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フルトヴェングラーの録音(1952年)


○1952年3月7日ライヴ

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ジョコンダ・デ・ヴィート(ヴァイオリン独奏)
トリノ放送交響楽団
(トリノ)

デ・ヴィートのヴァイオリンはやや金属音で・低音にもう少しふくらみが欲しいところですが、高弦は力強く・旋律の歌いまわしに奔放さがあって、なかなか聴かせます。大曲だけにかなり気合いが入っている感じです。第2楽章は遅めのテンポで歌い込んでいく・その息の長さはたいしたものです。どちらかと言えばソロ主体で音楽が展開していくようで、フルトヴェングラーのサポートは正直申してうまいとは言えない感じです。イタリアのオケでもあり、音色としてはブラームスとは若干明るめの響きなのも仕方ないところです。


○1952年3月11日ライヴ

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲

ジョコンダ・デ・ヴィート(ヴァイオリン独奏)
トリノ放送交響楽団
(トリノ)

4日前のブラームスと比べて曲想ゆえか余計な力が抜けてリラックスした感じで、デ・ヴィートの良さが出ているのではないかと思います。音色はやや金属音ではありますが、旋律を息長く歌い込む 才能は素晴らしく、表現は伸び伸びしていて・かつチャーミングです。デ・ヴィートの良さは特に第2楽章に出ていると思います。フルトヴェングラーのサポートは取り立てて目立つ ところはないですが、第3楽章では若干ソロとずれたところが見えます。


○1952年6月23日

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」〜ブリュンヒルデの自己犠牲

キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、キングスウェイ・ホール、英EMI・スタジオ録音)

これはとても名演です。偉大なブリュンヒルデ歌手フラグスタートの歌唱の素晴らしさもさることながらフルトヴェングラーの伴奏が素晴らしいと思います。フルトヴェングラーが音楽の細かいところまで神経が行き届いており、「神々の黄昏」終幕のすべてが浄化された雰囲気が叙情的に描かれます。オケの響きが透明で明るいこともここではよい方に作用しています。


○1952年6月24日・25日

マーラー:歌曲集「さすらう若人の歌」

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン、キングスウェイ・ホール、英EMI・スタジオ録音)

この前年ザルツブルクでフルトヴェングラーはフィッシャー=ディースカウとこの曲を演奏して・マーラーとの出会いをしたと言われています。それまでフルトヴェングラーにとってマーラーは親しい関係ではなかったようです。この録音自体も「トリスタンとイゾルデ」の録音が順調に進んで契約時間が余ったので、その時間を利用して録音されたということで、いわば偶然の産物です。まず何と言ってもディースカウの歌唱が素晴らしいと思います。若い頃のディースカウはテノールに近いような明るい声でみずみずしく、傷付きやすい若者の感性を見事に歌い上げています。言葉を大事にした歌唱は読みが深くて、マーラーの旋律の裏に潜む感情の綾が浮かび上がります。フルトヴェングラーの指揮は歌手をよく立てて、むしろ抑え気味といえるほど律儀な指揮振りです。これだけでフルトヴェングラーとマーラーの相性など判断できるものではありませんが、フルトヴェングラーは古典的な態度で・冷静に曲に対しているように思われます。


○1952年11月24日・25日

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、EMIスタジオ録音)

全体にテンポは遅めであり、全楽章を通じて同じようなテンポの印象で・あまり変化しないので、相対的に第2楽章が早いような感じを若干受けます。楽譜をゆっくり拾い読みするような微視的な感じがしますが、遅さが際立つのは第1楽章です。しかし、戦時中(44年)のベルリン・フィルとの演奏のような重苦しさはなく、ウィーン・フィルの軽やかな音色により透明感のある演奏に仕上がっています。演奏は前半の出来が良いと思います。第1楽章の遅さは際立っていますが、細密画を見るような落ち着いた味わいがあります。第2楽章はさらに魅力的で、透明感と安らぎの雰囲気が印象に残ります。しかし、第3〜4楽章はテンポの遅さがマイナスに作用して、もう少し動的な感覚が欲しいと思います。ここまではほぼインテンポの印象ですが、第5楽章はややテンポの揺れが大きくなって、それがかえってスケールの大きさを損なう結果になっています。


○1952年11月26日・27日

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、EMIスタジオ録音)

全体にゆったりと遅めのテンポを取って・あまりテンポを動かさず、落ち着きと風格があって、スケールの大きい演奏に仕上がっています。特に出来の良いのが第2楽章で、ゆったりと遅いテンポのなかに深い哀悼の情が感じられます。この葬送行進曲が頂点になって全体が設計されている印象を受けます。さかのぼって第1楽章はダイナミックな熱気とリズムの推進力で勝負するのではなく、じっくり楽譜を読み来ぬ感じで、斬れよりコクで勝負する印象です。落ち着きのある足取りが悠揚迫らざるスケールと風格を感じさせます。第3〜4楽章についても同じことが言えると思います。ウィーン・フィルの響きは透明感があり、遅いテンポでも重苦しい印象があなく、全曲に緊張感を維持して素晴らしい出来です。スタジオ録音のフルトヴェングラーは全体のフォルムに気を配り、勢いに任せない配慮があって好ましいと思います。


○1952年12月2日・3日

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、EMIスタジオ録音)

全体的にテンポは速めですが、スケールの大きさは今ひとつです。巡礼の合唱の旋律はもっとテンポを落として、金管を朗々と鳴らして欲しいと思います。ヴェーヌスベルクの早いテンポの場面になると、フルトヴェングラーはぐいぐいテンポを上げて官能の嵐になっていくところが、彼らしいですが、テンポの速い場面では響きが浅くなる感じがあって、圧倒的な感銘にまでは至りません。


○1952年12月8日ライヴ

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ティタニア・パラスト)

フルトヴェングラーはこの曲を好み・何度もプログラムに取り上げていますが、これは残されているフルトヴェングラーのこの曲の録音のなかでは特にテンポがゆっくりしていて・旋律が息長く取られているものかも知れません。ベルリン・フィルの音色はいかにもドイツ的な重く暗い響きでこの曲にふさわしいと思います。前半のホルンの響きなど静けさや祈りの感情を引き起こし、戦時中の44年のベルリン・フィルとの演奏で感じさせる凄みとは違った味わいがします。後半の盛り上げも素晴らしいのですが、テンポを上げて聴衆を興奮に駆り立てるのではなく・むしろテンポの変化を抑えることで演奏の完成度を高めています。この曲を交響詩的にとらえた演奏とも言えましょうか。


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