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トスカニーニの録音(1941年)


○1941年2月1日ライヴー1

モーツアルト:歌劇「魔笛」序曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、ラジオ・シティ・スタジオ8H)

速いテンポで一気に描きあげたスタイリッシュな演奏で、リズムが明確で。無駄な所がナイフで削ぎ落とされたように表現が実にシャープです。38年のBBC響との演奏も同じような解釈ですが、NBC響は響きががっしりしていて・より線が太く感じられます。さすがにメルヒェン的な雰囲気は感じられませんが、その明確なリズムの作り出す推進力と迫力には圧倒されます。


○1941年2月1日ライヴー2

ハイドン:交響曲第99番

NBC交響楽団
(ニューヨーク、ラジオ・シティ・スタジオ8H)

トスカニーニとハイドンの相性は良いですが、ここでもリズムを明確に取った・純器楽的な表現が素晴らしいと思います。NBC響は響きが低音が効いていて・がっしりとした骨太い音楽を感じさせます。若干ベートーヴェン的な感じがしなくもないですが、各楽章の性格をきちんと描き分けています。第1楽章の序奏の重い響きが一転して・軽快なリズムに転じていく面白さはハイドンならではです。リズムが明確な第3楽章メヌエットから第4楽章も良い出来です。


○1941年2月1日ライヴー3

R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、ラジオ・シティ・スタジオ8H)

トスカニーニのR.シュトラウス録音は多くありませんが、これは驚くような名演です。とくかく音楽に勢いがあって、トスカニーニの強靭なカンタービレが曲に実にぴったり来ます。リズムを明確に・旋律を直線的に歌い上げ・あまり過度な表情をつけることはしていません。トスカニーニは自分のスタイルを全然変えていないのですが、乾いた感じはまったくしません。むしろ曲の訴えるところがストレートに聴き手に迫る感じさえします。冒頭から気力充実の演奏で、トスカニーニ自身の自画像という感じさえします。ヴァイオリン・ソロも無駄がない表現で、実に後味が良いと思います。「英雄の伴侶」は情感に溺れた甘ったるさがなく・スッキリとした表現です。「戦場の英雄」は歯切れの良いリズムが素晴らしく、「英雄の休息」での安らぎの表情も良いと思います。


○1941年2月15日ライヴ

レオポルド・モーツアルト:おもちゃの交響曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、ラジオ・シティ・スタジオ8H)

このような軽い曲でもまったく手抜きをせずに全力で指揮にあたるトスカニーニの姿勢には感心させられます。と云っても、大上段に構えるところはなく、しっかりと形式を押さえるなかで、自由な遊び心を島しています。第1楽章もリズミカルで良いですが、第2楽章での管楽器の間の抜けた音が何とも可笑しくて素敵です。


○1941年2月24日ライヴ-1(5月6日に一部録り直し)

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、ラジオ・シティ・スタジオ8H)

早めのテンポで、主旋律を浮かび上がらせることで透明感のある演奏に仕上がっています。NBC響の弦のピアニシモはほとんど室内楽的な美しさです。いわゆるドイツ的なロマンティックな演奏ではなくて、近代的なリリシズムを感じさせます。特に後半のクライマックスに向けての盛り上げは感動的です。


○1941年2月24日ライヴー2

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」ジークフリートの死と葬送行進曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、ラジオ・シティ・スタジオ8H)

早いテンポをとったスケールの大きい演奏です。いわゆる暗く脂っこい「ワーグナーの毒気」とは異なり、ラテン的な明晰さと透明感を持った時代を先取りしたワーグナーです。NBC響の弦は鋼のように力強く・金管も雄雄しく、悲壮感のある素晴らしい演奏を聞かせます。


○1941年2月24日ライヴー3

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」ブリュンヒルデの自己犠牲とフィナーレ

ヘレン・トローベル(ソプラノ)
NBC交響楽団
(ニューヨーク、ラジオ・シティ・スタジオ8H)

透明感のある響きがこの長大な楽劇の幕切れにふさわしく・崇高な浄化された感情を表現しています。トローベルの歌唱も透明感があって美しく、叙情的なブリュンヒルデです。暗さと重さに陥らず、澄み切った感動を呼び起こします。


○1941年3月10日ライヴー1

ブラームス:交響曲第1番

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

密度の高い名演です。トスカニーニは完全にリズムを打ち切っているので、早めのテンポであるのにセカセカした感じにならずに・造形が崩れない。旋律も十分に歌いこまれて、その音楽の雄弁さは見事なものです。全体が明晰さにあふれて、曖昧なところがまったくありません。暗めの重厚な雰囲気 だけがブラームスの本質でないのを教えられて目が覚めるようです。両端楽章が特に素晴らしく、フィナーレのリズムを明確に取った怒涛の迫力には圧倒されます。第2楽章も早めのテンポながら・叙情的な美しさに満たされて、両端楽章の間に位置して聴く者に安らぎを与えます。この41年の演奏は数ある遺されたトスカニーニのこの曲の録音のなかで、造形に無駄がない点で・トスカニーニらしさが最も発揮されているものだと思います。


○1941年3月10日ライヴ−2

ヴェルディ:歌劇「椿姫」第1幕への前奏曲・第3幕への前奏曲

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

ニューヨーク・フィルとの録音が名演であっただけに・どうしても比較しなければなりませんが、このNBC響の演奏も素晴らしいものです。ニューヨーク・フィルとの演奏はぶ っきらぼうにさえ聞こえる表現からヴェルディのリリシズムがそこはかとなく立ち上ってくるような演奏でした。トスカニーニの甘さに陥らない厳しい態度はここでも変わっていません。NBC響との演奏は弦にさらに艶と柔らかさが増して旋律がよく歌われています。それだけ抒情性が高まっているように思われます。テンポも若干ですが遅めのようです。


○1941年4月19日ライヴー1

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール、チャイコフスキー来訪50周年記念コンサート)

1891年にカーネギー・ホールのこけら落としの際に同ホールを訪れたチャイコフスキーの50周年を記念したコンサートです。トスカニーニらしい太いタッチで、甘さやセンチメンタルな要素を廃し・直線的に描いたチャイコフスキーです。テンポは全体的にかなり速めに感じられます。特に中間2楽章の出来が面白いと思います。第2楽章は速いテンポでサラサラと流れるなかに・淡い光が煌めくような感じがします。 第3楽章はNBC響の機動力を前面に押し出したような重戦車軍団のような怒涛の迫力。低音が効いて・整然としたリズムが物凄く、終わると聴衆から思わず拍手が沸きあがるのもうなずけます。この第3楽章の後の第4楽章であると、もう宴の後のような寂寥感が際立つようです。乾いた感触ではありますが、トスカニーニは決して歌心を忘れているわけではありません。感傷を排しているだけなのです。戻って第1楽章も同じことが言えますが、最初のちょっと乾いた感じにとまどいを覚えなくもありますが、聴き手に厳しさを強いる演奏だと言えるでしょう。


○1941年4月19日ライヴー2

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ)
NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール、チャイコフスキー来訪50周年記念コンサート)

特に第1楽章はふたりとも肩にかなり力が入っている感じで、ちょっと力み過ぎで空回りする感じがします。ホロヴィッツの打鍵の力強さは素晴らしく・荒々しいほどですが、ミスタッチはかなり多いようです。トスカニーニとの息もピッタリ合っていないところがあり、タイミングがはずれる箇所があります。しかし、いかにも一発触発のライヴらしいスリリングな感じがあります。テンポは全編通じて速めで、一気に駆け抜けるような勢いはトスカニーニらしい甘さを排した音楽作りです。第1楽章あるいは第3楽章終結部など怒涛の迫力です。やればやるほどチャイコフスキーから遠くなる感じもしますが、大物ふたりががっぷり四つに組んで・丁々発止とやる面白さにはたまらないものがあります。当然ながら終演後の聴衆はかなり興奮気味です。


○1941年5月6日ライヴ−1

J・シュトラウス:トリッチ・トラッチ・ポルカ(トスカニーニ編)

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

トスカニーニ編曲とあるが、ティンパ二が補強されているように思いますが、通常のものとさして変わるわけではないようです。快速テンポで・リズムがキビキビして、 普段の厳しいトスカニーニとはちょっと異なる軽みのある表情がこの曲の面白さを引き出して、楽しめる演奏に仕上がっていると思います。


○1941年5月6日ライヴー2

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ独奏)
NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

快速テンポで一気に描いた勢いのある演奏です。冒頭のホロヴィッツの打鍵の凄まじさに度肝を抜かれますが、チャイコフスキーの甘いムードやロマンティックな感触にまったく関心を見せず、線の太い剛直な音楽作りを志向しています。チャイコフスキーの音楽にこんな強さがあったのかと驚くほどです。この曲の演奏としては異色だと思いますが、この演奏は聴いておかねばならぬものだと思います。両端楽章ともにホロヴィッツとトスカニーニが火花を散らして渡り合うスリリングな展開ですが、そのなかで第2楽章がほっと安らぎの瞬間に感じられます。ホロヴィッツは、即興的なテンポの緩急、リズムの斬れなど名人芸の連続で、それでいて息の乱れをまったく見せない見事なものです。


○1941年11月8日ライヴ

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」

フィラデルフィア管弦楽団
(フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック)

トスカニーニがNBC響との契約問題でこじれ・一時的に同じ楽団を離れていた際に、フィラデルフィア管を振った一連の公演の録音です。言うまでもなく当時のフィラデルフィア管はストコフスキーの監督下にあり、ある意味は最もアメリカ的なカラーのオーケストラと言えます。その点でも興味ある組み合わせであると言えます。トスカニー二はこの交響曲を得意にしていて・録音もかなりの数が残っていますが、そのなかでも最も有名なものです。聴いてみるとこの演奏が有名なのも納得できますが、トスカニーニのファンとするとどこか物足りない感じがするのも否めません。トスカニーニがNBC響を振っていれば、こういう感じにならないのではないかと思う箇所がいくつかあります。それは演奏の良し悪しを言っているのではなくて、「トスカニーニ」らしさという点からすれば・後年47年のNBC響との演奏の方がスタイルが徹底して納得がいくような気がするのです。しかし、このオケならではの魅力的な部分も少なくありません。テンポを比較すれば、この演奏はトスカニーニとしては全体に遅めのテンポであると言えます。また旋律線が直線的であるというより(これこそトスカニーニ的であるということだと思いますが)、ここでは曲線的で優美であるということが言えます。特に木管がじつに色彩的で・当時のフィラデルフィア管の魅力がよく分かります。オケの技量はまったく遜色なく、トスカニーニの要求によく応えています。オケの個性がこの演奏の印象を分けているのです。


○1941年12月11日ライヴ・1942年3月10日

J・シュトラウスU:ワルツ「美しく青きドナウ」

NBC交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

速いテンポで・リズムが歯切れよく・元気がいい演奏です。ウィーン情緒などもちろん望むべくもないですが、ワルツも規格通りの三拍子でサッパリしたものです。ここまでスタンスが決まっていれば・煌めくような色彩感を楽しむことで割り切れる感じです。


 

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