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ディミトリ・ミトロプーロスの録音


○1956年1月1日ライブ

ショスタコービッチ:ヴァイオリン協奏曲第1番

ダヴィット・オイストラフ(ヴァイオリン独奏)
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)

オイストラフのヴァイオリンは線が太いふくよかな響きでハッとさせます。この曲は硬質な響きが似合うように思っていましたが、オイストラフの独奏を聴くと、この曲の神経質的なピリピリした要素をヴァイオリンが中和しているように感じられます。表面的には前衛性が薄まったようですが、ヒューマンな要素が心の奥底から湧き上がって来るようです。第1楽章の思索的な旋律が息深く歌い込まれて、深い精神性を感じさせます。圧巻は第2楽章で、リズムの刻みを前面に出してのオケとの火花が散るような掛け合いが実に面白いと思います。ここで披露されるオイストラフの技巧の切れ味が目もさめるようで、第2楽章が終わったところで聴衆が盛大な拍手が巻き起こるのも当然かと思われます。第3〜4楽章も独奏とオケとのダイナミックな掛け合いが聴けます。実に見事な演奏です。ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルもリズム処理が見事で、懇親のサポートを見せます。


○1958年3月3日

シェーンベルク:「浄められた夜」

ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
(ニューヨーク、米CBS・スタジオ録音)

テンポを速めにとって・旋律は十分に歌い込まれていますが、造形は引き締まっています。全体の設計が見渡せるような明晰さがあり、表現が練れている感じです。実に理知的で 、無駄なところを感じさせない演奏だと思います。ニューヨーク・フィルの弦は太めで硬質の音色が指揮者の解釈によくマッチしていると思います。特に後半の清冽な美しさは例えようがありません。一方でうねるような情感には乏しく 、毒気が薄いのは仕方ないところでしょう。


○1958年8月10日ライヴ-1

ブラームス:交響曲第3番

アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭劇場)

リズムとアコーギクの取り方が独特で、なかなか個性的な表現です。特に両端楽章にそれが言えます。主旋律を浮き上がせる行き方で、ロマンティックな情感よりは意志的なものを感じさせます。良く言えば響きがスッキリとして聴きやす い。逆に言えばメランコリックな情感に乏しいようで、この点は好みの分かれるところだと思いますが、第2・3楽章では靄なかからほのかに光が差しているようにも感じられます。両端楽章ではリズムが律儀にしっかり踏まれているのは良いですが・今ひとつ前進する力が弱い感じであるのは残念です。


○1958年8月10日ライヴー2

R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭劇場)

響きの豊穣さよりは・音楽線を大事にした演奏で、響きのなかから主旋律を浮かびあがらせ・音楽の構造がよく理解できる演奏です。理性的に制御された印象なので、音楽にのめりこむところはなく・どこか醒めた感じがあるのも事実です。「大いなる憧れについて」など情感がややドライな感じがしますし、「舞踏の歌」でのヴァイオリン独奏なども乾いた感じです。


○1960年10月31日ライヴ

マーラー:交響曲第3番

ルクレツィア・ウェスト(アルト)
ケルン放送交響楽団合唱団
ケルン大聖堂少年合唱団
ケルン放送交響楽団
(ケルン、ミトロプーロスの最後の演奏会)

ミトロプーロスの最後の演奏会の録音です。このあとミトロプーロスはミラノに飛び、スカラ座のオケとこれと同じくマーラーの第3番のリハーサル中に倒れて、11月2日に亡くなりま した。このケルンの録音でもミトロプーロスの体調は悪く、第1楽章の後の休憩の時にプロデューサーが演奏会の中止を打診したとのことですが、録音からは大きな破綻は伺われません。第1楽章は心持ちテンポが遅く・音楽もやや重めに感じられますが、むしろ第2部の方が出来がよいように思われます。ケルン放送響は力演で、遅いテンポのなかで緊張感を維持して・ダレたところを見せません。心に残るのは第2楽章で、巨大な第1楽章の後でほっとするような安らぎを感じさせる表現です。第6楽章もじっくりした足取りが・しみじみとした味わいを呼び起こし、感動的に締めくくられます。


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