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ショルティの録音(1988年)


○1988年5月−1

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

シカゴ交響楽団
(シカゴ、シカゴ・オーケストラ・ホール、英デッカ録音)

テンポは心持ち早めで音楽がサラサラ流れて、楽譜に書いてある音符はすべてその通り音化するという感じです。標題音楽としてみた場合、第1楽章に浮き浮きと楽しい気分が聞こえない・第2楽章にゆったりとした安らぎがないということは確かに言えそうです。しかし、音楽の流れに堅さはまったくなく、すべての音が有機化していると言えそうです。ですから第4楽章・嵐でもオケの機能性を誇示するような感じはまったくありません。明晰さと透明感が曲全体を支配しており、ここには純器楽的な音楽の喜びが見えてきて、逆にベートーヴェンのこの交響曲の在り方を教えられたような気がします。音楽の流れに身を委ねていれば、聞こえるべきものは自然に聞こえてくるということなのです。このどっしりとした安定した風格はベートヴェンの音楽そのものが持っているものなのでしょう。


○1988年5月−2

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番

シカゴ交響楽団
(シカゴ、シカゴ・オーケストラ・ホール、英デッカ録音)

早めのテンポで淡々とした音楽の流れですが、ベートーヴェンの曲自体が持つ密度の高さと構成力の見事さをまざまざと見せつけられる気がします。表現のすみずみまで明晰さが感じられ、無理な力やはったりを入れなくても、曲のドラマ性が聴き手に実感されます。


○1988年7月31日ライヴー1

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

ウィーン・フィルにとってバルトークはそれほど親しい存在ではないように思いますが、ショルティの鋭い棒に必死で喰らい付いているようで、緊張感のある面白い演奏になっています。またここではウィーン・フィルの自発性もよく生かされているようです。シカゴ響との演奏では「鋭敏」とか「正確」という言葉を思い浮かべますが、このウィーン・フィルとの演奏では響きがまろやかで音楽が流れるようにスムーズです。同日のベートーヴェンの7番の演奏とはまったく印象が逆なので、指揮者とオケとの緊張関係が良い方に作用しているように感じられます。ソロ奏者の技量も申し分ありません。思えばオーストリア・ハンガリー帝国の流れからすれば、バルトークの音楽の持つ門民族性はウィーン・フィルと意外と近いものがあるということを改めて感じます。


○1988年7月31日ライヴ−2

ベートーヴェン:交響曲第7番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

楽譜にある音符をそのまま忠実に音にしようとする・ショルテイらしさを感じさせる演奏です。シカゴ響を振る時も・ウィーン・フィルを振る時も、ショルティの態度には揺るぎがないようです。逆に言えばここでの演奏では「ウィーン・フィルらしさ」は少なくて、オケの自発性を封じ込めたようなところがあるため、キッチリとした乱れのない演奏ですが・やや窮屈な感じがあることは否めません。テンポ設定も理想的で・造形もしっかりしており、リズムもアタックもピッタリ揃っていて、近代的な機能美を感じさせる演奏になっています。


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