(TOP)          (戻る)

「息を詰む」ということ〜いわゆる「歌舞伎らしさ」を打破する為のヒント


1)「我を捨て置き・・・船に乗られよ」

先日(9月14日)、Eテレで勘九郎の対談番組を観ていたら、平成19年のこんぴら歌舞伎での「俊寛」の稽古場面であったか、勘九郎演じる丹波少将が千鳥を抱きしめつつ、「俊寛殿、康頼殿、我を捨て置き船に乗られよ」 と言うところを、勘三郎(俊寛)が「そうじゃない」と制して、「我を捨て置き・・・船に乗られよ」という風に指導している場面が放送されました。「我を捨て置き・ ・」で間 (ま)を取って、「一緒に帰りたいのは山々なれど致し方ない」という思い入れを加えて、「・・船に乗られよ」と言うわけです。この「我を捨て置き・・」の間合いで、勘三郎はポンと床を叩いて息の取り方を教えました。歌舞伎では間合いをこういう仕方で教えるわけです。こうやれば、確かに歌舞伎らしくなるかも知れません。しかし、吉之助はこの 台詞で間を入れることに、あまり賛成ではないのです。「我を捨て置き船に乗られよ」は一気に言うべき台詞だと思います。その理由をいくつか挙げます。

まず「俊寛」の・この場の事態が切迫しているということがあります。これは先ほどまで俊寛僧都が船に乗れるか乗れないか大騒ぎした直後のことです。丹左衛門の計らいで一旦決着したとは言え、裁きを無理に変えられた瀬尾の機嫌が良いはずがない。流人一堂は「一刻も早く船に乗って安心したい」という、そういう気持ちなのです。案の定千鳥の乗船が瀬尾に止められます。少将は現地妻・千鳥を置いて行くわけに行かず、悲嘆のなかで「我を捨て置き船に乗られよ」と叫ぶのです。瀬尾の腹の虫次第で、俊寛・康頼もまた船に乗れなくなってしまうかも知れない・だからあなた方だけでも一刻も早く船に乗ってくれ・・・というのが、ここでの少将の気持ちです。「我も一緒に都に帰りたいのは山々なれど、この事態となっては悲しいけれど致し方なし」なんて悠長に思い入れをやっている時間はない。だから「我を捨て置き船に乗られよ」は一気に言うべき台詞だということは明らか なのです。

さらに言うならば、「我を捨て置き・・・船に乗られよ」という場面で「中村屋!」という掛け声を掛ける大向うはよもやいまいと思いますが、タイミングとして掛け声を掛けるだけの 十分な間がここに あります。吉之助にはこのような台詞の間は、「掛け声頂戴」のようにとてもクサく感じます。ここで「我も一緒に都に帰りたいのは山々なれど致し方なし」などという愁嘆の思い入れを入れることは、心理表現の綾を深めるものだと考えるのは間違いで、ドラマの局面が急旋回している時には、これは流れ を止める行為であると吉之助は思います。こういうところはサッサとやらねばならぬところなのです。

もうひとつ、少将はワキなのですから、ここで「我を捨て置き・・・船に乗られよ」と思い入れを入れることは、仕打ち(演技)として役の本分からはみ出ることになるのです。この台詞が俊寛の台詞ならばまあ良いとします。それは俊寛がシテであるから 許される。しかし、歌舞伎というものは、局面局面がモザイクのように組み合わさって全体を成すという感覚が何となくありますから、「我を捨て置き・・・船に乗られよ」で、一瞬のことだけれど・この間合いで少将役者がシテ感覚を取るのも良いじゃないかという雰囲気があるかも知れません。こういうことの集積がドラマの密度を下げます。これは千鳥役者がこの後の場面で「喜界ヶ島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや・・」と愁嘆場をたっぷり車輪にやって良いということとは、まったく別のことです。

勘三郎が息子に「我を捨て置き・・・船に乗られよ」という台詞の間合いを教えることは、役者の感覚として吉之助は理解できますが、こうした感覚の裏には「俺たち役者はいつだってこんな風にしてやってきた」という・いわゆる「歌舞伎らしさ」の思い込みがあるように思うのです。勘三郎は平成中村座やコクーン歌舞伎で古臭い歌舞伎の感覚にメスを入れようと戦ってきたわけだけれど(このことは正しく評価されなければなりません)、残念ながら、勘三郎はいわゆる「歌舞伎らしさ」に染まった古典歌舞伎のダルい要素についての批判までは提起できなかったと思います。これは残念なことでした。もし勘三郎が長生きして、そのような古典の再検討へ行ってくれれば良かったなあなどと、そんなことを思いますね。

2)「息を詰む」ということ

実は吉之助が本稿を書いている動機は上述のことになく、別のところにあります。「我を捨て置き・・・」の間合いで勘三郎がポンと床を叩いたことです。この教え方が良くないと吉之助は思うわけです。ポンと床を叩いて間合いを落とすことで、そこで息が抜ける感じがします。事実、手本で勘三郎がやってみせた「我を捨て置き・・・・船に乗られよ」の台詞と、勘九郎がその後でやった台詞とは、間合いは似てるようだけれど、息の取り方が全然違います。勘九郎さんには、そこの違いが分かるようになって欲しいものです。この1分足らずの映像だけでも、父上の手本と全然違うと、勘九郎さんは思いませんか。

手本で勘三郎がやってみせた台詞では、「我を捨て置き・・」で台詞を止め・目を瞑って思い入れを入れる時に息を詰めていたでしょう。そしてそのままの息の状態から「船に乗られよ」を言っています。一方、勘九郎は目を瞑って思い入れを入れる時に嘆息して息が抜けています。だから「船に乗られよ」の直前に息を継いで「我を捨て置きハァ船に乗られよ」になっています。その息継ぎのきっかけに勘三郎が床を叩くポンが入ってます。これでは「息が詰んでいない」ことになります。勘九郎は息の取り方が分かっていない。しかし、それは勘三郎が 「床をポンと叩く」教え方が、悪いからでもあります。

ここで「息を詰む」という芸道用語が問題になります。「息を詰む」とは呼吸を止めることだと思っている人が多いでしょうが、そうではありません。「息が詰む」とは台詞を言う過程で 息を吸った状態で止めて、横隔膜が下がった状態のまま宙に止める「中留め」の呼吸状態のことを言います。だから、肺の緊張状態が保持されています。これは「我を捨て置き・・」の台詞のリズムの打ちを大きくテンポ・ルバートする手法だと言うことです。ルバートとはリズムを 打つのを保留することです。勘三郎がその感覚を正しく理解しているならば、床を叩くポンと叩く(息を落とす)ことは有り得ないことです。ですから、勘三郎も演技としては正しく出来ているけれど(これは親の仕込みということでしょうねえ)、理論として「息を詰む」ということが正しく理解できていないと思います。

逆に言えば、「息を詰む」ということがホントに理解できているならば、「我を捨て置き船に乗られよ」は一気に言うべき台詞だということに当然なるのです。「我を捨て置き・・」で間合いを取るというのは気持ちが悪いという感覚になるはずなのですね。ですから、もう一度蒸し返しますけど、勘三郎がいわゆる「歌舞伎らしさ」に染まった古典歌舞伎のダルい要素についての批判を提起できなかったということは、勘三郎 の芸の突き詰めがまだまだ甘かったということになると思います。

勘三郎が憧れてやまなかった祖父・六代目菊五郎について、戸板康二は、菊五郎は大見得を切らない人であり、切れない人だったと書いています。『菊五郎だけは、見得が一呼吸だったのである。あっという間に見得が決まってしまい、静止はただちに継ぎの流動へ移行しているのだった』と戸板は書いています。そのような一呼吸の見得は、菊五郎の息を詰む呼吸から来ているということを、祖父の芸を継ぐという観点から、勘三郎はどう理解していたでしょうか。菊五郎にはいわゆる「歌舞伎らしさ」への批判があったと思います。これは大事なことなのです。

戸板康二:六代目菊五郎  (講談社文庫)

菊五郎の見得については、歌舞伎らしいたっぷりした面白さがないという批判がないわけではないです。これは見解の相違というべきですね。菊五郎ならば「それこそ俺が嫌うものだ」と言い返したかも知れません。それは兎も角、「我を捨て置き・・・・船に乗られよ」で間を入れることは、いわゆる「歌舞伎らしさ」を表出する技法として世間に一定の認知を得ていることだと思いますから、この手法を受け入れるとしても、「我を捨て置きポン船に乗られよ」という教え方は吉之助には受け入れらませんね。

3)いわゆる「歌舞伎らしさ」の源

本稿で吉之助が問題としたいのは、歌舞伎役者は日常の二十五日興行制のなかで芸を習得する為の十分な時間が取れず、数日の舞台稽古で芝居を見られるものに仕上げていかねばならない、だから、芸の修行より「とりあえず見られるものに仕上げていくことが 先決」みたいな感覚になっているということです。例えば「我を捨て置きポン船に乗られよ」という感じ(これと「我を捨て置きハァ船に乗られよ」はほぼ同じです)になるのは、役者の根底に何かが問題としてあると云うことです。その原因のひとつは七五感覚、もうひとつは二拍子感覚にあると思います。この感覚に演技を沿わせることで、役者は即席でいわゆる「歌舞伎らしい」演技を作り上げて行くということです。それは練習に時間が取れない役者の悲しい知恵なのです。

まず「我を捨て置き船に乗られよ」を写実に言うならば、そのリズムは

「われを/すて/おき/ふねに/のら/れよ」

であると思います。吉之助ならばそのように指導すると思いますが、歌舞伎役者ならば「我を捨て置き船に乗られよ」という台詞を次のような七五のリズムに理解するでしょう。

「われをすておき(七)/ふねにのられよ(七)」

さらに、吉之助はこれをダラダラ調と批判的に呼んでいますが、歌舞伎役者は一音符一音に理解して四分の二拍子で、この台詞を処理していきます。まず考えられる処理方法は、

「われ/をす/てお/き●/ふね/にの/られ/よ●」

でしょう。一音符一音に分解しますから、ここでは語句は消し飛んでいます。「す/てお/き」という切り方は本来おかしいのですが、一音符一音だからこれでも良いことになる。歌舞伎では言葉の意味を取るより、二拍子のリズムを取る方が重要 なのです。「聞けば意味は分かるだろ」みたいなもんです。別に定まった歌舞伎の言い方があるわけではないのですが、あるいはこれを一気に言うべき台詞と考えれば、

「●わ/れを/すて/おき/ふね/にの/られ/よ●」

という言い方もあり得ることになります。こちらの方がまだ演技者としての良心が感じられる気がしますが、歌舞伎役者が取るのは、まあ前者でしょうね。このように、いわゆる「歌舞伎らしさ」では、七五感覚と二拍子感覚が奇妙な形で折り合いが付いています。これにさらに「歌舞伎らしい」思い入れを加えるとすると、

「われ/をす/てお/き●/ポン/ふね/にの/られ/よ●」

「われ/をす/てお/き●/ハァ/ふね/にの/られ/よ●」

ということになるのです。まあどちらも似たようなものです。要するに、勘三郎も勘九郎も(息の詰めは別にして)台詞のリズムを二拍子感覚で捉えているということです。歌舞伎役者のなかに巣食う、この安直な七五感覚と二拍子感覚の絡み合いを取り払わなければ、歌舞伎の写実感覚は戻らないでしょう。ますます歌舞伎は様式の方に流れて行くことになると思います。なぜならば、いわゆる「歌舞伎らしさ」のなかで七五感覚と二拍子感覚が奇妙な形で折り合いが付けているということは、「息を詰む」ということの放棄に等しいからです。 これがいわゆる「歌舞伎らしさ」の源なのです。

歌舞伎の或る名人は、「我を捨て置き/船に乗られよ」で息を詰んだ演技をして、その間合いに少将の心情の綾をさりげなく加えて見せて、しかも演技がふっくらとして、確かにそれがとても良かったのです。そして、その良さの記憶だけが後世に残ります。しかし、どうやってその良さが表現できたか、その秘密が誰にも分からない。ある人は「あの間合いが良かったんだ」と主張する。しかし、巧く教えられない。ある人 が「我を捨て置き/ポン/船に乗られよ」でやれば、何となく似ていると思う。そうやると、名人の秘密が分かったような気がする。それでみんなが「我を捨て置き/ポン/船に乗られよ」とやるようになるのです。だけど、形だけは似てますが、それは名人の演技とは全然違うものなのです。息を詰むということがすっかり忘れ去られてい るからです。歌舞伎には、そういう風にして残った歌舞伎らしい(と思われている)「型」が、実はいっぱいあるのです。そういう「型」は、実は生きていない。そういう「型」を本当に蘇らせるには、息を詰むことを習得せねばならないのです。

ですから「我を捨て置き/ポン/船に乗られよ」というのは、「息を詰む」ということを放棄したところで、間合いの形だけを手っ取り早く教える指導法です。勘三郎はそういうことを考えたかな。しかし、勘三郎は「我を捨て置き/●/船に乗られよ」で、ちゃんと息を詰んでいま した。だから、勘三郎は身体では分かっているけど、上手く教えられていないということなのだな。しかし、そこを勘九郎が「我を捨て置き/ポン/船に乗られよ」で受け取ってしまったら、そこで終わりなのです。ですから、勘九郎さんに言いたいのですが、番組のあの場面(一分)くらいで、父上が「我を捨て置き/船に乗られよ」をどうやってるか、もう一度、ちゃんと見直しなさい。そうすれば役者として、ひと段階上に行けると思います。

(H25・9・16)

(追記)本稿の続編として「七五感覚と二拍子感覚」もご覧下さい。


  (TOP)         (戻る)