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カラヤンの録音(1980年7月〜12月)


○1980年8月15日ライヴ

ブルックナー:交響曲第7番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

テンポを心持ち早めにとって、全体の均整がとれたスッキリと美しい演奏に仕上げっています。ウィーン・フィルは弦が柔らかくて、旋律は息を深くとって歌われて、実に魅力的です。旋律が粘らずスッキリとして、独特の透明感があるのです。金管も全奏においても決して刺激的にならず・まろやかな響きです。カラヤンはもちろん曲の設計をうまく見通しており、見事な手腕で手細工らしいことをまったく感じさせません。自然な形で聴き手をクライマックスへ導いていきます。テンポをあまり動かさず・じっくりした足取りで悠揚迫らざる風情のブルックナーを描き出しているのです。もちろん実は微妙にテンポを変化させている場面もあるのですが、それをほとんど感じさせないのです。これはもうカラヤンならではのブルックナーの魅力だと言ってよいと思います。その透明で 清冽なイメージは比類なく、眼前にみごとに晴れ渡った青空の下のアルプスの大連峰が出現するのです。特に第1楽章と第2楽章が素晴らしく・聴きごたえがします。第2楽章ではまるで大河のようにゆったりしたうねりのなかに、神への澄み切った感謝の感情が浮かびあがります。第3楽章スケルツォにおけるリズム感と、ウィーン・フィルの金管の威力も聴き物です。


○1980年9月22日・23日−1

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

ベルリン・フィルとの66年の録音よりも・テンポが若干遅めになり・細部に磨きがかかって、響きがさらに艶やかに・情感がさらに細やかになった感じです。第2楽章ワルツの軽い感触のなかに・ほのかな香りが漂ってくるような表現です。第4楽章の軽快なリズムの生み出す生命力。スケールは大きいけれども決して重い表現にならないのが素晴らしいところです。


○1980年9月22日・23日−2

ドヴォルザーク:弦楽セレナーデ

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

ドヴォルザークの哀愁を帯びた旋律をゆったりしたテンポで歌い上げている。特に前半2楽章は情感を細やかに描いて、ドヴォルザークの音楽の魅了を十二分に引き出しています。第4楽章もスケールは大きいけれど、リズムは重くならずに軽やかで・弦の各セクションの旋律を絡み合いが実に美しいと思います。微妙なテンポの変化が実に自然で、そこから民族的な味わいが自然ににじみ出てきます。


○1980年9月25日

R.シュトラウス:変容(メタモルフォーゼン)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

全体のテンポは速めに感じられますが、 弦の絡み合いが実に艶かしく感じられ、その息の深さに感嘆させられます。ベルリン・フィルの響きが磨き抜かれて・情感が中空に漂うように美しく感じられます。カラヤンは旋律を息長く大きく捉えて・豊かに響かせていますが、その色合いのなかに時代への不安・諦観・崩壊への予感が覗かれて、ゾクゾクするような美しさがあります。音楽は決して粘りませんが、糸を引くような余韻があります。 響きの美しさのなかに耽溺するのではなく、これを理知的にコントロールする醒めた眼を感じさせます。それが響きの明晰さに現れています。カラヤン晩年の傑作と言える と思います。


○1980年9月26日〜28日

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲

アンネ・ゾフィー・ムター(ヴァイオリン独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

若きムターの演奏は実に初々しく・伸びやかです。デビュー間もない頃で表現は線が細く・硬い感じもありますが、それもかえってこの演奏の若々しさにつながっているように感じられます。これをサポートするカラヤンのはムターを手のなかに守りながら・そのなかに伸びやかに自由に羽ばたかせているようで・心憎いほどです。これはムターの表現は幼いということではなくて、むしろここで聞かれる表現はとても十代の若手の演奏とは思えないほどです。旋律を息深く十二分に歌わせる技巧など文句のつけようがありません。しかし、ここまでムターを自由に泳がせることができるのもまったくカラヤンゆえということを感じます。第1楽章ではカラヤンは表現のスケールをあまり大きくせず・オケが独奏者を圧倒するところがまったくありません。第2楽章では 清冽な情感のなかでムターの旋律が息深く歌われて、心慰められる表現です。第3楽章ではオケの快いリズムのなかに喜びが静かに湧き上がってくるような・心暖まる表現です。


○1980年11月16日・17日

シベリウス:交響曲第2番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、EMI・スタジオ録音)

両端楽章が素晴らしいと思います。第1楽章は静けさと安らぎを感じさせる美しい表現です。ベルリン・フィルの暗めの渋い響きが北欧の冷たい空気を運んでくるような感じです。第2楽章はロシアの圧政を示す重苦しさ、これに耐える民衆の意思を感じさせます。ここでの抑えた表現が後で生きてきます。第4楽章は爆発的なスケールの大きい感情表現ですが、テンポをゆったり取って・旋律を息長く歌い上げています。


○1980年11月23日ライヴ

ブルックナー:交響曲第5番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ブルックナーにおける足取りの重要性を再認識させられます。カラヤンは決してインテンポに取っているのではなく・曲想に応じて微妙にテンポを伸縮させていて、勘所では大きくテンポを動かすことがあるのですが基調としてのテンポがしっかり意識されているのです。このことがブルックナーにおいては非常に重要なことであると思います。加えて色彩を曲想に応じて絶えず微妙に変化させていくことです。これで曲を決して単調に感じさせず・常に移り変わる印象を与えているのです。この交響曲はバロック建築を想わせるような壮麗さと宗教感を感じさせますが・その構成の複雑さでは、このカラヤンの構成力が十二分に発揮されています。第2楽章の繊細さと息の長さは陽光に向かって樹木の枝葉が伸びていくような生命の息吹きを感じさせます。第3楽章のダイナミックな力感も素晴らしいと思います。ベルリン・フィルの金管の咆哮の凄まじさ、弦の力強さも印象的です。


○1980年12月1日〜3日

R.シュトラウス:アルプス交響曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

描写音楽の得意なカラヤンだけに、構成的には難あると思えるこの曲を・パノラマ的に実に巧くまとめています。冒頭の弦の弱音の霧の場面から、前半のクライマックスに至る過程などは惚れ惚れするような見事さです。眼前に晴れ渡ったアルプスの高峰の光景がパッと広がるような感動があります。 クライマックスにおいても悠然とアルプスの風景を見渡す余裕を感じさせます。旋律を息長く大きく捉えて、この曲のスケール感を実に自然に描き出しています。微妙な色合いの変化をさりげなく表しながら・知らぬうちに光景を展開していきます。カラヤンとR.シュトラウスとの相性の良さを改めて実感させます。ベルリン・フィルの弦のふっくらとした柔らかさ と・淀みを感じさせない澄んだ響きはとても魅力的です。晩年のカラヤンの演奏のなかでも強く印象に残るもののひとつです。


○1980年12月30日ライヴ

R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」

ムスティラフ・ロストロポービッチ(チェロ独奏)
ヴォルフラム・クリスト(ヴィオラ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

実に素晴らしい演奏です。ロストロポービッチのチェロは自由自在で、カラヤンの描くカンバスの上の水を得た魚のように動き間輪います。ユーモアもあり・機知もあり、オケとの丁々発止のやり取りは聴いていてとてもスリリングです。クリストのヴィオラもロストロポービッチを立てながら・さりげなく自己主張をしていて・見事です。線がスッキリしていて・音が描き出す風景が実にクリアで、これでこそR.シュトラウスです。結果として協奏曲的な面白さを満喫させるスケールの大きい演奏に仕上がりました。この手練のソリストを自在に泳がせるカラヤンの手腕は言うまでもありません。極彩色のワイド画面の映画を見るが如く・ダイナミックでスケールの大きい音楽で、場面が刻々と変化していくのを聴いていて・ワクワクします。


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