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トスカニーニの録音(1953年)


○1953年1月19日ライヴ-1

ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

速いテンポで一気に描き切った迫力があり、ここではNBC響の威力が十二分に発揮されています。リズムの立ち上がりが鋭く、引き締まった造形の印象がひときわ鮮やかです。特に後半のリズムと色彩が飛び散るような活力には感嘆させられます。


○1953年1月19日ライヴー2

ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

四つの場面が緊密にくっきりと描き分け、この曲の小交響曲とも言うべき構成を明らかにしています。冒頭「夜明け」の清冽な雰囲気、深みのあるチェロの旋律がじっくりと歌われて 、弦とノ絡み合いが実に魅力的です。「嵐」でのオーケストラの合奏力、実に手に入った見事な表現です。作為的なところがなく、音楽の流れがとても自然なのです。


○1953年1月19日ライヴー3

ベートーヴェン:エグモント序曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

全体のテンポを一貫させて・一気に描き切った筆致の鋭さ・NBC響の弦の強靭さが、意思の強さを表現しているように感じられます。内に凝縮された力を感じさせ、緊張感が漲った素晴らしい演奏です。


○1953年1月26日ライヴ-1

ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

テンポを早めにとって・簡潔でストレートな表現です。ちょっと素っ気無い感じもしなくもないですが、素朴で・飾り気がなく・質実剛健と言った方がいいのかも知れません。旋律の歌い方はトスカニーニらしく直線的で、余計なイメージをつけずに・ピアノ晩の印象を感覚的に生かそうとしているようにも思われます。もしかしたらラヴェル版の磨き上げたようなところを無意識的に嫌っているのかも知れません。オーケストラの機能性を生かす曲だけに、NBC響の名人芸が光ります。バーバ・ヤーガやキエフの大門は速いテンポで、たたみかけるように曲を進めていきます。遅いテンポで演奏する場合と比べてスケール感では劣りますが、素朴な力強さが感じられます。


○1953年1月26日ライヴ-2

ハイドン:交響曲第94番「驚愕」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

全体に早めのテンポで・リズムに勢いがあり・いつものトスカニーニ調ですが、全体にセカセカした感じで・聴いていて落ち着きません。第1楽章序奏の後の展開部に入ってからの疾走するテンポは勢いがありますが、表情がやや硬く・セカセカした感じあって、もう少し柔らか味が欲しいところです。第2楽章はすっきりとした表情にトスカニーニの個性がマッチして・好演だと思います。しかし、第3楽章はテンポが速すぎて・いただけません。これではメヌエットの典雅さは味わえません。リズムがメカニカルに響いて・落ち着きません。第4楽章もスケールは大きい表現ですが、急き立てるようなテンポが威勢が良過ぎる感じです。トスカニーニはハイドンには相性が良い指揮者なのですが、この演奏では個性が過ぎた感じです。


○1953年2月2日ライヴ

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

トスカニー二らしい早いテンポで通して、直線的に割り切った明解な解釈が心地よく感じられます。第1楽章冒頭から早いテンポで余計な感傷をいれずに、一気に核心に入っていくので、音楽の流れが見通しが良いのです。第2楽章も郷愁を誘う情感はあまりなくて、むしろ明るく爽やかな安らぎを感じさせる表現です。第3・4楽章はリズム主体なのでNBC響の鋭いリズム感覚が良く生きています。民俗舞曲的要素は望むべくもないですが、活気のある表現なのです。


○1953年2月9日ライヴ

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

第1楽章を47年の同じコンビの演奏と比べると、全体的に遅めのテンポになっており・重厚で落ち着いた印象になっています。47年の戦争はトスカニーニの個性が際立ったものでしたが、この53年の演奏ではたたみ掛けるようま迫力・怒涛のようなリズムは若干抑えられ、低弦を強調して重量感のあるドイツ的表現に近づいたように思われます。第2楽章は一転して早いテンポになりますが、トスカニーニらしいカンタービレを大事にしてリズムを明確にとった表現です。この交響曲のなかで第2楽章が全体の要になることも自ずから明らかになります。第3楽章はテンポを快調にとってリズムの打ち込みをはっきりさせたトスカニーニらしい表現です。しかし、第4楽章の表現は中途半端のように感じられます。中間楽章との対照を図るようでもあり、そうでもないようにも感じられます。フィナーレは47年の演奏のように激しくリズムを打ち込んで壮麗に締めくくる方が効果的でトスカニーニらしいように思えますが。ここでは重厚に渋く締めようとしているのか、どこか徹底しない表現に終わっているように思われました。


○1953年2月14日ライヴ

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

曲にラテン的な明晰さを与え、主旋律を浮かび上がらせ・聴き易い演奏になっていると思います。その反面、いわゆるドビュッシーらしい柔らかい雰囲気・香気には乏しく、ラヴェル的な線の強い表現になっていると言えるかも知れません。しかし、トスカニーニらしい徹底した解釈で、この曲の透明感を引き出しています。NBC響の伸びやかな弦が魅力的です。


○1953年2月17日ライヴ

ブラームス(ドヴォルザーク編曲):ハンガリー舞曲より4曲
(第1番ト長調、第17番嬰ヘ短調、第20番ホ短調、第21番ホ短調)

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

全体を早めのテンポで通して・あまり緩急を大きくつかけないのがトスカニーニ流ですが、第1番など小粋な仕上がりです。いかにも小品らしい小粋な佇まいを大事にしています。テンポの緩急をあまり意識していないので、かえってテンポの急の場面で表情が細やかについていて・第17番は素敵な出来です。


○1953年3月21日ライヴ

ケルビー二:歌劇「アナクレオン」序曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

速いテンポで・ギリシア彫刻を思わせるような格調を感じさせる引き締まった造型です。オケがちょっと暗めの重厚な響きのせいか、イタリア・オペラの序曲と言うよりも、ドイツ的な交響詩的な密度を感じさせます。


○1953年11月22日ライヴ−1

ブラームス:悲劇的序曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

早めのテンポで描き上げる解釈はいかにもトスカニーニですが、この演奏は心なしか・いつもの勢いが不足しているようです。冒頭からリズムの斬れがいまひとつの感じで・叙情的な第2主題との対照も十分ではありません。いつものシャープさよりも・むしろオーソドックスに処理したという印象が強く、トスカニーニとしてはやや不本意な出来か。


○1953年11月22日ライヴー2

R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」

フランク・ミラー(チェロ独奏)、カールトン・クーリー(ヴィオラ独奏)
NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

直線的で引き締まった表現であるのはトスカニー二らしいところですが、ダイナミックな音絵巻が展開されて、実に面白く聴けます。オケの響きの乾いた感触もR.シュトラウスらしくて、芝居っ気と見せず淡々としているようでいて、実は楽譜の指示するところは十二分に描かれているようです。その面白さを引き立てているのが見事な独奏陣で、その生き生き表現がトスカニー二のバックの上で生きてくるのです。


○1953年12月6日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

ゆったりとした風格を感じさせる名演だと思います。表情に無理な力がまったくない・無理な力がどこにも入っていない。芝居っ気も・はったりもなく、しかし、曲自体の構えの大きさが自然に表れているという感じの演奏なのです。まさに大家の芸という感じがします。音楽を淡々と進めている印象ですが、リズムが深く打たれているからだと思います。特に感心するのは第2楽章の葬送行進曲です。テンポはちょっと早めで思い入れを入れず・もしかしたらアッサリし過ぎだと感じる方もいると思いますが、淡々と進めているようで・実は沈痛な情感がじわじわと涌き上がってくるような深い表現なのです。この第2楽章の表現が生きるのは、その前後楽章が無駄のない・引き締まった造型を示しているからに違いありません。第1楽章など渋いと感じるほどに抑えられた表現なのです。交響曲全体の構造がしっかりと見据えられて・揺るぎがないと感じます。後半の2楽章もオケの手綱をしっかりと取って・テンポを決してはやらせません。その安定した表現が実に見事です。


○1953年12月13日ライヴ

メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

NBC響の響きが渋く暗めに感じられ、旋律線を太いタッチで描いています。とても勢いのある演奏で、全4楽章を一貫したコンセプトで一気に描き切っています。リズムをしっかりと踏みしめながら・讃美歌コラールを基調にした旋律が荘厳に・古典的格調を持って響いてきます。全体が四部形式の交響詩のように密度の高い表現に仕上がっています。特に第2・3楽章を軽く処理するのではなく、しっかりと重みを以って位置つけているので、そのような印象になっていると思います。つまり、全体のテンポ感覚が一貫しており、その形式感・古典性がこの演奏の良さなのです。


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