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カラヤンの録音(1964年)

1964年6月20日:R.シュトラウス生誕100年記念演奏会でウィーン・フィルと「ドン・キホーテ」と「ツァラトゥストラはかく語りき」を演奏。


○1964年2月11日・12日

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ダーレム、イエス・キリスト教会、独グラモフォン・スタジオ録音)

充実した演奏です。しかし、現在の我々はカラヤンの何種類もの「悲愴」の録音を所有しており・カラヤンの芸術を俯瞰できる位置にあります。そうして見ると、76年のベルリン・フィルとのスタジオ録音がカラヤンの「悲愴」解釈のひとつの到達点と見ることができると思いますが、この時代のベルリン・フィルは音色的にフルトヴェングラー時代の残渣をまだまだ残していると言えそうです。これはフルトヴェングラー時代の絵具を用いて描きあげた絵という感じがします。これはいいとか悪いとかの問題ではありませんが、この違いは小さくもあり・大きくもあります。カラヤンのこの曲に対するアプローチは後年と大きな変化はなりように思われます。しかし、この演奏でのベルリン・フィルには感情の高まりが音の塊りになって聴き手にぶつかってくるような強さがあり、これがこの時代のカラヤン/ベルリン・フィルだけに見える魅力になっているのです。特に第1楽章の振幅の大きい表現にチャイコフスキーのメランコリーが熱く響きます。第3楽章でのベルリン・フィルの機動力全開といった迫力も聴き物です。


○1964年8月17日〜24日−1

バッハ:管弦楽組曲・第2番

カール・ハインツ・ツェーラー(フルート)
エディット・ピヒト・アクセンフェルト(チェンバロ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(サン・モリッツ、ヴィクトリア・ザール、独グラモフォン・スタジオ録音)

響きは豊穣で弦に厚みがあり・強奏時にはフルートの音が埋もれそうです。古楽器全盛の昨今から見れば時代錯誤のようなものですが、豊かでロマンティックな味わいもまた捨て難いものがあります。第1曲などはもう少し形式感のなかに厳しい表現が欲しい気もしますが、この濃厚な味わいこそ大編成で聴くバッハの味わいかも知れません。ツェーラーのフルートは派手さには欠けるところがありますが、全体の枠にしっかり位置付けられたもので・渋く折り目正しい感じがします。


○1964年8月17日〜14日ー2

バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番

エディット・ピヒト・アクセンフェルト(チェンバロ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(サン・モリッツ、ヴィクトリア・ザール、独グラモフォン・スタジオ録音)

大編成オケのバッハとして・ロマンティックな観点から捉えなおした演奏だと受け取りたいと思います。そう考えれば実に練り上げられた表現だと思います。まず大編成オケならばどうしても避けられない重い感覚を速いテンポで回避しています。実際テンポはかなり速いと思いますが、一糸乱れぬアンサンブルは見事で、勢いのある動的な表現で・めまぐるしく駆け回る音階の流れのなかでバッハの対位法の面白さをスリリングなほどに感得させます。特に終盤のテンポの速さとアンサンブルの見事さは息もつかせぬほどで・これはバッハでないという人もいると思いますが、現代コンサート・ホールでのバッハとしてこれは納得できるものだと思います。


○1964年10月28日

シベリウス:交響詩「フィンランディア」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ダーレム、イエス・キリスト教会、独グラモフォン・スタジオ録音)

金管の咆哮が直截的な響きで聴き手に突き刺さってくるようです。ベルリン・フィルの弦の暗めで硬質の音色・低弦の重苦しい響きがシベリウスの音楽にぴったりです。前半の緊張感ある抑えた表現から、爆発的なフィナーレに持っていく設計が実に見事です。


○1964年12月15日ライヴ−2

ヴェルディ:歌劇「椿姫」〜第1幕への前奏曲・第3幕への前奏曲

ミラノ・スカラ座管弦楽団
(ミラノ・スカラ座、全曲演奏からの抜粋)

ミラノ・スカラ座での初日(17日)前のドレス・リハーサルでの録音。1週間後(22日)の演奏と比べると、主旋律を生かしたよく歌う演奏であることに変わりはないのですが、第1幕への前奏曲は、22日のものよりもテンポが遅くて色が暗めのように感じられます。恐らくカラヤンが本来とりたかったテンポはこうだったのであろうと思います。初日の演奏がスキャンダラスな話題を呼んでしまったのでカラヤンも多少妥協して解釈を修正したということなのでしょう。

カラヤンがこの遅めのテンポで描き出したかったのは、消え入るようなピアニッシモからにじみ出るような死への予感なのです。実際、この時のゼッフィレッリ演出では第1幕の幕が開くとパーティーの場面ではなくて死の床についたヴィオレッタの寝室であったそうで、これは観客に大きなショックを与えたようです。しかし、1853年のヴェニスでの初演の時もそうであったのです。

逆に第3幕への前奏曲は、22日の演奏よりも若干早めであり、オケの歌い方はより振幅が大きくなっていますが、そのことも第3幕との関連から理解できると思います。この2つの前奏曲のテンポは演出者と協議して入念に準備されたものであったのだろうと思います。


○1964年12月22日ライヴー2

ヴェルディ:歌劇「椿姫」〜第1幕への前奏曲・第3幕への前奏曲

ミラノ・スカラ座管弦楽団
(ミラノ・スカラ座、全曲演奏からの抜粋)

初演(17日)の後、20日、22日と続いた上演の3回目の録音。演奏は甘ったるいところがなくて、素晴らしくよく歌う演奏です。テンポは通常のイタリア人指揮者が振るよりは若干遅めかも知れませんが、イタリアのオケのせいか旋律の歌い方が直線的でスッキリとしてリズムが粘らないのです。曲の持つ悲劇性がセンチメンタルにならずに、 情感がにじみ出るように表現されています。


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