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歌舞伎の舞台構造におけるバロック

〜日本における「バロック的なるもの」・その4


古典主義建築においては全体のプロポーションがひとつの有機体として捉えられています。その結果、人間の身体とのアナロジー(相似)が生まれます。古典建築は人間=人体中心のヒューマニズムの様式なのです。その典型がアテネ・アクロポリスの丘に建つアテナ神殿です。

しかし、19世紀の新古典主義建築では一本の棒状の建物を横にどんどん伸ばしていくような現象が見られます。左の写真は新古典主義を代表する・カール・フリードリヒ・シンケルの設計によるベルリンのアルテス・ムゼウム(美術館・1823〜28 建設)。一定のリズムで柱がずらっと並んでいて・見かけはギリシア様式を模していて古典的に見えますが、人体の影としてのオーダーを単純に反復して・ 横に引き伸ばして・ついには人間的なプロポーションを逸脱したムカデ構造になってしまっています。ここに新古典様式のなかのバロック的な要素があります。

これとそっくりの発想に見えるのが、12世紀半ばに作られた京都の三十三間堂です。千体仏が並ぶ空間を覆う建築である三十三間堂は、人間の視点の限界をはるかに超えています。それは単一焦点ならぬ・無限焦点の建築です。これはもちろん仏教思想の反映と見ることができるわけですが、同時にバロック精神の発露でもあるのです。それは単純さの反復による「水平性の構築」です。その裏に潜む過剰さ・しつこさです。そのことは内部の圧倒的ともいえる千体仏の過剰なきらびやかさからも言えます。

この横長の反復形式を時代を超えて舞台に取り込んでいるのが歌舞伎の舞台です。建築家磯崎新氏は、「仏堂は仏さまのための舞台装置だ」と言っています。

『仏像と壁画・天蓋などの荘厳が一体化した平等院鳳凰堂はオペラ・ハウス。簡素な建物で静かに仏に向き合う浄瑠璃寺の九体(くたい)阿弥陀堂はひたすら音楽に没入するコンサート・ホールにふさわしい。仏像の周りで踊りまわる浄土寺浄土堂はさしずめディスコであろう。この比喩を延長すると、三十三間堂は規模から言えばメガ・ステージ、構造から言えば歌舞伎の舞台にあたるでしょうか。奥へ向かってパースぺクティヴを作る西欧のオペラ劇場と違って、歌舞伎の舞台は奥行きがすごく浅いんですよ。ひたすら横へ広がって、ついには花道につながる。』(磯崎新:「日本建築史を 読みかえる6章」・芸術新潮・2004年6月号)

*上の写真はもちろん歌舞伎座の「助六」の舞台。横長の舞台に・奥行きの浅い舞台装置です。

別稿「試論:歌舞伎の舞台はなぜ平面的なのか」でこのことを考えました。タッパが低く・奥行きのない装置・そして陰影を出さない照明、いずれもが舞台面から立体感を消してしまうことを意図しているように思われます。ご承知の通り、廻り舞台や花道などの舞台構造は歌舞伎が発明したもので・西洋の劇場にはないものでした。花道は額縁様式・つまり観客と舞台との間を幕で仕切ってしまう劇場空間を破壊するもので、西洋演劇のそれまでの固定観念からすると革新的なものでした。廻り舞台はスピーディーな舞台転換を可能にし、芝居の進行中に舞台転換を行なうような映画的な演出も可能にさせました。西洋演劇の観点なら・歌舞伎の舞台は江戸幕府の規制から解き放たれた時に「もっと高く・もっと奥行きを深く」という方向を志向してもおかしくなかったはずです。

しかし、明治になっても歌舞伎の舞台はこの立体感のない構造を守り続けました。このことはいろいろな角度から照明を当てて影を消してしまう舞台照明についても言えます。あの歌舞伎の照明方法は何もしてないように思うかも知れませんが、実はあれはなかなか高度な技術を要するものなのです。それは電気照明だからこそ初めて成り立つものです。江戸の昔の蝋燭による照明であのように影が消せたとは思えません。だとすれば、明治後期に電気照明が取り入れられて歌舞伎の平面的な舞台は最終的な完成を見たということになります。それは歌舞伎はその舞台に立体性や奥行きを求めない演劇であった。そういう演劇になってしまったということなのです。

そう考えると、歌舞伎の花道というのは・もちろん舞台の延長なのですが、「本来は平面横にずっと長く延長して行くべきものを直角に曲げて限られたスペースに収めた」というのがもともとの発想なのかも知れません。つまり、これもバロック的な発想なのです。

*上の写真はウィーン国立歌劇場でのワーグナー:歌劇「タンホイザー」での有名な歌合戦の場面。(ヘルベルト・フォン・カラヤン演出によるもの。)吉之助はこのプロダクションを1979年に現地ウィーンで見ました 。(指揮はカラヤンではないですが。)客席面積の2倍を遥かに超えるという・この歌劇場の舞台機構を生かした奥行きのあるステージと・見上げるような高さ(4階建ての建物の高さにも相当する)をフルに使用した壮麗な舞台です。

欧米のオペラ劇場の舞台は高さと奥行きはありますが、横幅は意外と狭いのが多いです。そのなかの数少ない例外は、ザルツブルク祝祭大劇場の舞台です。(ただしコンサートホール兼用でオペラ専用ではありません。)この劇場は1960年夏に完成したもので、おそらく当時流行のシネマ・スコープ映画の横長のパノラマ感覚を取り入れたものです。これもバロック的な発想と見ることもできるかと思います。

吉之助は1983年にザルツブルクを訪れ、この劇場でオペラを見ました。劇場に足を踏み入れ た瞬間に、「ここはまさに歌舞伎座だなあ」と思ったことを思い出しますねえ。

*写真は1971年ザルツブルク・イースター音楽祭でのワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」・第2幕。( ヘルベルト・フォン・カラヤン演出・ギュンター・シュナイダー・シームッセン装置)横長のステージを目一杯に生かしたパノラマ的かつ幻想的な舞台です。


 

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