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ジュリー二の録音


○1956年1月19日ライヴ

ヴェルディ:歌劇「椿姫」

マリア・カラス(ヴィオレッタ)、ジャンニ・ライモンディ(アルフレート)、エットレ・バスティアニーニ(ジェルモン)
ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団
(ミラノ、ミラノ・スカラ座)

ジュリー二の指揮はリズムを明確に取って、テンポをあまり動かさず、基本的にはトスカニーニの行き方に近いですが、抑制の利いた造形から旋律のなかに秘められたヴェルディの情感がにじみ出るようで、素晴らしいと思います。またスカラ座のオケがしっかりしているので、舞台で歌手が繰り広げるドラマの陰影がより強く感じられるということもあるようです。カラスの歌唱は、感情の起伏がとても大きく、聴き手にビンビン伝わって来きます。時に声が割れるきらいもあり、ヴェリズモに傾いているという批判もありそうです。ヴィオレッタに新派悲劇調の甘さを求めようとすると、キャラクターテ的に強すぎるということもあるでしょう。しかし、この役のアンビヴァレントな側面をカラスほど鮮烈に表現できる歌手はやはりいないと思います。ヴィオレッタがこの行き方であると、ジェルモン親子の感情表出は、シンプルで抑え目な法が良いと思いますが、ライモンディとバスティアニー二の歌唱は、良い意味においてストレートな歌唱です。ライモンディは甘さよりは、直情的な強さ・あるいはひたむきさで、その良さは第2幕第2場でヴィオレッタを侮辱する場面において、最も良く出ています。バスティアニー二は、声が若々しく、アルフレートとの年齢差を感じにくいですが、清潔で美しい歌唱です。


○1957年7月

フランク:交響曲

フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、EMIスタジオ録音)

1956年までスカラ座の主席指揮者と勤めたジュリー二が国際的舞台に登場する初期の録音に当たります。晩年のジュリーにのようにテンポを遅く取って・じっくりとした足取りで・うねるような流れを作り出していくやり方とは全然異なり、早いテンポで・斬れ味鋭くい造形の音楽作りです。音楽に勢いがあって、その簡潔な造形はトスカニーニの流れを感じさせます。特に第1楽章が素晴らしいと思いますが、複雑な楽譜を見渡す明晰さを感じさせ・そのアクセントの強烈なアタックは聴き手に突きつけるナイフのような鋭さを感じさせます。フィルハーモニア管の響きは細身ながら強靭なしなりを感じさせ、若々しいジュリー二の音楽作りにふさわしいと思います。第3楽章もオケを早めのテンポでドライヴして・流れをキリッと引き締めていて、重ったるいところがありません。この時代のジュリーにを代表する名演だと思います。


○1958年6月

シューマン:「マンフレッド」序曲

フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、EMIスタジオ録音)

テンポを速めに取って・音楽に勢いがあり、聴き手を一気に音楽の流れのなかに引き込みます。フィルハーモニア管の響きはドイツ的な重厚さはもっていませんが、特に弦は硬質の力強さを感じさせて・ジュリー二の音楽にふさわしいと思います。


○1959年−1

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲

フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、EMIスタジオ録音)

フィルハーモニア管の透明な音色を生かして、とても爽やかな印象の演奏に仕上がりました。特に第1曲「夜明け」は鳥の鳴き声を模した管の旋律を実に丁寧に写実的な生かしているのがとっても印象に残ります。ラテン的な明晰さを感じると同時に、どこかソフトな・ロマンティックな感触があるのがジュリー二の持ち味のように思われます。「全員の踊り」ではテンポをやや重めに取って・オケの重量感を引き出しています。


○1959年ー2

ラヴェル:道化師の朝の歌

フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、EMIスタジオ録音)

リズムの鋭さ・正確さを前面に出すという感じはないのですが、決して斬れが悪いということではありません。ジュリーにの音楽作りにはどこかソフトな感触があって、そういう印象になるのだろうと思います。しかし、オケの音色は明るく透明で・そこにラテン的な感性が感じられます。


○1960年

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

クラウディオ・アラウ(ピアノ独奏)
フォルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、EMI・スタジオ録音)

アラウのピアノが素晴らしいと思います。力強く・タッチが揃った音色で・旋律を十分に歌い、渋になかにも華麗さがある・ブラームスのお手本のような演奏です。特に第1楽章はその音楽の息の長さとスケールの大きさで名演だと思います。ジュリー二の伴奏はフィルハーモニア管の音色が薄手で明るく・ブラームス向きとは言えない感じもしますが、それも聴いているうちに不満を感じなくなり、ソリストとがっぷり四つに組んだ熱い演奏を展開します。第2楽章のゆっくりしたテンポでも緊張感を持続させて・深い音楽を聞かせています。


○1962年10月

ブリテン:歌劇「ピーター・グライムス」〜四つの海の間奏曲

フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、EMIスタジオ録音)

四つの喧騒曲の性格がよく描き分けています。「夜明け」は重厚な響きとじっくりしたテンポで旋律を歌わせて・ちょっと晩年のジュリー二のスタイルを思い起こさせます。「嵐」はアタックが強烈で・ダイナミクスの大きい表現に仕上がっています。


○1976年11月30日、12月1日

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

イツァーク・パールマン(ヴァイオリン独奏)
ロンドン交響楽団
(ロンドン、アビー・ロード・スタジオ、EMIスタジオ録音)

パールマンのヴァイオリンは高音の響きが強く、線がシャープなので、ブラームスの濃厚なロマン性と云う点では若干の不満が残りますが、もちろんテクニックは見事なもので、第1楽章や第3楽章終結部ではヴィルトゥオーゾ・コンチェルト的なテクニックの斬れとスケールで聴かせますが、第2楽章はスッキリした綺麗な流れではあるけれど、瞑想的なロマン性に浸るという感じにならないのは、仕方ないところです。全体的にソリストの個性が優っており、サポートするジュリーにはあまり強い主張が感じられず、良い意味で引き立て役に徹しているということでしょうか。ブラームスの交響曲的ながっちりした構想は見えてこない感じです。


○1977年

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ムスティラフ・ロストロポービッチ(チェロ独奏)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
(ロンドン、EMIスタジオ録音)

ジュリーニの指揮はあまり目立ちませんが、テンポを微妙に伸縮させて、繊細かつ細やかに曲の情感を描き出していきます。その抒情的表現には聴くべきところがありますが、細部にこだわるあまり、音楽の勢いが犠牲になってしまった感があります。第2楽章や第3楽章中間部にやや弱い場面があります。ロストロポービッチのソロは相変わらず見事なものですが、ジュリー二の解釈に沿った、しみじみとした情感のあるソロに、この演奏を特長がありそうです。


○1977年4月8日・9日

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」

シカゴ交響楽団
(シカゴ、独グラモフォン・スタジオ録音)

テンポは遅いと云うほどでないですが、ゆったりとして、不必要にテンポを揺らすことをしません。例えば第1楽章展開部に入るところでテンポを速めに取る指揮者は多いですが、ジュリー二はテンポを動かさず、悠然としてスケール大きな演奏を展開しています。第3〜4楽章では、オケの実力を十二分に発揮したダイナミックな演奏に仕上がっています。シカゴ響は、もちろん技術的には見事なものです。鳴り過ぎに思えるほど豊穣で明るい響き、弱音での透明感など、舌を巻く巧さです。楽譜の音符をすべてを見通したようなイタリア的明晰さに満ちています。しかし、それがジュリー二の体質にぴったりかというと若干の疑問は残ります。ここはヨーロッパのオケの渋い音色の方がジュリー二の解釈には似合ったのではないか。


〇1978年3月13日・14日

シューベルト:交響曲第8番「未完成」

シカゴ交響楽団
(シカゴ、オーケストラ・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

思ったよりもテンポは速めで、淡々としてあまりテンポを揺らさず、客観的に曲に対した印象です。これはシカゴ響の個性によるのでしょうが、細身でスッキリした造形で、分離の良い響きのなかに透明で澄んだ抒情性が広がります。逆に云えばあっさり風味です。そう気になるわけではありませんが、時に立ち上がりが鋭い感じがする場面があり、ヨーロッパのオケでこれが聴ければと云う気がちょっとしないでもありません。


○1980年11月9日ライヴ

マーラー:交響曲「大地の歌」

ペーター・ホフマン(テノール)
タチアナ・トロヤノス(アルト)
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
(ロサンジェルス)

ペーター・ホフマンの歌唱が素晴らしい。朗々としてスケールが大きく、しかも言葉を大切にして・オペラティックな伸びた歌唱になっていないのにはとても感心しました。特に第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」はスケール感と寂寥感が素晴らしく・とても感動的な歌唱です。トロヤノスも端正な歌唱で・曲の持つ情感を余すところなく表現していて、特に第4曲「美について」はとても美しいと思います。ジュリー二のサポートも素晴らしいと思います。ロス・フィルの響きを生かして、シャープで引き締まった表現を見せます。特に第1楽章ではアクセントを強く・鋭角的な表現がホフマンの歌唱と相まって強い印象を与えます。また第5楽章「秋に酔える者」・第6楽章「告別」での荒涼とした風景も見事なものです。


○1983年2月27日・28日

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」

バイエルン放送交響楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール、ソニークラシカル・スタジオ録音)

1977年シカゴ響との同曲録音と比べると、全体の解釈はそう変わらないように思いますが、オケの体質が印象を分けています。グラマラスで精緻なシカゴ響の演奏と比べて、バイエルン放送響の演奏は骨太く渋い印象になります。しかし、ジュリー二の体質にはこちらの方が合っているのではないでしょうか。曲に対して真正面からぶつかりあう気迫が感じられて、なかなか聴き応えがあります。昔風のテンポをゆったり取った悠然たる風格を感じさせます。両端楽章は特にスケールが大きい表現ですが、終結部辺りに少々大時代的な表現が見え ますが、それもぴったり決まっています。第2楽章はロマンティックで古風な雰囲気がたっぷりあります。第3楽章はもう少しテンポを速くして躍動感を出した方が全体が引き締まったのではない かと思います。


〇1985年3月5日ライヴ

ブルックナー:交響曲第7番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

テンポが遅いと定評のジュリー二にしては、珍しく随分テンポが早い演奏で、と云ってもこれで普通のテンポですが、しかし、問題はテンポが遅いか早いかということではなく、リズムの刻みが浅いことで、音楽に深みが感じられないことです。これを聴くと、普段のジュリー二がテンポが遅いのはそれなりの理由があるのかなとも思います。特に前半2楽章にこの問題が顕著です。しかも、第1楽章ではテンポが揺れますが、ここでの欠点はテンポが上がって来ると、音楽がせかせかして、曲の斬り込みが浅くなってくることです。そのためブルックナーに最も必要な荘厳さとスケール感が削がれる結果になっています。第2楽章を聴いていると、ジュリー二がブルックナーを和声でなく、表面的に旋律で捉えている感じがして、作曲家への共感があまり感じられない気がします。こういう演奏をジュリー二で聴くとは思わなかったなあというのが、正直な感想です。後半の第3・4楽章も居心地はあまり良くないですが、前半よりいくらか増しに聴こえるのは、リズムが前面に出る楽章のせいかと思います。ベルリン・フィルもこの日は全体的によろしくない感じに聴こえます。弦がじっくり旋律を歌い込まないのと、金管がけばけばしく聴こえるなど、問題が多いように思えます。


○1988年4月24日ライヴ

ブラームス:交響曲第1番

ベルリン・フィルハーーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

第1楽章冒頭からテンポは遅めで・力強い高弦と重低音の効いた分厚い響きが魅力的であり、スケールが大きい構えを感じさせます。この時期のカラヤン指揮のベルリン・フィルが艶やかな透明感を感じさせたのと比べると、ジュリー二の場合は油絵のような渋く濃厚なタッチを示すのが興味あるところです。テンポはジュリー二らしいグッと遅めのテンポですが、特に第4楽章中間部以降のじっくりとした流れのなかに濃厚なロマンティシズムを感じさせて忘れ難い出来です。第2楽章はテンポ遅めですが、ここではやや流れが停滞した感じがあるのが残念。しかし、第3楽章をやや早めに持ちながら・サラリとした味わいに仕上げて・ロマン性濃厚な第4楽章につなげていくところは巧いものです。


○1989年5月24日ライヴ

ブラームス:交響曲第4番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン・コンツェルトハウス大ホール、ウィーン芸術週間)

大変にゆっくりしたテンポで・悠然としたスケールを持つ演奏です。昨今の演奏会ではあまりお目に掛からないタイプの個性的演奏です。第1楽章もテンポは遅いのですが・遅そ過ぎるというほどでもありません。遅さが目立つのは第2楽章・第3楽章でこれもそうテンポが動くわけではありませんが、第4楽章の再現部から終結部までがまた一段とテンポが異常に遅くなります。楽譜の音符を拾い読みしているかのように遅いのですが、ブラームスの音楽のなかのロマンティックな要素を徹底的に追求したとも言えましょうか。とは言え、押しが強いというわけではなくて表現は柔らかです。しかし、テンポが遅い部分については やはりオケが緊張感を保てていないし、音楽自体の生気も乏しいように思われます。細部にこだわればこだわるほどに全体へのフォルムへの配慮が失われていくと言った感じです。その意味ではウィーン・フィルはよく棒に付いていると言えるかも知れません。


○1989年8月15日ライヴ

ブラームス:交響曲第3番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

ゆっくりしたテンポで、スコアを入念に読み込んでいくようなジュリー二独特のブラームスです。第3楽章や第4楽章終結部などに、他の指揮者では感じられないような静けさと・ゆったりとした流れのなかにロマンが漂うような美しさです。響きのなかに情念を沈滞させていき、音楽が大河のようにゆっくりと流れていきます。その反面、ブラームスの情念が燃え上がるような熱気を帯びることがないので、第1楽章や第4楽章冒頭部などテンポの遅さで音楽が乗り切れないような感じもなくはありません。それを我慢して聞いていると、見えてくるものがあるということでしょうか。独特の巨匠性を感じさせる演奏になっています。


○1989年11月23日・24日

ラヴェル:組曲「マ・メール・ロア」

ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団
(アムステルダム、コンセルトへボウ楽堂、ソニー・クラシカル・スタジオ録音)

テンポ遅めのジュリー二節で・スケールの大きい表現なのですが、油絵塗りのような重苦しい感じはなく・ソフトな香気を感じさせる演奏です。ラテン的な明晰な解釈とも異なり、ちょっと暗めの雰囲気のなかにロマンティックな情感が漂います。そこに意外な面白さがあって、ジュリー二の曲への愛情が感じられます。これはコンセルトへボウ管の魅力に負うところも大きいと思います。独特の柔らかさを感じさせる弦も素晴らしいですが、木管の繊細な響きも魅力的です。ボウ負うからメルヒェンの世界に引き込まれます。第4曲「美女と野獣の対話」、第5曲「要請の国」もそのゆったりとした表現が生きています。


○1990年12月13日・14日

ドヴォルザーク:交響曲第8番

ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団
(アムステルダム、コンセルトへボウ楽堂、ソニー・クラシカル・スタジオ録音)

晩年のジュリー二の傾向として非常にテンポが遅い独自の解釈で、曲を聴くというよりジュリー二を聴くという感じです。楽譜の音符をじっくりと拾い読みにするように旋律を歌いこんでいきます。微妙なニュアンスを持ったその歌いまわしはスケールが大きく、独特の香気を感じるのはオケの魅力によるところも大きいと思います。民族臭などに興味はないようで・まったく独自の世界で、その評価は人によって分かれるかも知れません。しかし、第4楽章のゆっくりした足取りには確信を感じさせます。リズムが重めのこともあって・ブラームスを聞いているような重厚さも感じます。特に第2楽章あたりはそういう感じがしますが、しかし、重苦しくならないのはコンセルトへボウの弦が優秀で・独特の潤いを持つ艶やかな響きのおかげかも知れません。このオケの弦はとても魅力的で、第3楽章はその魅力が生きています。第4楽章はスラヴ舞曲風に緩急つけるのが普通ですが、ジュリー二はここで緩急をつけず・ストレートに曲に対しているのもこの演奏の重厚な印象を強くしています。


○1991年2月14日・15日

モーツアルト:交響曲第39番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、イエス・キリスト教会、ソニー・クラシカル録音)

ゆったりとしたテンポで恰幅の良い音楽を作り出しています。ベルリン・フィルの響きは柔らかく豊穣で、特に弦が素晴らしく、極上のシートに座っているような豊かな気分にさせられます。実にジュリー二らしい構えの大きい独自の音楽と言うべきですが、重々しさや威圧感はまったくなく、ゆったりと聴き手を包み込むようなモーツアルトなのです。各楽章のテンポ・バランスは良く取れていて、特に前半2楽章が素晴らしい出来だと思います。第1楽章はそのテンポの遅さがすべての音符を慈しむようで、音楽がじっくりと息深く歌われます。第2楽章はリズムを押し出さず、固い印象がまったくない・実にしなやかで優美な音楽なのです。


○1991年4月ー1

ブラームス:交響曲第1番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン音楽友協会大ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

テンポはかなり遅いと思いますが、もともと独墺系の指揮者はこの交響曲はテンポを遅めに取ることが多いので・特に遅いと感じるわけではありません。同じ時期のジュリー二のブラームスの他の交響曲演奏では・その遅いテンポがブラームスの音楽を粘着質的な執着で描き出しているような感じがしましたが、この曲では旋律が意外とあっさりして聴こえます。どこかコンセプトが徹底していないような印象を受けます。もちそん演奏の出来は悪くないのですが、ジュリー二にしてはもの足りないという感じがしてしまいます。第2楽章などもう少し濃厚なロマンティシズムが漂っても良いように思います。足取りをしっかり取ったブラームスですが、もう少し熱いものが欲しいと思うのです。


○1991年4月−2

ブラームス:交響曲第2番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン音楽友協会大ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

テンポが非常に遅く、それも意識的に遅くしているようで・じっくりと音符を読む感じですが、しかし、緊張はまったく途切れていないのには感嘆させられます。そして音楽の呼吸が実に深いのです。旋律の持つ微妙な綾の細部まで見えてくるような面白さがあります。聴き手に緊張を強いる演奏ではなりますが、聴いて得るものは実に大きいと思います。ウィーン・フィルも極限まで引っ張ったようなジュリー二の棒に見事に応えています。特に前半2楽章が見事だと思います。第3楽章はバランス上心持ち早め(これでも十分遅いですが)にして、この楽章がホッとする息抜きになっています。第4楽章も遅いテンポですが・熱い表現です。ふつうならば聴き手を追い立てたくなるところを・じっくりと大地を踏みしめるが如きの歩みです。


○1991年12月8日〜11日

ベートーヴェン:交響曲第2番

ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団
(ミラノ、アパネラ劇場、ソニークラシカル・スタジオ録音)

テンポを遅く取るかと思ったら、意外に快速テンポで造形をシャープに取って来ます。リズムの刻みが明確なところがトスカニーニに近い感じです。オケの特性ですが、低音があまり利かないので響きの厚みはやや薄く、その分音楽が細身で軽い感じなのは、どこか若い頃のジュリー二に戻った感じに思えます。第1楽章の引き締まったシャープな表現はオケの良さが出ていると思います。


○1992年3月19日・20日

モーツアルト:協奏交響曲変ホ長調

ハンスリック・シェレンバルガー(オーボエ)、アロイス・ブラントホーファー(クラリネット)
ノルベルト・トウプトマン(ホルン)、ダニエーレ・ダミアーノ(ファゴット)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、イエス・キリスト教会、ソニー・クラシカル・スタジオ録音)

全体の印象としてはソロを楽しむというよりは、オケの豊穣な響きで包み込み交響曲的な世界を楽しむという感じか。管のソロはそこがベルリン・フィルらしいところかも知れませんが、折り目正しく真面目ですが、遊び心には乏しい感じです。別に不満を感じるほどではないが、特にオーボエ・クラリネットは表情は端整ですが、微笑はちょっと不足気味。ジュリー二らしいゆったりしたテンポで、モーツアルトとしてはやや分厚い響きに思われますが、重苦しさはありません。


○1992年9月20日〜22日

ベートーヴェン:交響曲第8番

ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団
(ミラノ、アバネラ劇場、ソニー・クラシカル・スタジオ録音)

ジュリー二ならばテンポを遅めに仕掛けてくると思いきや、テンポは速めでリズムの刻みを前面に押し出した演奏です。スカラ座のオケは弦が力強く、造形がシャープでリズムの斬れが良く、これはオケの特性を生かした解釈と言えそうです。第1楽章はテンポ早めにスッキリとした表現、第3・4楽章もリズムをしっかり打ち込んで、聴き手を急かすところがありません。


○1993年10月17日−1

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団
(ミラノ、アパネラ劇場、ソニークラシカル・スタジオ録音)

イタリアのオケを振ってジュリー二がどういう解釈を見せるかと思いきや、遅めのテンポを取って・響きもドイツ風な重厚な色合いです。運命の第4拍を長く伸ばすところなどワルター風にも思われます。ドイツ風な恰幅の大きさをみせながら、どこかピリッとした芯が感じられず・表現の冴えがいまひとつのように思われます。響きは暗めなのですが、オケに本質的な重量感が不足しているようです。これはオケの個性かも知れませんが、ジュリー二がイタリアのオケを振って・どういう表現を目指しているのかは明確でない感じなのです。音楽の足取りは確かなものがあり・その落ち着いた風格は大したものですが、ウィーン・フィルならそれなりの表現に思われるのですが。


○1993年10月17日−2

ベートーヴェン:交響曲第4番

ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団
(ミラノ、アパネラ劇場、ソニークラシカル・スタジオ録音)

曲との相性かも知れませんが、「運命」ではあまりフィットしなかったオケの響きが第4番ではフィットする感じです。オケの響きは暗めですが、重量感はあまり感じさせません・その重みの不足(良く言えば軽さ)が第4番では良い方に作用するのです。ジュリー二らしくテンポは遅めで、第3・4楽章では音楽を決して煽りたてることなく、じっくりと足を踏みしめた音楽作りが生きています。第1・2楽章は落ち着いた気品と柔らか味のある音楽になっていて、その器の大きさが自然に出てくる感じがします。


○1994年5月17日ライヴ−1

ベートーヴェン:交響曲第4番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン音楽友協会大ホール、ジュリー二80歳記念コンサート)

テンポをゆっくりとったスケールの大きい演奏ですが、この曲本来の姿からするとちょっと大柄が感じがしなくもありません。しかし、曲をロマンティックにとらえて表情が自然でいかにも巨匠の芸といった感じの演奏です。第1楽章は構えの大きい演奏ですが、この楽章で展開部の繰り返しをするのは珍しいケースかも知れません。第2楽章は旋律の息を長くとった演奏ですが、ややアタックが強過ぎてもう少し大らかな雰囲気が欲しいところです。第4楽章はテンポを早めにとってキビキビしたフィナーレになっています。


○1994年5月17日ライヴ−2

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン音楽友協会大ホール、ジュリー二80歳記念コンサート)

まさに巨匠の芸というべき素晴らしい演奏です。冒頭から悠然としたテンポで押し通しますが、リズムが深く打ち込まれていて・緊張感が失われず・音楽が実に深いのです。滔々なる大河の流れを見るが如くで・その器の大きさが自然と実感されます。ゆっくりしたテンポのなかで表現の彫りは精緻を極めています。ウィーン・フィルも気合いの入った出来で、特に第2楽章での弦の息の長さは特筆されます。深刻でも悲痛でもなく・ただただ厳かなのです。第3〜4楽章はリズムが先に立ちそうなところですが・我関せずという感じで・のっそりと進んでいくところに茫洋としたスケールの大きさが感じられます。


○1995年4月25日ライヴ

シューベルト:交響曲第8番「未完成」

バイエルン放送交響楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

晩年はテンポが遅くなる傾向のあるジュリー二ですが・この演奏では遅すぎるというほどでもありません。リズムも大きく揺れず・ほぼインテンポに通しており、ジュリー二にしてはあっさりとした印象を受けます。オケの響きは低音が充実した渋い音色で・骨太いしっかりした構成美を感じさせて、古典的な演奏に感じられます。優れているのは第2楽章で、ゆったりした流れのなかに情緒豊かに旋律を歌い上げて・深い余韻が残る良い出来です。


○1998年1月7日ライヴ

ヴェルデイ:レクイエム

ユリア・ヴァラディ(S)
カティア・リッティング(A)
スチュアート・ニール(T)
ペーテル・ミクラーシュ(B)
イタリア国立放送管弦楽団
パリ管弦楽団合唱団
(ローマ、ジョヴァンニ・アグネルリ・ホール)

ジュリー二は98年10月に現役からの引退を発表しましたから、この演奏は彼の最晩年の記録です。晩年のジュリー二というと・、極端にテンポが遅い印象が強いですが、ここでの演奏はそれほどでもありません。それでも第1曲冒頭から弱音を生かしたじっくりと丁寧な音楽作りが印象的で、スコアの細部まで確認しながら進めていくような語り口は相変わらずです。むしろイタリアのオケを振りながら・むしろオペラティックな劇的要素を意識にして抑え気味にしている感じがします。第2曲などはそのためやや地味な印象を与えている感じもします。パリの合唱団を使用しているのもあるいはそうした意図があるのかも知れません。旋律をカンタービレを生かして朗々と歌うよりは、表情を細やかに折り目正しく歌い上げることを心がけているようです。独唱ではヴァラディが感情こもった名唱です。


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