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小沢征爾の録音(1990年〜1999年)


○1990年10月13日〜16日

マーラー:交響曲第5番

ボストン交響楽団
(ボストン、ボストン・シンフォニー・ホール、蘭フィリップス・スタジオ録音)

オケの精度は素晴らしいですが、音楽が何となく流れる感じで、彫りが浅く、聴き終った後に物足りない気分に襲われます。過ぎ去った昔を回想するような淡い感覚で、そういう感覚で昔を思い出せば若き日の苦悩もどこか懐かしく見えると云う感じでしょうか。 マーラーの聖と俗の葛藤も、ここでは淡く等価になっていて、まあそういうマ―ラーもあり得るのかと思いますが、どこかぬるい印象は否めません。第4楽章アダージェットがこれほど遅いテンポで、柔らかくロマンティックに夢見心地に歌われた演奏は聴いたことがありませんが、この交響曲のなかでこの楽章が浮いた印象に聴こえます。前後の楽章との連関がまったく見えて来ません。


○1994年2月26日・3月1日

バルトーク:管弦楽のための協奏曲(クーセヴィッキーの初演稿による)

ボストン交響楽団
(ボストン、ボストン・シンフォニー・ホール、蘭フィリップス・ライヴ録音)

小澤の得意曲でもあり、この曲の解釈として独自の位置を主張できる素晴らしい演奏だと思います。冒頭から最後まで鋭敏な神経の震えを感じさせる緊張感が持続した演奏です。ボストン響の暗めの重厚な音色もこれに相応しいものです。特に第1楽章・序奏と第2楽章・対の遊びがとても魅力的です。各楽章の展開も巧みです。第4楽章「中断された間奏曲」も印象に残ります。この録音はクーセヴィキーの初演稿による演奏ですが、終結部がちょっと変わっていて、尻切れトンボで終わるエンディング が面白いところです。


○1994年10月27日ライヴ

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ベルリン・フィルの合奏力と相まって、この曲の時代への先鋭的な感覚を見事に表現した演奏です。小澤の指揮は旋律の歌い方に糸を引くような独特の粘りがあります。これを東洋的と表現していいのかは分かりませんが、それがバルトークの音楽の民族性と通じる感じなのです。その独特な感覚が生きてくるのが第1 楽章 「序章」と第5楽章「終曲」です。ベルリン・フィルの不協和音の鋭い響きと暗めの色彩が刺激的で、ゾクゾクするような演奏になっています。どこかとぼけたような味わいのある第2 楽章 「対の遊び」や第4楽章「中断された間奏曲」をサラリと流していくのも、全体の構成として納得できます。最近古典化してしまっておとなしい演奏が多くなってしまったこの曲の久しぶりの名演奏と言えます。


○1995年6月25日ライヴ

マーラー:交響曲第2番「復活」

インガー・ダム・ヤンセン(ソプラノ)
ヤトヴィカ・ラップ(メゾソプラノ)
フィレンツェ歌劇場管弦楽団
(フィレンツェ、コムナーレ劇場)

小澤とフィレンツェ歌劇場という珍しい顔合わせ、しかも曲目がマーラーだけに興味をそそらせます。フィレンツェのオケにマーラーは馴染みがないわけですが、オケはなかなか頑張っており、熱気さえ感じさせます。さすがと言うべきか小澤がインテンポに・しっかり足取りしっかりまとめており、骨太い仕上がりで、申し分のない出来だと思います。第1楽章が重量感ある出来ですが、続く第2・3楽章もテンポ配分も納得できますし、小澤のこのリードならオケも乗り易いだろうと思います。終楽章は合唱団ともども力演で聴かせます。


○1995年9月7日ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

サイトウ・キネン・オーケストラ
(松本、松本文化会館)

サイトウ・キネン・オーケストラはテクニック的には十分ですが・臨時編成オケだけに、絶妙にブレンドされたウイスキーの味わいにはほど遠く、生な原酒のアルコールがピリピリするような感じです。高弦に優れた奏者が集まっているようですが、かなり音が刺激的に強い感じで落ち着きません。その一方で低弦の厚みが物足りないと思います。リズムは正確に取れていて機能性はあるものの・響きに潤いが欠けるのは非常に気になります。第1楽章の第2主題など冷たい美しさでまったくそそられません。旋律の歌い方が゙生真面目に過ぎて歌心に乏しいのです。第2楽章もリズムに余裕を持たせた遊び心が欲しいところです。第4楽章も醒めた硬い表現で・情念にのめり込むところがありません。その一方で、第1楽章の激しい表現や第3楽章の行進曲などは待ってましたみたいに表情がキビキビして機能性を発揮します。全体に機能性が前面に出過ぎて、薄味で情感に乏しい演奏に感じられます。


○1996年2月25日ライヴー1

モーツアルト:交響曲第32番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

緩急緩のイタリア風序曲のスタイルの一楽章の交響曲。全体として小澤の真面目で誠実な人柄がしのばれるような、端正な仕上がりです。テンポの速い場面はリズムが生き生きしていて良いと思いますが、オケが大編成であるせいか、やや構えが大きい感じで、テンポの遅い場面で表現の重ったるさになって露呈します。しかし、本来はもう少し軽みの味わいがする曲だと思います。


○1996年2月25日ライヴー2

ベルク:管弦楽のための3つの小品

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

小澤の解釈は基本的にロマンティックであると思います。ウィーン・フィルがこれをマイルドに受け取り、不協和音もここでは刺激的に響いてきません。したがって、時代に対する問題提起を引き起こさないことが、この曲にとって良い事なのかどうかと云う、そこが疑問になって残ります。聴きやすくなっていることは、確かなのですが。


○1996年2月25日ライヴー3

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

手堅くまとめられた端正な出来です。小澤はウィーン・フィルをしっかりコントロールしており、表現に不足はありません。民族性をことさらに強調することをせず、スッキリとした味わいに仕上げたことが成功しています。特に第2楽章は出色の出来です。しみじみとした望郷の気分が、表現のなかにさりげなく滲み出ます。旋律の歌い方に暖かい息遣いが感じられます。この第2楽章だけでなく、両端楽章の、それぞれの第2主題においても、ゆったりとした抒情性を聴かせるところが、小澤の長所であると思います。ウィーン・フィルの暖かな弦の響きが魅力的です。第3楽章では舞曲風のリズムの扱いにやや重さが感じられますが、表現のダイナミクスも申し分ありません。


○1996年5月30日ライヴ

R.シュトラウス:アルプス交響曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

シュトラウスのこの曲はベルリン・フィルのような響きの豊穣なオケと聴くと・聴き映えがします。特にベルリン・フィルの金管は朗々として実に見事です。小澤はテンポをゆったりとって・旋律を大きく歌わせて・スケールが大きい演奏に仕上げています。嵐の場面での迫力と合奏力はたいしたものですが、一方で響きに若干頼り過ぎで・全体の流れが見えてこない感じなきにしもあらず。


○1996年8月31日ライヴ−1

ベートーヴェン:エグモント序曲

サイトウ・キネン・オーケストラ
(松本、松本文化会館)

シューベルトと違って・ベーとヴェンのような音楽は真面目な日本人の体質に合うのでしょう。冒頭から気合いの入ったいい響きです。オケの音色も暗めで・曲調によく合っています。ややテンポを遅めにとって・スケールが大きく、オーソドックスに攻めた演奏だと言えます。


○1996年8月31日ライヴー2

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」

サイトウ・キネン・オーケストラ
(松本、松本文化会館)

全体的にテンポは早めですが・造型は引き締まり、オーソドックスに攻めたシューベルトだと言えます。オケの技術はしっかりしていて・低弦の動きがなかなかよく、高弦は早いパッセージでも息の乱れを感じさせず・サラリと弾いてみせるのはさずがです。第3・4楽章はリズムの斬れ良く、小沢はダイナミックにオケを動かしていきます。反面ごこか音楽の表面を綺麗に整えることに気が行き過ぎの感じがあり、どこか冷たい感じがします。どこまでも真面目で・いかにも日本人らしい音楽だなあと思います。したがって、シューベルトのロマン的要素や歌謡性には乏しく、第2楽章などはサラリとし過ぎで物足りなさを感じです。特に木管のニュアンスが乏しくて不満です。水準を行く演奏ですが、もうひとつ突き抜けるものがないというところです。


○1997年4月23日ライヴー1

シェーンベルク:浄められた夜

サイトウ・キネン・オーケストラ
(パリ、シャンゼリゼ劇場)

サイトウ・キネン・オーケストラ の弦は優秀ですが、響きがまろやかさに欠け・旋律線がきつく、高音がキンキンする感じがします。その神経質で・腺病質な感覚がこの作品に似合っている感じがあるのか、前半はなかなか良いと思います。しかし、この作品が濃厚に引きずっている後期ロマン派の残り香は薄い感じです。後半部においてはふっと揺らぐような感覚が欲しいと思うのですが、楽譜を正確に音にしている感じで・隙がなくて真面目過ぎで・聞いていて疲れるというのが正直な感想です。


○1997年4月23日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

サイトウ・キネン・オーケストラ
(パリ、シャンゼリゼ劇場)

日本人はベートーヴェンだと気合いが入るというか・やはり真面目なところが相性が良いのでしょう。テンポを速めに取って・斬れの良い像稀有で、ここではサイトウ・キネンの硬い弦も力強く魅力的に聴こえます。特に第1楽章は音楽に推進力があって・シャープな造形が生きています。第2楽章は速めのテンポで緊張感を持続させた演奏ですが、深みの点でいまひとつ。特に木管はもう少しニュアンスが欲しいと思います。この楽章が膨らめばバランスが良くなったと思いますが、全体には一本調子の感なくにしもあらず。


○1997年8月31日ライヴ−1

ドヴォルザーク:弦楽セレナード

サイトウ・キネン・オーケストラ
(松本、松本文化会館)

楽譜を音符をとりあえずそのまま音にしてみましたというようなドライな感じの音楽です。特に高弦のキンキン高い硬い音と・無機的で歌心のないのは、民族性とか何とか言う以前に・天性のメロディストであるドヴォルザークの旋律にこれほど不感症的に反応しないのは困ったものだという気がします。表面が奇麗に整ったという以上のものでなく・弦の各パートが自己を主張し合うだけで、互いが絡み合って音楽を作り出そうと言う喜びみたいなものが感じられません。早いパッセージになると待ってましたとばかりに機械的な動きに活気が出るのはうすら寒い気分にさせられます。


○1997年8月31日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

サイトウ・キネン・オーケストラ
(松本、松本文化会館)

ベートーヴェンになると日本人は一転真面目になると言うか気合が入ると言うか、サイトウ・キネンの硬い音がベートーヴェンではそれなりに似合って聴こえるから不思議です。早いテンポで引き締まった表情、推進力のある第1楽章はなかなか立派な出来だと思います。しかし、第2楽章はさらにじっくりした味わいが欲しいところです。一気に描き切ったような勢いは感じさせますが、自然に備わったスケールの大きさはまだまだです。第4楽章はスケールの大きさを意識し過ぎたか・若干動きがもたれる感じです。全体として造形的には申し分ありませんが、旋律の歌い方が直線的で・リズムの打ち方が硬いので、まだまだ音楽に余裕がないと言うか・音楽の深みと言う点で不満が残ります。


○1998年6月7日ライヴー1

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「プルチネルラ」

水戸室内管弦楽団
(フィレンツェ、テアトロ・コムナーレ)

小澤のストラヴィンスキーということで期待しましたが、水戸室内管の弦はキンキンとして聴き難く、各奏者が自分を主張し過ぎの印象で、各奏者が互いの音を聞きながら弾くという室内楽本来の面白さが出ていないように思います。楽譜通りの音を出すことには優秀ですが、旋律に潤いが感じられません。聴いていて元気良く煩いだけで、洒脱なウイットなどはなく、特に木管のデリカシーの無さにはがっかりします。


○1998年6月7日ライヴー2

シューベルト/マーラー編曲:「死と乙女」

水戸室内管弦楽団
(フィレンツェ、テアトロ・コムナーレ)

聴いていてメカニックな印象ばかりが耳に付いて、特に高弦の金属的な硬い響きは刺激的で、何とかならぬかなあと思います。楽器の音が絡み合って行く室内楽の面白さがまったくないので、聴くのが辛い感じがします。強いて良い点を探せば、第3楽章のリズムのきつい表現がマーラー編曲と考えればまあ面白いのかなあと云うところです。


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