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カラヤンの録音(1979年7〜12月)

1979年10月:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて来日公演。
1979年12月:初のデジタル録音によりワーグナー:楽劇「パルシファル」。


○1979年7月29日ライヴ-1

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

この時期のウィーン・フィルはカラヤンとはザルツブルクだけの共演です。そのせいか限られたチャンスを全力で生かそうとするかのような力漲るウィーン・フィルが聞けます。ベルリン・フィルと張り合っているような気の入り方のように思えます。まずこの時期のカラヤンに共通した高弦の力強さ・低弦の充実がここにも聴けますが、渋い音色で・鋼のように強靭なベルリン・フィルの弦とは異なる・しなやかさと柔らかさを特徴とするのがウィーン・フィルで、カラヤンの直線的な造形に独特の丸みを与えているように感じられます。その良さが第1楽章や第4楽章のそれぞれの第2主題にふっと安らぎを感じさせる豊かなニュアンスに感じられます。ベルリン・フィルとの「新世界」も素晴らしいですが、このウィーン・フィルとの演奏も独自の魅力を持っています。特に前半の2楽章が傑出した出来です。冒頭から望郷の念が湧き上がって来て、これで後半のリズム主体の楽章が生きてきます。表現のダイナミクスの大きい振幅の大きさはカラヤンならではですが、それが全然作為的に感じられません。第1楽章冒頭や第2楽章の抑えた表現は印象的です。第3〜4楽章でのリズミカルな動きはウィーン・フィルの低弦が効いているので・迫力があります。そのなかで第2楽章ラルゴはすっきりした簡素な印象ですが、全曲のなかでその位置が生きています。


○1979年7月29日ライヴー2

ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

全体に早めのテンポで・編成は大きめに感じられますが、ウィーン・フィルの響きは透明で・澄み切っており、リズムの重さを感じさせません。ベルリン・フィルならもう少し響きが重くなって・生真面目な印象が強くなったと思いますが、この表現の柔らかさと洒脱さがハイドンによく似合っていると感じます。第4楽章など結構な快速なのですが、あまり風圧を感じさせず・軽い味わいなのはウィーン・フィルの良さだと思います。だからカラヤンのテンポ設計が生きてくるのでうs。第1楽章冒頭はスケール大きい表現ですが決して重ったるくならず・展開部からの軽い味わいが生きてきます。第2楽章も速めのテンポでサッパリした味わいに好感が持てます。


○1979年8月27日ライヴ

R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

ミッシェル・シュヴァルべ(ヴァイオリン独奏)
ディビット・ベル(オルガン)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

カラヤンのR・シュトラウスの語り口の巧さは言うまでもないですが、早いテンポでスタイリッシュな表現が曲に実によくマッチします。響きは色彩的ですが・表現が凝縮されていて、ジェットコースターのように展開していく流麗な曲の展開がとてもスリリングです。カラヤンのR・シュトラウスが良いのは響きが豊穣であるのに・分厚く重い感じがまったくなくて、木管がスッキリと抜けて見通しが良いことです。これでなければR・シュトラウスではないと感じさせます。愛の場面のベルリン・フィルの震えるように艶やかな響きが実に魅力的です。ベルリン・フィルはカラヤンの意図を十二分に体現していると感じさせます。


○1979年8月28日ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

全盛期のカラヤン/ベルリン・フィルの演奏だけに気力充実、まさにカラヤン芸術のひとつの到達点を見る思いがします。全体的に早めのテンポで進められますが、甘くもなく・冷たくもなく、楽譜にあるものが書かれたとおりに鳴るべきように鳴っているという感動に襲われます。したがって、後年84年のウィーン・フィルとのスタジオ録音などと比べると、完璧に理性でコントロールされている印象を受けると同時に、非常に健康的な印象があります。それは表面だけをきれいに磨いて鳴らしているということではなくて、本当にゆがみのない澄み切った鏡であるから曲のイメージが正確な形で写し出されるのです。すっきりと洗練された無駄のない表現ですが、曲の悲しみを生なかたちで捉えるのではなく・もっと純化したかたちで音化したという感じです。例えば第4楽章の旋律がこれほど澄んだ響きでスッキリと歌われながら、まるで悲しみが天に救い上げられて神の祝福を受けているような気さえする美しさなのです。第1楽章においてもメランコリックな旋律が甘ったるくではなく・意外なほどに客観的に歌われるのですが、そこから澄み切った姿で作品の叙情性が浮かび上がるのには驚かされます。これがまさに世に言う「カラヤン魔術」ではないのでしょうか。と同時に第3楽章ではベルリン・フィルの機能性を最大限に展開させています。まだ第4楽章があるのに聴衆から思わず拍手が沸くのも無理はありません。「悲愴」交響曲の理想的なフォルムをこの演奏は体現していると感じられます。


○1979年11月22日、23日、1980年2月15〜17日、9月30日

マーラー:交響曲第9番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

後年ベルリン芸術週間(82年)のライヴがCDリリースされて影が薄い存在になっている録音のように思いますが、ライヴとは違った良さがあり・改めてその存在価値を実感しました。スタジオ録音は仕上がりが丁重で・腰をどっしり据えた安定感があって・どちらも捨てがたいと思います。細部で見せるカラヤンの抑制の効いたオケ・コントロールと息の深さはスタジオ録音の方が優れているようです。各楽章の性格がくっきり描かれています。解釈は82年とそう変化ないようですが、テンポはこのスタジオ録音の方が心持ち遅めのような気がします。特に両端楽章でそう感じます。じっくりした足取りで・深みのある第1楽章も素晴らしいですが、これも中間2楽章の扱いがうまいことで生きてきます。第2楽章のアイロニカルな味、第3楽章のオケの動きにはベルリン・フィルの機動力が生きています。第4楽章の息の深いじっくりとした音楽、終盤の弦の澄んだ・引き締まった響きの美しさは比類がありません。


 

 

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