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カラヤンの録音(1984年7月〜12月)

1984年10月:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて来日公演。


○1984年8月23日ライヴ

シューマン:ピアノ協奏曲

クリスチャン・ツィメルマン(ピアノ独奏)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

しっとりとした味わいで・どこか古典的な趣さえ感じさせる名奏です。ソリストと指揮者がぶつかり合うのではなく、しっかりと息を合わせてひとつの曲を作り上げていくという感じがします。テンポをしっかりと取って・リズムの息が深いのです。第1楽章もけだるいロマンティックな感情が古典的な枠組みのなかにしっかりと納まっていて聴き応えがありますが、特に第2楽章のゆったりした流れに叙情性が漂っていてい魅力的です。第3楽章もテンポを急くことなく・じっくりとした落ち着いた味わいが好ましいと思います。ウィーン・フィルの柔らかく深い響きも後見しています。


○1984年8月27日ー1

ヴィヴァルディ:合奏協奏曲「四季」

アンネ・ゾフィー・ムター(ヴァイオリン独奏)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

同じ時期のスタジオ録音はムターのソロをクローズアップした感じがありますが、ここではアンサンブルのなかにムターのソロがよく溶け合っていて・調和のとれた落ち着いた響きなのが好ましいと思います。響きが艶やかで柔らかで・旋律がふくよかに歌われているのは魅力的ですが、曲本来の感触からすればちょっと優雅に過ぎるかも知れません。しかし、決してべたついた濃厚さではなく・ほどよい古典性さえ感じます。まさしくそこがカラヤンの個性かも知れません。どの曲も旋律の持つ歌謡性を十二分に堪能させます。


○1984年8月27日ライヴ-2

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク祝祭大劇場)

女性クラリネット奏者の入団問題に端と発したベルリン・フィルとカラヤンとの騒動はこじれにこじれて、ついにベルリン・フィルがザルツブルク音楽祭への参加を拒否するところまで行ってしまいました。直前まで両者の関係改善のための調整が図られましたが、結局ウィーン・フィルが代わりに起用されることになりました。そのようなゴタゴタのなかで演奏されたにもかかわらず、これはちょっと忘れがたいほどに不思議な魅力を持った演奏です。カラヤンらしからぬと言っては変ですが、普段のカラヤンには考えられないほど感情ののめり込みが激しい演奏なのです。ウィーン・フィルの繊細な弦の響きのなかに、チャイコフスキーの触れただけで壊れてしまいそうなほどに繊細な神経の震えが伝わってくるようです。それは決して「ロマンティック」というような甘い言葉で表現できるようなものではなく、むしろ病的で危うい感じさえなしとしません。そこがこの演奏の評価を分けるところですが、カラヤン美学のある一面を示しているとも言えそうです。普段のカラヤンは感情がナマに出るのを意識的に避けるようなところがありますが、この演奏ではカラヤンの感情がナマでほとばしる感じがします。それが曲から来るものか、この演奏会の異常な状況から来るのかは判断がつきません。第1楽章の第1主題がうめくように沈痛です。それだけに第2主題がまるで慰めか祈りのように響きます。曲全体を通して間合いが実にゆったりしていてスケールが大きい感じです。例えば第1楽章の展開部に入る直前、ファゴットの下降音型からオケの全奏に入る一瞬の間合い(音のタメ)など、普段のカラヤンの倍の長さです。第4楽章ではさらにそれが顕著で旋律が息長く歌われて、絶望や諦観というのとは違いますが・明らかに死に直面したチャイコフスキーの姿が浮かんできます。この演奏を聴くとチャイコフスキーの自殺説というのはほとんど確信のように思われるほどです。ここにあるのは救い、死による救いを求める声です。フィナーレはまさに消え入らんばかりのピアニシモ、深いため息がまるで末期の呼吸に聞こえてくるようで、聴いているこちらの息が止まってしまうようにさえ感じられます。演奏が終わってしばらくの間あって、まるで我に返ったかのようにパラパラと拍手が始まり、やがて割れんばかりの万雷の拍手に変わっていきます。聴衆の感動が目に浮かぶようです。


○1984年8月28日ライヴ

ブラームス:交響曲第1番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク祝祭大劇場)

全体の 解釈はベルリン・フィルの時とそう変わっていないと思いますが、オーケストラの個性が印象を分けています。マイルドで滋味あふれるブラームスになっています。ウィーン・フィルの場合は、ベルリン・フィルのようなリズム感の斬れ・躍動感 には乏しいと言わなければなりません。しかし、 この演奏でのウィーン・フィルの弦のまろやかさ・木管のキメ細かさは特筆すべきもので、特に中間楽章ではゆったりとした遅めのテンポが魅力的です。ロマンティックな情感をふくよかに表現して 、ベルリン・フィルとはまた違った意味で素晴らしいブラームスであると思います。  


○1984年8月31日ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ルツェルン、クンスト・ハウス、ルツェルン音楽祭)

27日のザルツブルクでの演奏会の4日後の演奏会で、この日も本来はベルリン・フィルが演奏する予定でした。27日の演奏があまりにショッキングなだけについ比較をしてしまいますが、 感情ののめり込みがいつものカラヤンよりナマに出ているのは同様です。 しかし、病的に思われたほどに繊細で息の長い表情が印象的であった27日の演奏と比べると、この31日の演奏はやや平静さ・健康さを取り戻しているようです。第2楽章のワルツがさらに遅いテンポで演奏されており、ウィーン・フィルの弦の優美な歌いまわしが魅力的です。こうして聴くとこの5拍子のワルツはなかなか妖しげな雰囲気に思われます。第3楽章もリズムを重くとって迫力があり、金管の咆哮は荒々しいほどです。これら中間楽章のリズムが遅めなことがこの日の演奏が若干重い印象を与えているようです。この中間楽章の「憂鬱な回想」と「強がりの激情」を経ることで、第4楽章の「悲愴」たる意味がいっそう深くなっ たように思われるのです。


○1984年9月17日〜24日

チャイコフスキー:交響曲第4番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

ベルリン・フィルとの70年代の録音では情念が内に凝縮するような力を感じさせる素晴らしいものでしたが、この演奏ではそうしたフォルムへの意識をあまり感じさせず・むしろ力を外に開放しながら・そこに微妙な制御を掛けている感じ。例えるならば・馬に自由に走らせているようでいて・実は御者がコントロールしていて・その手綱捌きを感じささせないという感じです。ウィーン・フィルの表情は繊細で・旋律は息長く十二分に歌い込まれています。それでいてスケール感も十分です。テンポ設計も適切で・フォルムがぴったりと曲にマッチします。まるで彩色絵巻を見るような第1楽章が圧巻であるのは言うまでもありませんが、中間楽章のゆったりした雰囲気は安心して身を任せたくなる心地良さです。


○1984年9月22日

ブルックナー:テ・デウム

バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)、ジョゼ・ファン・ダム(バリトン)
ジャネット・ペリー(ソプラノ)、ヘルガ・ミュラー=モリナーリ(アルト)
エスタ・ヴィンベルイ(テノール)、アレクサンダー・マルタ(バス)
ルドルフ・ショルツ(オルガン)
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

響きが澄み切っており音楽が明晰さに溢れでいます。とても滑らかなブルックナーですが、ブルックナー・ゼクエンツの持つ前進する力が漲っており・しかもギアチェンジが実に巧いからそう感じるのです。気がつくと・いつの間にか高いところに持ち上げられているような感じがします。この時に響きの明晰さが威力を発揮します。ウィーン・フィルの金管が輝かしく、独唱陣・合唱も響きが美しく・素晴らしい演奏に仕上がりました。


○1984年11月24日ライヴー1

R.シュトラウス:交響詩「死と変容」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

音楽の流れがスッキリとしていて・造形が引き締まって・とても素晴らしいと思います。特に前半の幻想的な雰囲気から次第に音楽が盛り上がっていく流れが実にダイナミックで見事なのです。特に木管のソロが実に美しいと思います。密度の高い名演だと思います。


○1984年11月24日ライヴー2

R.シュトラウス:メタモルフォーゼン

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ベルリン・フィルの弦の響きがまるで光が明滅するようい揺れ動き、幻想的で実に美しいと思います。諦観に満ちたR.シュトラウスの世紀末的情感が慰めのように静かに心に響いてきます。ベルリン・フィルの弦は引き締まっているなかにも独特の艶があって魅力的です。晩年のカラヤンならではの至高の境地です。


○1984年12月12日ライヴ-1

オネゲル:交響曲第3番「礼拝」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ベルリン・フィルの暗くて思い響きで描く演奏は、フランスのオケの透明な響きとは印象がかなり異なります。いわば油絵と水彩画との感触の違いです。しかし、この曲の本質を別の観点から明らかにしてくれるようです。鋭角的なリズムの斬れを前面に出すやり方もあると思いますが、ここでの演奏はリズムはむしろ重めです。その代わり音響の塊(かたまり)が聴き手にぶつかってくるような感じです。その音色の微妙な混ざり具合から、時代への不安・迫り来る運命への恐怖が聞こえてきます。第2・3楽章から静から動、鬱から躁へのダイナミクスが大きく、しかも流れるような自然な展開で聴き手をつかんで離しません。その中に慰め・祈りとも言える感情が醸し出されます。しかし、その祈りは曲のなかでは成就されることなく、聴き手の心のなかに提起されたまま保留さ れます。


○1984年12月12日ライヴー2

ブラームス:交響曲第1番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

前年83年のザルツブルクでの演奏と比べると演奏時間はあまり変わらないのですが、受ける印象は若干の変化が見られます。83年の演奏はリズムの刻みを前面に押し出し・フォルムへの意識を明確に持った演奏だと思います。しかし、この演奏ではフォルムへの締め付けを若干緩めて、より伸びやかに・しなやかに歌おうとする感じが見えます。テンポもやや遅めで余裕を以た感じに聞こえるのもそのせいかも知れません。弦を主体にした主声部を強調した大きな構えになっていると感じられます。テンポは両端楽章ではかなり幅を持った設計をされていて、曲のダイナミクスが大きくとられています。特に終結部でテンポを大きく落とした終わり方は大芝居というか・ライヴならではのものでしょう。また第2楽章はテンポをゆっくりとって・メロディーを息長くとって透明感のある演奏で、この曲のなかで一服の清涼感をもたらすように美しく感じられます。


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