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古い映像を見る楽しみ


○古い映像を見る楽しみ

歌舞伎座が再開場して3ヶ月が経ちまして、歌舞伎に歌舞伎座があるのが当たり前の落ち着いた気分に、やっとなってきたところです。ところで、歌舞伎ファンの間で話題になっているのか・いないのか良く分かりませんが、6月末から東劇でシネマ歌舞伎クラシックという企画をやっています。(〜7月19日まで。)演目は昭和56年1月の六代目歌右衛門の「隅田川」、昭和58年1月の歌右衛門の「十種香」、昭和56年5月の十七代目勘三郎の「髪結新三」、平成9年9月の雀右衛門と富十郎の「二人椀久」に昭和59年4月の芝翫の「年増」です。(いずれも歌舞伎座)

吉之助はこれらの舞台を三階席から生で観ましたが、懐かしさもあったので、東劇に行って来ました。こういう映像は、昭和の歌舞伎を知らない若い歌舞伎ファンにこそ見てもらいたいものですが、客席を見回すと、やはり当時の舞台を見たであろうご年輩の方が多いように思いました。確かに芝居というのは生を見るのが基本ではありますが、有難いことに昭和50年以降は比較的映像記録が 多く残されていますから、探せば昭和の大幹部の舞台は結構見ることが出来ます。十八代目勘三郎や十二代目団十郎も、もう映像でしか見ることが出来ないわけです。若い歌舞伎ファンで、これからもっと深く歌舞伎を知りたいという方は、是非意識して映像を見て欲しいと思います。

吉之助は、クラシック音楽の場合でもそうですが、この曲の・この箇所をこの演奏家はどう弾いたかなという時に、手持ちの複数音源を、いろんな演奏家でとっかえひっかえつまみ聴きすることがよくあります。またそういうことが、楽曲分析の時に非常に役に立ちます。そういう聴き方が身についているので、歌舞伎映像でも手持ち映像を比較視聴することがしばしばです。もっとも吉之助は批評して文章を書くために映像を見ますので、こういう見方が誰にでもお薦めというわけではありませんが、得るところはとても多いと思います。大事なことは、こっちの方が良くて・ あちらは駄目とか、そういう決め付けをしないで見ることです。どんな解釈でも、それはそれとしてバックグラウンドというか・裏付けがありますので、そういうものはそういうものなのだなあと受け入れて見なければなりません。

今回改めてみた十七代目勘三郎の髪結新三(昭和56年5月歌舞伎座)のことでいうと、これは十七代目の一番最後の新三の舞台であったと思います。確かに晩年のことゆえ、万全とはいかないところがありますが、初めてこの映像をご覧になった若い歌舞伎ファンはどのようにお感じになったでしょうか。まず言えることは、思いのほか散文的な演技であるということです。これで歌舞伎なの?と云う方がいるかも知れない。これをちょっと崩れた感じできりっとしない世話だと受け取るか、力が抜けたいい感じの写実の世話だと受け取るかで、評価が分かれるところかも知れません。これはどちらの要素もあるところですが、型物的な世話物歌舞伎のお手本を見ようとすると、裏切られます。息子の十八代目の髪結新三の方がかっきりしていて、型物っぽい新三なのです。逆に云えば、意識的に型っぽくしないところが十七代目の特徴だと言えます。そういうところが、六代目菊五郎から十七代目・十八代目勘三郎へ向けて、線を引いて みると見えてくる。そこへ補助線として二代目松緑の新三へ線を引いてみれば、このことがもっとよく見えてきます。

例えば永代橋で新三が忠七を蹴倒して言う七五調のツラネなど、十七代目は「これよく聞けよ・・・」からの出だしは七五のリズムがきっぱりしない。というよりもリズムに乗るのを意識的に避けているような散文的な感触がある。(ここが大事なポイントなんですがね。)しかし、途中の「・・相合傘の五分と五分」というところではテンポを遅くして・そこをちょっと時代に張り気味にして、台詞にアクセントを付ける。ここでさりげなく七五のリズムを付けて おいて、また台詞を散文に戻す。台詞終わり付近の「覚えはねえと白張りの・・」でここをまた時代に張って、「しらをきったる番傘で・・・べったり印をつけてやらあ」をサラッと世話に流す。ですから、全体を散文で流しているように見えるけれども、勘所は しっかり七五で押さえており、微妙に台詞の色を変えている。台詞のなかに世話と時代の活け殺しがちゃんとあるわけです。実に巧いものですよ。

これと比べると、十八代目はかつきりはしているのだけれど、台詞の色はひと色でした。 十八代目の台詞が良くないと言うのではなく、このことから平成の歌舞伎が保守化の方向に傾いていることを読み取ってもらいたいわけです。ううむ、もし十八代目が七十代にまで長生きしていたとして、この十七代目の台詞の域にまで達したかな、そんな十八代目を見たかったものだなあなどと、そんなことを思いながら、十七代目の「髪結新三」の映像を見ていたのですがね。

(H25・7・4)


○古い映像を見る楽しみ・その2

前回シネマ歌舞伎クラシックについて触れましたが、昭和58年(1983)1月の歌右衛門の「十種香」について、ちょっと考えます。歌右衛門は大正6年(1917)1月生まれなので、 当時66歳の映像ということになります。歌右衛門はこの後、平成2年4月歌舞伎座でも八重垣姫を演じていますから、最後から2番目のものです。年齢を計算していてちょっとビックリしましたが、現時点の菊五郎(70歳)よりも若く、玉三郎(63歳)よりちょっと上 だったということになるわけです。こういうことは個人差が大きいことで、単純比較は出来ませんが、 玉三郎があの美しさをここまで維持しているのは稀有なことだと改めて思いますねえ。(注:歌右衛門が美しくないということを言っているのではないので、念のため。)

ところで、当時の歌舞伎界での歌右衛門の位置(格)は、今に置き換えてもずば抜けて重いものでしたから、吉之助も当時、歌右衛門の一挙一動を見逃すまいと息を詰めて見たものです。歌右衛門の演技は見る者に緊張を強います。「十種香」自体がダレる場面がある芝居ですから、吉之助もさすがに緊張が途切れる時があり、「ここちょっともたれるなあ・・・ そう言えば三十年前も同じところでそう思ったな」などと、変なところで当時のことを思い出しました。もっとも吉之助は歌右衛門崇拝ですから、当時もこれを有難がって見たわけです 。

それは兎も角、生の歌右衛門の舞台を知らない・若い歌舞伎ファンの方は、この映像を見てどうお感じでしょうかね。「あ〜あ、演技がダラダラ長くて詰まらないなあ」とお感じか、 あるいは「(玉三郎さんと比べると)見掛けがちょっと気持ち悪〜い」とお感じか、まあそうお感じであったとしても別に不思議ではないこと です。玉三郎の美しさが歌舞伎の女形の基準になっている平成の世に、いきなりこの歌右衛門の映像を見せて「これこそ歌舞伎の女形の美だ」と言っても、ビックリするのも無理はないと思います。

しかし、願わくば、「演技がダラダラ長い」・「見掛けがちょっと気持ち悪〜い」という率直な印象をそのまま胸に秘めて、こういう奇妙な味が歌舞伎の味なのかなと思って歌舞伎を見続けていただければ・・・と思いますね え。三島は初めて歌舞伎の女形を見た時(十二代目仁左衛門演じる顔世御前)に、「歌舞伎には、なんともいえず不思議な味がある。くさやの干物みたいな、非常に臭いんだけれども、美味しい妙な味がある」ということを子供心に感じたと後年語っています。(「国立劇場俳優養成所での特別講義」昭和45年)そのようなくさやの味を、歌右衛門の八重垣姫に も感じてもらいたいものです。

30年前の吉之助が歌右衛門の八重垣姫に感じ、今度も映画を見て改めてありありと思い出したのは、「美しい着物着て化粧をした何か奇妙なものがヒナヒナ動きながら、そこに絶対的な美の概念を提示しようとしている」という、その感覚です。この感覚こそ 吉之助の歌舞伎観の原点です。美しい役者が演じているから八重垣姫が美しいというようなことではない。「美しい八重垣姫がいる」というイメージだけがそこにある。歌舞伎を見ながら、このようなことを考えさせる役者は、吉之助にとって、昔も今も、歌右衛門だけなのです。

(H25・7・10)


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