25、つまり二十五種類の母音を、日本語は実際には持っているということなのです。もちろん、さらにそれがその間にいろいろな段階があるでしょうから、実際にはもっと無限に変化するでしょうけれども、基本的には抑制、悲劇的な時にはウの型になるし、喜ぶ時はア、驚く時はオという風に、母音の扱い方は感情と結びついて、様々に変化するのです。(中略)大体イタリア語は英語やドイツ語と比べて割合母音の少ない言語ですが、それでも日本語よりは多様なのではないでしょうか。英語とかドイツ語になると、ずいぶん母音の数が多くなりますが、実際の用法としては日本語も二十五の母音を持っているわけで、かなり多い方なのではないでしょうか。音遣いということを義太夫などで申しますが、これはいろいろな要素を含んでいますが、そのひとつに、やはり風情の変化にともなう母音の変化も含まれていると思います。母音を音色によって変化させて、感情が正確に伝わるように、そういう配慮がなされることになるのです。』(武智鉄二:日本語における母音と子音の問題〜創作オペラのために一課題」、昭和54年)

武智は二十五種類の母音と言っていますが、実際に発声される音韻は、個人の口腔構造や発声の癖によっても微妙に変わるものですから、変化パターンは無限にあるということです。だから音符にはまらない音韻が実はたくさんあるわけですが、そういう微妙なものも文字にしてしまうと区別されないで一緒にされてしまって、日本語は五十音だということになってしまうのです。義太夫の場合(「風」と云うと節回しのことばかり考えがちですが)、初演の太夫の、そのような独自の微妙な音韻の使い方も「風」の概念の重要な要素としていると考えてよいのではないでしょうか。(この稿つづく)

(H28・6・22)


8)声に出してみた言葉から考える

ここまで音遣いのことを逍遥してきましたが、これは簡単に結論出せるようなものでないので、ちょっと脱線して本稿を締めたいと思います。先日、柳田国男の本をパラパラやっていて、こんな文章が目につきました。女性の話し言葉で「知らないワ」などとよく最後にワを付けます。これは女言葉というわけではなく、京阪地方では男がワということも普通にあります。柳田はこれについて、末尾のワは人称代名詞で「私は」の意味だというのです。

『日本人は、何か思ったことを人に告げる場合に、ワの一語を下に沿えまして、「それを言う者は自分である」ことを明らかにする習わしがあったので、文章語ではまったく跡を潜めておりますが、和歌のみにはまだ少しばかり保存せられている「われは」と同じく、人称代名詞の一つの置き所だったのかと、私は考えております。(考えております、私は。)日本語は代名詞の不要な言語、少なくとも代名詞の使用度の少ない国のようにいう人があるのは、いわば文章の本ばかりで、日本語を学び得たと思っている先生方であります。(中略)私を文章の始めに置か ねばならぬようにしたのは、漢語か英語かは知らず、とかくに外国語かぶれのようであります。』(柳田国男:「毎日の言葉、知ラナイワ」・昭和21年)

柳田国男:毎日の言葉 (角川ソフィア文庫)

ところで柳田や折口などの本を読んで学ぶ時のコツを披露しておきたいと思います。恐らく上記の引用を読んだ時に「ワというのが人称代名詞だというのは本当のことかなあ?」というところで留まる方が結構多いと思います。しかし、この文章で本当に大事なところは、そこではないのです。そういうところはいろんな意見がありますのでね、そこはそういうものかと流しておいて、本当に学ぶべきところは「日本語を考える時に書き言葉だけで考えては駄目、話し言葉・つまり音声で考えなければならない」ということです。そこを踏まえてから、「それを言う者は自分である」ことを明らかにする習わしがあったというところに戻って考える、そういうプロセスが必要になります。柳田はそのようなプロセスを経てワが人称代名詞だという自論に辿り着いているのですから、学ぶべきところはそこです。

歌唱あるいは舞台の台詞を考える時、声に出してみた言葉で考えるしかないのです。抑揚とかアクセントとかリズムとか、そういうことが大事だということです。どんな場合においても、言葉は美しく発声されねばならなりません・正しい発声は美しい・美しくないならばその発声は正しくない、そういうことだと思います、吉之助は。最後に付け加えますが、西洋音楽の五線譜に日本語を乗せようとした先達・山田耕作や団伊玖磨の努力が空しかったと云うことではないのです。先達の努力は本当にいじらしいほどに尊いものです。そうした努力の積み重ねで現代日本の文化が出来ているわけです。現代の我々が早急にしなければならないことは、声に出した日本語の感覚を取り戻すことかも知れませんね。

(H28・6・26)


 


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