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歌舞伎役者の稽古


今月(平成25年1月)6日のNHKで「父と子 市川猿翁・香川照之」(このタイトルは市川猿翁・中車とすべきでは?香川照之の方が世間に通りが良いのは分かるが。)というドキュメンタリー 番組をやってましたので見ました。46歳(昨年6月襲名時)で歌舞伎の世界に飛び込むというのは大変なことですが、複雑な家庭事情があって歌舞伎から隔絶されていたわけで、ご本人が記者会見で「この船に乗らないわけにはいかない」と語った気持ちは良く分かる気がします。その辺のことは週刊誌にまかせて・「歌舞伎素人講釈」では置いておくことにしますが、本稿では、今後中車がどんな風に歌舞伎を 稽古していけば良いかということを考えてみたいと思います。

昨年6月新橋演舞場での襲名興行の中車の「小来栖の長兵衛」については危ぶまれたほどではなかった、まあ初体験ならこのくらいのものかなと許せるレベルではあったということで、まずまず無難なデビューであったと言えましょうか。役が身の丈に合っていたと思います。風貌が曽祖父(初代猿翁)似なのかもしれませんね。しかし、翌月の「将軍江戸を去る」(山岡鉄太郎)はちょっと重荷のようであったし、今月(平成25年1月) 初日の大阪松竹座での「楼門」(石川五右衛門)でもキツイ掛け声がかかったようですから、これから苦労することと思います。「俳優・香川照之・歌舞伎に挑戦」の話題も、いつまでも続くわけではありません。観客もだんだん許してくれなくなります。しかし、吉之助は 「46歳からのスタートでは歌舞伎は無理だ」などと全然思っていません。うまくコツをつかんで、適切な自分の位置を見出せば良いことだと思います。「コツ」をどうやってつかむかが問題なのです。

吉之助が中車のドキュメンタリーを見て「ふ〜ん?」と思ったのは、誰かがお手本をしてみせて・「こんな風にやるんだよ、真似してやってみな、駄目だよ、もう一回」みたいな 稽古の仕方を、歌舞伎は相変わらずやってるんだなあと思ったことでした。コツは自分で掴め、自分で盗めというわけかな。まあそういう世界もあるわけですが、もう少し理論があっても良いのになあと思いました。吉之助がちょっと見ただけでも、ここをちょっとアドバイスして助けてやれば感じがかなり変わるのに・・と思えるのです。

これまでの舞台を見る限り中車は歌舞伎の「イキ(息)」の取り方がまだ分かってないようです。リズム感覚と言っても良いです。例えば、今回、断片が放送になった「楼門」初日の五右衛門も、見よう見真似で頑張っていますが、「絶景かな」でいきなり大音声を出そうとして・ずっこけています。こういうのはちょっとアドバイスしてやれば直ることです。どうも中車は「絶景かな」を100m走のロケット・スタートの如く・いきなり大音声を発しないと五右衛門にならないと思っているようですね。そうじゃなくて、「絶景かな」を言う前の・三呼吸くらいの間合いをゆっくり息を吸って吐いて、そのなかで「イキ」を最高潮に取っていくことで「絶景かな」を言うタイミングを作るのです。そこまでをすべて含んで台詞になるのです。ゆったりした感じで台詞をしゃべらなければなりません。むしろ走り幅跳びのスタートのようなものだと云うべきです。中車を見ていると「絶景かな」をいかに大声で言って・あとの台詞を抑揚つけて転がすかしか、頭にないように思われました。 そういう教え方をされていると感じます。

四代目芝翫の五右衛門は幕が開くとすぐ「絶景かな」を言いました。九代目団十郎は幕が開くとゆっくりと客席の方を見回し・しばらくして「絶景かな」を言いました。或る人がそのことを芝翫に言うと、芝翫は事もなげにこう言ったそうです。「団十郎は幕が開いてから景色を見てるんだろう。俺は幕が開く前に景色を見ちゃってるんだ。」 実はこれは芝翫でも団十郎でも、どちらでも良いのです。肝心なことは「絶景かな」を言う前に眼前の満開の桜の景色を見てるかどうかです。中車の五右衛門にはそういう余裕がまだないようですが、そういうことを教えてあげて欲しいと思います。

もうひとつ、中車は「絶景かな」の第一声を「ゼッケイカナ」と頭打ち(一字目にアクセント)で言っています。そうではなくて、これは二字目起しの台詞なのだから「ゼッイカナ」でなくてはなりません。 「ゼッケ〜カナ〜、ゼッケ〜カ〜ナ〜」と頭打ちで言うものだから「カ〜ナ〜」の時にはもう息が足りなくなっているのです。台詞のなかにある「イキ(息)」の波を読めば良いのです。こういうことをアドバイスしてあげて欲しいのです。

まだあります。五右衛門が久吉に小柄(こ づか)を投げる場面ですが、中車はどこに 向けて投げてるつもりでしょうか。小柄は客席の向こうに飛んでいるように思われます。そうではなくて、楼門の下にいる久吉に 向けて投げるのですから、身体の置き方・首の向け方・目線の置き方を考えなければなりません。特に目線の置き方は大事です。 放送では顔がアップにしかなりませんでしたが、幕切れに決まる時の目線の置き方も駄目ですね。見得というものは、必ず見得の方向(誰に向けて仕掛けているのかという対象)を定めなければならないのです。それを決めずに・ただ正面を向いて睨めば良いのではありません。方向性のない見得はあり得ません。見得のなかにドラマが見えなければ ならないのです。こういうことをアドバイスしてあげて欲しいと思います。放送をちょこっと見ただけでもこれだけ注文が出てきます。

中車は頭の良い人ですから、そういうことを理屈で言って理解すれば、多少ぎこちなくてもコツを取ることは出来るだろうと思います。あとは場数を踏めばだんだん出来てくることです。「こんな風にやるんだよ、真似してやってみな、駄目だよ、もう一回」みたいな稽古、あとはひとりビデオを繰り返し見ながらひたすら真似る稽古、そういう稽古は、もう先の時間の余裕がない中年の新人には全然向きません。肝心肝要なポイント、つまりコツをしっかりアドバイスしてあげることです。 そういうことが「俺たちはいつもこんな風にしてやってきた」だけで済まされてはいませんか?歌舞伎はもうそろそろ・しっかりした演劇理論を打ち立ててもらいたいものだとつくづく思います。

(H25・1・12)


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