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キリル・ぺトレンコの録音 


〇2019年12月1日・6日

コルンゴルト:歌劇「死の都」

ヨナス・カウフマン(パウル)、マルリス・ペターゼン(マリエッタ/マリーの幻影)、
アンジェイ・フィロンチク(フランク/フリッツ)、ジェニファー・ジョンストン(ブリギッタ)
バイエルン国立歌劇場合唱団・児童合唱団
キリル・ペトレンコ指揮
バイエルン国立管弦楽団
(ミュンヘン、バイエルン国立歌劇場、サイモン・ストーン演出)

サイモン・ストーンの演出は、廻り舞台を場面展開に効果的に使って・視覚的にもめまぐるしい効果を見せて、音楽の理解にとても役に立ちました。カウフマンが、死者の幻影に怯えおののくパウルの心情を巧みな演技で見せるほか、柔らかい声質をよく活かした繊細な歌唱で聴かせます。加えてマリエッタ役のペターゼンが演技達者で小悪魔的な魅力を発揮して素晴らしい。ペトレンコ指揮は斬れが良く、全体をキリッと引き締めて、聴く者を飽きさせない見事なサポートを聴かせます。


〇2020年5月1日ライヴ

バーバー:弦楽のためのアダージョ
マーラー:交響曲第4番(エルヴィン・シュタインによる室内オーケストラ版)

クリスティアーネ・カルク(ソプラノ独唱)
キリル・ペトレンコ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、
   ヨーロッパ・コンサート、新型コロナ感染防止のため無観客開催)  

当初ヨーロッパ・コンサートはテル・アヴィヴで開催される予定でしたが、新型コロナ蔓延のためキャンセルされて、代替えとしてベルリン・フィルハーモニー・ホールで無観客で開催されてネット配信されたものです。室内オーケストラ編成とクレジットされて、弦セクションを含めて各パート1奏者で、感染防止の観点から各人距離を互いに2メートル空けて配置されたので、響きのバランスを調整するのが難しかったと思われるのと、恐らく全員顔を合わせてのリハーサル時間も十分取れなかっただろうと思われるので、演奏内容は割り引く必要があります。無観客でも開催にこぎつけた楽団員の熱意を買うべきだと思います。バーバーの弦楽のためのアダージョは通常編成のオーケストラだと響きが分厚くなるので濃厚なロマンティシズムに沈滞していくような印象を受けますが、この室内楽編成であると響きの透明感が増して、抒情性が際立つようで、なかなか興味深く聴きました。一方、マーラーの交響曲第4番の室内楽編曲版は人数が増すので、響きのバランスの調整・特にマイクセッティングが難しかったようです。録音を聴いた感じではコントラバスの低音が強過ぎるのと、管楽器がこれも強くて刺激的に響きます。恐らくこの編成でリハーサルを十分行なえていないため響きのバランスが上手く調整出来ていないようです。もうひとつ気になることは、指揮のぺトレンコを含めて奏者各人がオリジナルの大編成版のイメージを引きずって演奏しているように感じることです。全体的に大柄な感じの演奏で、オリジナル版との差異があまり聞こえません。この編成ならばもっと透明な感覚が浮き上がって来て然るべしであるし、オリジナル版と違ったものが聴こえてこなければ面白くなりません。それといつもであると聴こえないようなベルリン・フィルの各奏者のセンスの微妙なバラつきが聴こえます。第1バイオリンの樫山大進は暖かい音色でロマンティックな表現を志向していたように感じますが、他奏者・特に管はそうではないようです。樫山のパートでリズムが粘ると云うか・遅めに引っ張る感じがあるが、そうでないところではテンポが微妙に速くなります。響きも刺激的に鳴る場面があり、そのようなギクシャクが第2楽章まで続きます。したがって前半2楽章が聴いていて、気分が何となく落ち着きません。第2楽章のヴァイオリンソロはアイロニカルな味わいが欲しいところなのに、樫山のロマンティック志向に齟齬があるようです。しかし、第3楽章では各奏者だんだん慣れて来たのか、抒情的な味わいの楽章であるせいか、少しずつ響きの具合が落ち着いてきます。第4楽章ではカルクの歌唱のマイクが近すぎるのか、これも強く聞こえすぎてバランスが良くない。好みとしては、室内楽編成であるならば、もう少し抑えたリート的な歌唱を望みたいところです。ぺトレンコの指揮に関しては、テンポ設定・響きのバランスなどオリジナル版のイメージを引きずっているように聴こえてあまり感心出来ませんが、練習時間が取れなかったであろうからここでの評価は割り引くことにします。



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