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雑談:オペラと歌舞伎の心情的近似について


1)リゴレットと法界坊

例によってオペラの話から始まりますが、そのうち歌舞伎の話に展開します。2019年3月末にイタリアの名指揮者リッカルド・ムーティが来日し、東京・春音楽祭で「イタリア・オペラ・アカデミー」を開講し、若い音楽家たちと共にヴェルディの歌劇「リゴレット」を上演するということで、吉之助も1日だけリハーサルを聴講し音楽作りの現場に立ち会うという貴重な体験をしてきました。仕事柄なのか吉之助はオペラを聞いていても歌舞伎のことが頭から離れません 。音楽を聴きながら「この部分は歌舞伎で例えれば・・・」などと考えることがよくあります。

ムーティが盛んに強調したことは、オペラというのはすべて台本・つまり言葉から発しているということです。指揮研修生がオケを振る時に歌を唄わないと、「おお可哀想なオーケストラ!唄ってあげてよ。来年イタリア語をマスターして来なかったら即刻帰国だぞ」と注意してました。指揮をしながら唄えと云うのは、ヴェルディのすべての旋律が言葉から発想されているのだから、言葉の呼吸・感情から音楽がどんな情感を・どんな表現を求めているのか 、それで察せよと云うことです。そのために指揮者は(楽譜はもちろん)歌詞を知り尽くしている必要があるのです。

リハーサルではムーティから興味深い指摘がいろいろ聞けました。例えばリゴレットのことです。第1幕で宮廷付きの道化リゴレットがからかった相手から呪いの言葉を浴びせかけられます。 このことで家への帰途、リゴレットは暗い気分であったのですが、そこで殺し屋のスパラフチーレから声を掛けられます。「殺しの御用の節は私にご連絡を・・」と云うのですが、 この時のリゴレットは主人マントヴァ公を殺そうなんてことはまだ全然考えていません。暗闇のなかに去って行くスパラフチーレの後ろ姿を眺めながら、リゴレットはこう呟きます。

あいつ(スパラフチーレ)と俺(リゴレット)は同類だ。俺は口先で他人を嘲り、あいつは剣で他人を殺す。人間どもめ、自然め、俺をこんな下劣な悪党にしたのは、お前たちだ(ここでは宮廷の腐敗した支配階級を指す)。忌々しい!道化は、してはならないのだ、出来ぬのだ、笑うこと以外は。皆が持つものが俺にはない。 ・・・』

ムーティからこのリゴレットの台詞を聞いて吉之助の頭にふっと浮かんだのが、法界坊でした。(別稿「十七代目勘三郎の法界坊」を参照ください。) 世間から汚ないと嫌われていて、本人は逆にそれを恨みに思って、世を呪っていて、それでも生き抜く欲望はギラギラと人一倍強いのが法界坊なのです。法界坊とリゴレットは同類です。どちらも笑いと悪戯で他人を嘲り、世を呪います。オペラのキャラクターを見ていると、「これは歌舞伎で云えば誰其れだな」と思い当たるのが大勢いるのです。だからオペラを 聴くのが止められません。(この稿つづく)

(H31・4・18)


2)ジルダとお三輪

「妹背山」のお三輪と「リゴレット」のジルダとの相似については別稿「死への欲動」でも触れましたが、台本をじっくり読めば色んなことが分かってきます。第3幕で父親が殺そうとしているマントヴァ公の身替りになってジルダは死にます。ジルダが「あの人は私の愛を裏切ったけれど、私はあの人の身替りになって死にたい」と云う「あの人」と云うのは、ここでジルダは「あの人」と呼んで名前をはっきり言いませんが、ここでの「あの人」とはマントヴァ公のことではなくて、グァルティエール・マルデ、つまりマントヴァ公が身分姓名を隠してジルダに近づいた時の貧乏学生の偽名です。ジルダは、自分が騙され弄ばれた現実を認めることはなく、自分が恋した嘘の貧乏学生の幻想を守るために死んでいくのです。これはジルダが愚かだったと云うことではありません。ジルダはそこに自分が最高に生き切ることの意義を見ているのです。

翻ってお三輪を見れば、お三輪は金輪五郎に刺されて落ち入る寸前に「
どうぞ尋ねて求女様、もう目が見えぬ、なつかしい、恋しや」と呟きます。お三輪も 、雲上人・藤原淡海のために死ぬのではなく、幻想の恋人・鳥帽子折求女のために死ぬ気持ちなのです。 そこにジルダの心情とまったく同じものを見出すことが出来ます。

ジルダの心情をそのように思いやると、第1幕の有名なアリア「慕わしい人の名は」もこれまでと違った様相で聴こえて来ます。(マリア・カラスの歌唱はこちら。)このアリアの旋律はとてもシンプルです。例えようもなく美しいのだけれど、このシンプルな美しさは、ちょっと触っただけで壊れてしまいそうな危うさをも孕んでいます。美術品のように完璧過ぎる美しさで、清らかではあるがどこか熱い血が通っていないような、それゆえこの美しさは恋人の不実を暗示し・どうやらそれは真実なところから発したものではなさそうな、そう云う印象があります。ヴェルディの 美しい旋律は、そのような要素をすべて明らかにしています。ヴェルディが台本を如何に読み尽くしているかよく分かります。

ムーティは「ヴェルディのすべての音楽が言葉(歌詞)と結びついている。ヴェルディはまるでしゃべるみたいに歌を書いているんです」ということを言っていました。ここでムーティが言いたいのは、多分、イタリア語の言霊みたいなものだな。 ピアノ・リハーサルでもムーティは歌手のアクセントやイントネーションの実に些細なところ(我々外国人からするとどうでも良さそうに思えるような箇所)を指摘し修正していました。しかし、そこがムーティにとってヴェルディの音楽の勘所であることも実によく分かるのです。言葉を正しく発声してもらわないと、ヴェルディの言霊/音霊が発動しないのです。我々日本人はイタリア・オペラを聴くときは(外国語なんだから仕方ないことだけれど)旋律の魅力にばかり耳が行き勝ちで、歌詞の方はどうしてもおろそかになるけれども、言葉が分かればオペラはますます面白くなると云うことは、これは確かなことだと思います。それでは我々日本人は能狂言や歌舞伎・文楽を、言葉を大切にして見ているかなあと云うことも逆説的に気になることですが、まあイタリア人すべてが歌詞を気にしてヴェルディを聴いているわけではなさそうではあるが。
(この稿つづく)

(H31・4・19)


3)ヴェルディと歌舞伎の卑俗

先日、東京・春・音楽祭でリッカルド・ムーティの「イタリア・オペラ・アカデミー」を聴講してきました。巷間ヴェルディのオペラで、歌手が曲芸のように楽譜の指定を無視して最高音を出したり・声を長く引き延ばすことがほとんど慣例化(伝統化)してしまっています。また観客もこれをイタリア的だ・オペラティックだと拍手喝采します。ムーティは、このようないわゆる「イタリアらしさ」を作曲者に対する冒涜であると糾弾し、このような風潮と断固戦うと宣言します。これはムーティの長年の持論です。ただし彼はこれは多分勝ち目のない戦いだとも言っていますが、ムーティは(イタリア人としてと云うよりも)芸術家の良心としてそう言うのです。

もっともヴェルディ演奏において、このようないわゆる「イタリアらしさ」の改変が慣習化したのには、それなりの事情があるのです。もちろんムーティもイタリア人としてこのことを血肉として理解しています。説明すると際限がないですが、これは小説家モラヴィアがヴェルディについて書いた文章を読めば感覚的に知れます。ヴェルディはイタリア人の感性の根源的なツボを刺激するということです。

『それではヴェルディの卑俗とはいったい何であろうか。はじめの隠喩をもう一度用いるなら、それは今や廃屋と化して労働者や職人たちが住んでいる旧邸宅である。言い換えれば、それは反宗教改革の後にイタリアの支配階級によって見捨てられ裏切られ、庶民によって保たれながらも民間伝承(フォークロア)に過ぎないものとなっていた我らのルネッサンスのヒューマニズム的概念である。(中略)要するに、ヴェルディは、庶民的・農民的な、したがって「卑俗」な、我々の民俗的(フォークロア的)なシェークスピアである。』(アルベルト・モラヴィア:「ジュゼッペ・ヴェルディの卑俗」)

ここで遊びですが、ちょっと上記のモラヴィアの文章を歌舞伎に当てはめて書き替えてみましょうかね。ぴったり嵌ることに驚かれると思います。

『それでは歌舞伎の卑俗とはいったい何であろうか。はじめの隠喩をもう一度用いるなら、それは今や廃屋と化して農民や町人たちが住んでいる旧屋敷である。言い換えれば、それは戦国期の下剋上の気風と安土桃山期のバブルの熱狂の後、江戸幕府によって見捨てられ裏切られ、庶民によって保たれながらも民間伝承(フォークロア)に過ぎないものとなっていた我らのヒューマニズム的概念である。(中略)要するに、歌舞伎とは、庶民的・農民的な、したがって「卑俗」な、我々の民俗的(フォークロア的)なシェークスピアである。』

ここに歌舞伎を考えるための、ひとつの大きなヒントがあります。この相似をたまたま偶然のことに過ぎないと見過ごすことが出来るでしょうか。吉之助には出来ませんねえ。ちなみに「ヴェルディ」という事象は、近代国家としてのイタリア統一運動と切り離して考えることは出来ないもので、時代としては19世紀のことになります。云うまでもないですが、「歌舞伎」という事象は、慶長8年(1603)江戸幕府の成立と時を同じくして始まり、その後、約200年ほどの歳月を掛けてその形態を固めて行くことになります。(これについては別稿「歌舞伎とオペラ〜新しい歌舞伎史観のためのオムニバス的考察」に詳しい考察があります。)(この稿つづく)

(H31・4・22)


4)イタリアらしさと歌舞伎らしさのこと

イタリア・オペラの卑俗と、歌舞伎の卑俗ということは、比較文化論で云えばいろいろ面白い考察が出来ると思いますが、本稿では、これは質的に同じようなものであるという指摘に留めます。吉之助が云ういわゆる「歌舞伎らしさ」は、ムーティが云ういわゆる「イタリアらしさ」と実によく似ていると思いますが、これは卑俗さというところから考えて行かねばならないでしょう。

楽譜の指定を無視して勝手に最高音を出したり・引き延ばしたりするような、いわゆる「イタリアらしさ」を拍手喝采する風潮に対して断固戦うとムーティは云います。おかげでミラノ・スカラ座でムーティは「文献考証主義者!」と云う野次を喰らったことがあるそうです。楽譜重視(原典重視)はノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)の旗印です。この芸術思潮を強力に推し進めたのが二十世紀初頭の名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニでした。ムーティはトスカニー二の理念の継承者を自認し、「作曲者の考えを尊重して演奏をする」ことを実践している指揮者なのです。

一方、ほぼ同時代に西洋音楽のノイエ・ザッハリッヒカイトに触発されて伝統芸能の分野で原典重視を旗印に批評活動を展開したのが武智鉄二でした。歌舞伎批評において武智が重要であるのは、芸能の世界に「クラシック(古典)」という概念を提示したと云うことです。(別稿「伝統における古典〜武智鉄二の理論」をご参照ください。)武智も役者の仕勝手で、芸の規格を崩すことを非常に嫌った人でした。吉之助は武智の弟子を自認していますから、吉之助がムーティの考え方に賛同するのは、これは当然のことです。

「リゴレット」の有名な「女心の歌」をムーティの指揮で聴くと、作曲者ヴェルディはこの歌に聴衆が熱狂することが分かりきっていたので、曲が拍手で中断されないよう用意周到に後奏を書いていることが明らかです。しかしステファーノやパヴァロッティが「女心の歌」を陽気に(悪く言えば能天気なほどアッケラカンと)最高音を長く引っ張って転が して歌うのを聴いてしまうと、拍手喝采で足踏み鳴らす聴衆の気持ちに、吉之助でさえ共感してしまいます。イタリア―ノ(イタリア的)って云うのは、こういうことだなあなんて思ってしまいそうです。第2幕のリゴレットとの二重唱でジルダを歌うマリア・カラスがまるで叫ぶみたいな最高音を聴けば、これが楽譜の指定を無視していることは承知だけれども、カラスがジルダの引き裂かれた心情を見事に突いていることに身が震える思いをしてしまいます。(別稿「死への欲動 〜ジルダとお三輪に関する考察」を参照ください。)うっかりすると吉之助も慣習の魅力に幻惑されてしまいそうです。しかし、そんな機会はあり得ないけれど、もし吉之助が「リゴレット」を指揮するようなことがあるならば、吉之助の立場は明らかですけどね。吉之助はもちろん楽譜に忠実な演奏を目指します。今回ムーティのリハーサルを見学してそのことを改めて肝に銘じました。

聴いて面白いのと、正しいのとは、しばしば両立しません。それにしても何を以て「正しい」・「正しくない」と云うのかは、とても判断が難しいことです。楽譜の指定通り演奏するのはもちろん文献考証的には正しいのです。ただし、それでホントに良いのか、芸術家の 良心としてそれで正しいかどうかは、議論があるところでしょう。何でもかんでも楽譜通りが正しいわけではない のかも知れません。もちろんムーティもそういうことは分かったうえで、言ってるわけです。ムーティが言いたいことは、実はただひとつ、「作者に対する敬意、作品に対する謙虚な態度を常に持ちなさい」と云うことだけです。別の機会にムーティは「もしヴェルディに会ったら何を言いたいか」と問われて、次のように答えています。

『音楽家としてずっとあなた(ヴェルディ)のことを尊敬してきました。一生懸命あなたのために働きました。またはそのように努力して来ました。でも私が正しくやれたかどうかはどうか言わないでください。もしあなたに私が正しくできていないと言われたとしたら、私は途方に暮れてしまいます。まるで死刑を宣告されたようなものです。』

ムーティの態度はどこまでも謙虚なのです。愚かな人間のすることだからもしかしたら自分の演奏も間違っているかも知れない、しかし作曲者がイメージしたに違いない解釈を目指してそれに少しでも近づけるように自分は常に努力して行きたいということなのです。吉之助もムーティと同じく、歌舞伎批評の分野において、作者に対する敬意、作品に対する謙虚な態度を常に持ち続けたいと思います。

(H31・4・25)


 

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