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ショルティの録音(1996年)


○1996年1月18日ライヴー1

R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ベルリン・フィルの重厚なアンサンブルを生かしたショルティの指揮は、要所要所をキッチリ押さえた楷書の表現とでも云うべきもの。オーケストラ・コントロールの手本を見せられているように、鳴るべきところはその通りに鳴り、歌うべきところはその通りに歌うという感じで、スコアの在るべき形を確信を以て提示していると感じられます。ベルリン・フィルは、これはもう重厚で深みのある、如何にもシュトラウス・サウンドと云える響きを出しています。全体としてはカラヤンの解釈に近いものを感じますが、一方でオケの力を目いっぱい引き出そうとしている感じが伝わってきて、表現がよりストレートで力強いと多いんす。「大いなる憧れについて」や「舞踏の歌」についてはカラヤンもあっさりした味付けでしたが、ショルティは一層その印象が強い。一方、曲のダイナミクスが大きいこと、音の立ち上がりが鋭いことはショルティの特徴です。一方、弱音の繊細さや表現の艶やかさではカラヤンに一歩を譲るのは仕方ないところですが、とても面白い名演であると思います。


○1996年1月18日ライヴー2

R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

これも早めのテンポで、ストレートな力強い表現です。特徴は同日の「ツァラ」と同じことが云えますが、この曲に必要な洒落っ気やユーモア、或る種の軽みがちょっと足りず、重量感があり余った感じを受けます。テンポをインに取って、表現を四角四面に締めていくショルティの行き方と曲との間に、若干のずれがあったということかなとも思います。ただし聴いていてオケの巧さに感嘆するばかりで、聴き終った時の充実感はあります。


○1996年1月18日ライヴー3

R.シュトラウス:楽劇「サロメ」よりサロメの七つのヴェールの踊り

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)


ショルティはここでも早めのテンポを取って、旋律を直線的にストレートに歌います。ベルリン・フィルの色彩感と、表現のダイナミクスを最大に取って置けを追いこんでいくショルティの個性が相まって、オーケストラのショー・ピースとして見事な出来にしあがりました。ただしショルティのインテンポの表現は曲の息遣いとは微妙なずれがあるようで、濃厚で危険な雰囲気が漂ってくるには、至っていません。その意味において健康的な演奏なのです。


○1996年4月21日ライヴー1

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

変奏曲を並べたプログラムで、それぞれの作曲家が変奏曲という形式を借りて繰り出す趣向と変化の妙、或いは構造の妙を楽しむということです。ショルティは、ブラームスの曲をスッキリと機能的に割り切っていて、ドイツ的重厚さはないですが、ここまで視点が明確であると、爽快さでさえあります。シャープな造型で、ブラームスの変奏の構造を明らかにしてくれます。第7変奏など明確にリズムを刻んで、オケの機能全開というところです。


○1996年4月21日ライヴー2

コダーイ:ハンガリー民謡「孔雀」の主題による変奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ショルティのスコアの読みと明解な設計力が生きていて、次々と展開する旋律とリズムの変化が、パノラマを見るような面白さです。ハンガリー民謡の東洋的な旋律がエキゾチックな雰囲気を醸し出し、ウィーン・フィルのソリストたちの妙技が生きています。


○1996年4月21日ライヴー3

ブラッハー:パガニーニの主題による変奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

冷静にスコアを読み込んでいくショルティのアプローチがここでも成功しています。次々と展開する変奏が鮮やかに描き分けられて、ウィーン・フィルがシャープな反応を示しています。


○1996年4月21日ライヴー4

エルガー:エニグマ変奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

これは当夜のプログラムのなかでも、特に魅力的な演奏に仕上がりました。ショルティのスコアの深い読みが生きていて、エルガーのこの曲の複雑な構造が、明るい光の下で見通したような心地がします。ウィーン・フィルも明るく透明な響きで、ショルティの棒にシャープな反応を示します。旋律に余計な思い入れを入れずに、音そのものに語らせたという感じで、機能性に徹したアプローチがウィーン・フィルには却って良かったのではないでしょうか。表情が生き生きして、曲にぐいぐいと引きこまれます。


○1996年8月23日ライヴー1

バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、モーツアルテウム大ホール、ザルツブルク音楽祭)

なかなかの好演です。バルトークの音楽のピりピりした鋭敏な感性を、ウィーン・フィルの柔らかい弦が中和してくれるようで、聴き手に鋭く突き刺さることがない分、聴きやすい演奏になっています。弦の絡み合いの面白さが余裕を以て味わえて、この曲を古典的な印象に仕上げています。ショルティの指揮は、リズム処理が見事で、曲の設計がしっかり見通せており、音楽の展開がとてもスリリングです。


○1996年8月23日ライヴー2

ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、モーツアルテウム大ホール、ザルツブルク音楽祭)

線とリズムを明確に取るショルティの行き方を、ウィーン・フィルがこれをマイルドに受け止めた感じのハイドンです。前半はリズムの打ちや旋律の歌い回しに、若干の硬さが感じられるところがあります。第2楽章は、もう少し軽めの洒脱さが欲しい気がしますが、後半の2楽章は、早めの闊達なリズムのなかに、生き生きとした音楽が流れており、編成がややおおきめですが、音楽が決して重ったるくならないところが魅力的です。


○1996年8月23日ライヴ-3

ベートーヴェン:交響曲第2番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、モーツアルテウム大ホール、ザルツブルク音楽祭)

ショルティらしい・キビキビした印象の演奏です。トスカニーニに近い解釈ですが、硬いメカニカルな印象があまりないのはウィーン・フィルを起用しているせいでしょう。リズムがしっかりとれていて、ベートーヴェンのこの時期の様式感が明確に表出されているのはさすがにショルティです。ショルティの手綱がしっかりしていつものウィーン・フォルより引き締まった線の強い音を出しているので・オケの魅力を味わうには不満があるでしょうが、手堅い演奏です。第1楽章はリズムの推進力があり、音楽に勢いがあります。第2楽章の情感に溺れない簡素な味わいも初期のベートーヴェンとして納得できる気がします。


○1996年11月9日ライヴー1

バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ウィーン・フィルとしては珍しいレパートリーですが、ハンガリー出身のショルティ指揮だけに見事な演奏になりました。厚みのある引き締まった弦の音色、鋭敏なリズム処理など、時代への不安を的確に表現しています。シカゴ響ならば鋭く冷たい響きになったでしょうが、ウィーン・フィルでは神経質的な感じがないのがかえって好ましく、純器楽的な面白さが感じられます。


○1996年11月9日ライヴー2

リスト:レーナウの「ファウスト」によるふたつのエピソード〜第2番「村の居酒屋での踊り」(メフィスト・ワルツ・第1番)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ショルティのリズム処理と鋭い弦の動きが生きていて、オケのダイナミックな動きが楽しめます。渋いバルトークの後だけに管弦楽の色彩感が面白く感じられます。ショルティもオケをゆったりと手綱さばきを緩めた指揮振りです。


○1996年11月9日ライヴー3

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ショルティの甘さを許さない厳しい表現をウィーン・フィルの個性が中和する感じで、ショルティがこの曲でともすれば感じさせる機能主義的なイメージをここでは聴き手に持たせることなく、曲のイメージを素直に音化したような演奏になっていると思います。そこはショルティのことですから楽譜を冷静に読み切ったフォルムの徹底は感じますが、それが良い方に作用して・均整が良く取れた表現になっています。ショルティがウィーン・フィルを振る時に時折り感じさせるオケを引っ張る強引さもあまり感じさせず、むしろちょっと手綱を緩めた印象があるのはショルティの変化かも知れません。第3楽章行進曲の爆発的な表現が見事なのは予測つくところですが、むしろ第1楽章のほど良く甘さを殺した表現、中間部の厳しさのある表現には感嘆させられます。第2楽章も曲の持つ憂いの表情がよく出ています。第4楽章は情感のうねりを熱くなることなく・冷静に歌い切っているのもショルティらしいところです。
 


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