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フルトヴェングラーの録音(1954年)


○1954年2月28日、3月1日

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMIスタジオ録音)

最晩年のフルトヴェングラーのスタジオ録音ですが、均整の取れた古典的格調を感じさせる名演だと思います。「運命」はフルトヴェングラーの最も得意とするレパートリーなのですが、数あるライヴ録音はそれぞれに独自の魅力はあるものの・全体として完成度からみると構成にちょっとアンバランスな面があって・どうも納得ができないところがあります。この演奏はフルトヴェングラーの「運命」の録音のなかではもっともバランスがとれたものだと思います。ライヴにおいてはしばしば激情にかられてフォルムを崩してしまうことの多いフルトヴェングラーですが、スタジオでの彼は冷静です。スタジオ録音を好まないフルトヴェングラー・ファンが多いようですが、むしろスタジオ録音の方がフルトヴェングラーの良さを実感できると思っています。この「運命」の演奏はテンポは遅めですが、比較的テンポの揺れが少なくなっています。四つの楽章が緊密な連携がとれており、最後まで緊張感が持続します。ここには過度に激さない・冷静に曲を見詰めるフルとヴェングラーがいます。特に第1楽章冒頭の運命の動機の音色、まさにドイツ的な渋く重い響き、そして遅めのテンポにもかかわらずリズムは推進力を失わないなど驚嘆させられます。四つの楽章がまとまって、音のドラマというよりは一組の絵のようにひとつのイメージで聴き手に強く迫ってきます。


○1954年3月2日

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」〜ジークフリートの葬送行進曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMIスタジオ録音)

フルトヴェングラーの得意曲であるし、気合いが入って見事な演奏に仕上がっています。特に前半が素晴らしいと思います。全奏も力強く、低音の効かせ方などさずがに凄みがあります。哀悼の気分が、聴き手に痛切なほどに伝わってきます。テンポは比較的イン・テンポですが、後半の盛り上がりが若干抑えられたように聴こえるのは、そのせいかも知れません。それにしてもこの演奏は感動的で、本曲の代表的名演と云って良いものだと思います。


○1954年3月2日・3日

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMIスタジオ録音)

冒頭の疾走するオーケストラの迫力から・愛の場面の切ない響きまで・表現にダイナミクスが実に大きくて、劇的な演奏です。ウィーン・フィルのちょっと渋めの響きがまたよろしい。テンポがしっかりとれて・安定感があり、しかも、旋律が息長く歌いこまれています。見事な構成力です。


○1954年3月3日−1

R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMIスタジオ録音)

これは表情の細部までが生きていて素晴らしい演奏です。ウィーン・フィルの木管のユーモアのある生き生きとした動き、金管の迫力、弦の艶やかな響き、すべてが有機的に作用しています。やりたいことをかり尽くしていながら・ピタリと形が決まったという感じで、最後まで緊張の糸がとぎれることがありません。特に終盤に向かってのたたみかける迫力は見事です。


○1954年3月3日ー2

リスト:交響詩「前奏曲」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMIスタジオ録音)

もう少し遅いテンポを予想していたのですが・思いのほかテンポが早いと思いました。旋律の歌い方も直線的で、特に前半はトスカニーニに近い感じというか・録音もややデッドな響きの薄い感じで乾いた印象があります。中間部の戦いの場面でちょっと見得をするようなところはありますが、全体としては大仰な劇的な表現を意識的に避けて・サラリと流した感触なのは・ちょっと肩すかしを喰ったような感じがします。後半は直線的な感じがやや緩みます。ウィーン・フィルの金管はよく鳴っています。


○1954年3月5日、6日

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMIスタジオ録音)

すばらしい演奏です。まず風にざわめく森の雰囲気を想わせるウィーン・フィルの弦の音色と音の揺れが実に魅力的で・引き込まれます。その響きは暗いというのでもないですが、やや湿り気を帯びた柔らかい響きなのです。ホルンの豊かな響き、息が長く・かなりゆったりとしたテンポで歌われる旋律は繊細で、巨大な底知れぬ雰囲気が醸し出されます。中間部も見事です。テンポは遅めですが、オケの動きが実にダイナミックです。表現が自在でスケールが大きく、しかもぴったりと枠に収まった練れた表現です。フルトヴェングラーの個性にぴったり合った曲なのでしょう。この曲の演奏として理想的なものだと思えます。


○1954年3月6日

ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMIスタジオ録音)

テンポをやや遅めにとって、ウィーン・フィルの重量感のある響きが魅力的です。足取りがしっかりと取られており、序奏のダイナミックな動きに聴き手を煽り立てるようなところがないのは良いですが、中間部は荘重で・精神的な表現で手堅い感じで、全体としてややおとなしい表現に思えます。


○1954年5月4日ライヴー1

ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(パリ、パリオペラ座)

歌い方は意外と直線的でアクセントが強く、早いテンポで一気に聴かせます。ベルリン・フィルの重量感ある動きがダイナミックでちょっと荒削りな感じがしなくないほどに、線が太くて剛直な演奏に仕上がりました。とてもドイツ的な印象がする名演だと思います。


○1954年5月4日ライヴー2

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(パリ、パリオペラ座)

ベルリン・フィルの渋くて重量感のあるアンサンブルの魅力が十二分に発揮された名演だと思います。オケの動きは直線的でアクセントが強く、ちょっとトスカニーニ的な印象さえします。テンポは速めですが、一刀彫りのような荒々しさと清々しさがあって、構成としても緊密で、聴き応えがします。


〇1954年5月4日ライヴー3

シューベルト:交響曲第8番「未完成」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(パリ、パリオペラ座)

フルトヴェングラー晩年、とても重く厳しい表現です。第1楽章第2主題など甘くロマンティックに歌わせることを拒否したかのように、余分なところをそぎ落としたように鋭く直線的な歌わせ方です。アタックは重く、かつ鋭く、余韻を断ち切る印象があって、その深刻さと厳しさにハッとさせられます。むしろ虚無的な印象さえ呼び起こします。第2楽章においても同様の印象で、全曲において緊張感が貫かれています。全体的なテンポは速めであり、この演奏ではテンポの揺れがあまりないので、古典的で、がっしりした構造物を聴くが如くの印象があって、ストイックな感じさえします。ベルリン・フィルは暗めで渋い響きですが、特に弦セクションの強靭な響きに骨太い印象を強くします。


〇1954年5月4日ライヴー4

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(パリ、パリオペラ座)

フルトヴェングラー晩年の演奏ですが、若々しささえ感じさせる、気合いの入った厳しい表現で、アタックがが鋭く、余韻を断ち切る印象があるので、ちょっと荒削りな感じがするくらいで、どこかトスカニーニを想わせる印象さえあります。テンポはやや速めですが、リズムがしっかり打ちきれていて印象が整然としているので、造形が引き締まって見事な演奏だと思います。ベルリン・フィルの響きは渋く暗めのドイツ的な印象で、特に弦セクションの力感のこもった動きがとても素晴らしいと思います。


○1954年5月15日ライヴ-1

モーツアルト:ピアノ協奏曲第20番

イヴォンヌ・ルフェビュール(ピアノ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ルガノ、アポロ劇場)

ルフェビュールのピアノはタッチが柔らかく・中庸を得た表現で音楽の品がよく好感がもてます。第2楽章は静かな情感がよく生きています。フルトヴェングラーの伴奏はいかにもぎこちなく感じます。ピアノの引き立て役に回っている感じで・確信を持った指揮でないように思えます。よく言えば飾り気がなく・武骨で素朴であると言えましょうが、ベルリン・フィルの響きも粗く・旋律線が強すぎる印象を持ちます。


○1954年5月15日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ルガノ、アポロ劇場)

相変わらずテンポ遅めで重苦しい雰囲気です。ひたすら内省的な演奏で、悩みを抱えながら・哲学的瞑想で田園を歩くという感じです。ただし、あまりテンポの揺れは大きくないので、フルトヴェングラーの「田園」録音のなかでは聴きやすい方です。響きの混ざり具合からして・他からは聴けないようなユニークな瞬間は確かにありますが、曲本来のイメージからは遠くて・あくまで個性的という域にとどまる感じです。第2楽章は表現が重く粘って、とても小川はサラサラとは流れていないようです。第4楽章は遅めのテンポ・リズムの重さから喜びがじわりじわりと湧いてくるような表現でなかなか面白く感じます。


○1954年5月23日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ティタニア・パラスト)

フルトヴェングラー最晩年の演奏だけに、その体調の悪さが演奏に影響を与えているのがはっきり分ります。第1楽章から第3楽章までのテンポはやや遅めですが、44年のベルリン・フィルとの演奏のように重苦しくはなく、また不自然なテンポの揺れがないので印象は落ち着いたものになっています。全体の雰囲気は角がとれたまろやかなものになっており、ファンからすると活気のないライヴ感覚のない演奏だと感じられるかも知れません。しかし内容的には44年の演奏よりはるかに深みのあるものに仕上がっていると思います。特に第2楽章はゆったりと流れるリズムがきらめくように美しく感じられます。逆に理解に苦しむのは第5楽章中間部で急に早くなることで、これがそれまでのいい雰囲気を壊しているように感じられます。


○1954年5月23日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ティタニア・パラスト)

最晩年のフルトヴェングラーの体調の悪さがそのまま演奏に影響を与えているようです。往年のフルトヴェングラーの迫力というか・オケを引きずり回すようなライヴ感覚に乏しく、逆にオケの流れに身を委ねるようなところがはっきりと見られます。その点でかなり物足りないのは事実ですが、だからと言って出来が悪いというわけでもありません。むしろ落ち着いた渋い響きの不思議な演奏になっていて・何となく好ましい感じがします。全体のテンポはむしろ早めです。リズムの斬れよりは音楽の流れを重視した演奏なのです。第2楽章の出来がいいのはそのせいでしょう。第4楽章になると、乗ってきたということでしょうか・それまで比較的安定していたテンポが大きく揺れ始めます。しかも面白いことに音の斬り方がトスカニーニを思わせるのです。音の余韻を断ち切るようなやり方で第4楽章後半はまるでトスカニーニを聴いているような感じに襲われました。しかし、この第4楽章は全体からみるとやはりバランスが崩しているように思います。早めのテンポで全体を一貫させれば締まった演奏になったろうにと惜しまれます。


○1954年8月22日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)、エルザ・カヴェルティ(メゾ・ソプラノ)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)、オットー・エーデルマン(バス)
ルツェルン音楽祭合唱団
フィルハーモニア合唱団
(ルツェルン、クンスト・ハウス、ルツェルン音楽祭)

最晩年のフルトヴェングラーの演奏で、「バイロイトの第9」(1951年)と比べると、大人しいという表現だとよく評されますが、このルツェルンの第9は全体に抑制された表現であるものの、スッキリと整理された印象があって、むしろ聴きやすいと思います。フィルハーモニア管という技術的にも優れたオケを起用して、音楽の線が明確になり、響きの透明度が増したことが、スッキリと理知的な印象を与えているようです。それでも第1楽章中間部、あるいは第4楽章で合唱が入る以降などで、テンポを動かして聴き手の興奮を煽る手腕はフルトヴェングラーらしくてさずがに素晴らしい。バイロイトの第9では第2楽章が軽めの印象がしましたが、この演奏ではバランスが良く感じられ、スケルツオのリズムの斬れが全体の演奏を引き締めていると感じられます。この演奏でも第3楽章は、とても魅力的です。フィルハーモニア管の透明な響きが抒情的で澄んだ流を生み出しており、バイロイトの演奏とまた違った意味で心に残ります。第4楽章ではフルトヴェングラーの全体の流れを重視した解釈がよく生きています。歓喜の主題が登場するまでの論理的展開、合唱が登場してからの流麗な展開は、自在で素晴らしいと思います。コーダは相変わらずの急速テンポですが、残されているフルトヴェングラーの演奏のなかでは最も納得できるものです。独唱者は響きがよく溶け合って、とても美しいと思います。テンポの自在さではバイロイトの方でしょうが、表現の完成度ではこちらの方が優っているように思われます。


○1954年8月30日ライヴ−1

ベートーヴェン:交響曲第7番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭劇場)

フルトヴェングラーの最晩年の演奏であり、テンポの揺れが少なく・いわゆる「らしさ」の点から言えばファンには物足りないところがあると思います。第4楽章などテンポを上げて聴き手の興奮を煽るようなフルトヴェングラーらしさがなく、リズムの活力不足を感じます。しかし、出来が悪い演奏かというと話は別で、フルトヴェングラーの得意曲だけにリズムが重めであると言えども聴かせる演奏です。リズムの斬れで聴かせるのではなく、リズムの重みで聴かせる演奏なのです。リズムの打ちは深いので、テンポは遅くても音楽は生きています。テンポがあまり揺れないので、音楽の骨格が太く・構成ががっしりした感じに仕上がっています。ウィーン・フィルの音色は渋い感じで、第1楽章冒頭の タメのある響きなどはさすがだと思われます。両端楽章は重量感があって、派手さはないけれど・腹応えはする演奏です。第2楽章は朴訥とした感じで・無愛想な感じさえしますが、全体の構成のなかにぴったりとはまっています。


○1954年8月30日ライヴ−2

ベートーヴェン:交響曲第8番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭劇場)

同日の第7番と同じくテンポは遅めですが、リズムがかなり重く感じられます。フルトヴェングラーのコンセプトとしては第7番と同じ行き方かと思いますが、第7番と第8番の曲の性質によるのか・同じリズムの打ちがここでは鈍重に感じられます。第8番ではリズムの軽みと言うか・ある種の明るさが要求されるの かも知れません。この重いリズムでは曲が重く沈む感じで音楽が沸き立たないのです。第7番では良い方に作用したものが、第8番では逆に作用しているのです。両端楽章はまだ良いですが、中間2楽章はリズムが重くて・音楽の流れが停滞した印象さえ受けます。特に第3楽章が重苦しい感じです。


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