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フルトヴェングラーの録音(1951年)


○1951年1月3日・31日

シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」序曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMI・スタジオ録音)

序奏はテンポが遅くて・重々しいドイツ的表現ですが、展開部に入ってからのテンポは軽快で・その対照が際立つということかと思います。響きは重厚で・シューベルトにふさわしく、あまり手練手管を使わず・スッキリした表現で聴きやすい演奏です。


○1951年1月4日・8日〜10日

チャイコフスキー:交響曲第4番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMI・スタジオ録音)

フルトヴェングラーはチャイコフスキーと縁が深いとは言えませんが、情念が深くテンペラメントの変化の大きいこの曲はフルトヴェンラー向きかも知れません・フルトヴェングラーはテンポを結構自由に動かしているのですが、曲の性格とマッチしているのかあまり作為的な感じを与えません。特に第1楽章が色合いは暗めですが・タッチが太い・興味深い出来であると思います。チャイコフスキーの甘いメランコリックなムードよりは・ベートーヴェン的な意思的な表現になっているところがフルトヴェングラーらしいと思います。ウィーン・フィルの弦の動きが情熱的で強く印象に残ります。第4楽章はリズムを重く取り、聴く者を熱狂的に煽るところがなく・抑えた表現であるのは意外な感じがしました。スタジオ録音のせいでしょうか。中間楽章は無難な出来と言ったところ。


○1951年1月18日

ニコライ:喜歌劇「ウインザーの陽気な女房たち」序曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMI・スタジオ録音)

フルトヴェングラーだと重くなるかと思いきや・意外や軽みのある表現を聴かせます。特に他の指揮者だと中間部の重い大仰な表現になる場面をサラリを聴かせるあたりは見識と言うべきか。ウィーン・フィルもいかにも愉しそうに演奏しています。


○1951年1月24日・25日

スメタナ:交響詩「モルダウ」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、英EMI・スタジオ録音)

前半は魅力的です。テンポはやや遅めですが、ウィーン・フィルの暗めの音色がしっとりして憂いを帯びた雰囲気をよく出しています。農民の踊りも素朴で朴訥な味わいがあり、月の光の場面もウィーン・フィルの弦の魅力が前面に出ています。オケを強引に引っ張らず・淡々とした表現が成功しています。ただし良いのはそこまでで・それ以後はテンポが一転して早くなり、旋律の輪郭が急にくっきりとしてきて・金管も生々しく響きます。恐らく録音日が変ったということかも知れませんが、この辺がちょっと理解できないところです。


○1951年7月29日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)、エリザベート・ヘンゲン(メゾ・ソプラノ)
ハンス・ホップ(テノール)、オットー・エーデルマン(バス)
バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
(バイロイト、バイロイト祝祭劇場)

歴史的名演として、あまりにも名高い演奏です。第1楽章冒頭部は、かなり遅いテンポで、神秘的なムードで始まるフルトヴェングラーらしい開始。スケールが壮大で、弦が力強く、戦後バイロイト開幕公演だけに気合いの入り具合が違うということでしょう。前半の第2楽章までのテンポの揺れが大きく、フルトヴェングラー・ファンにはたまらない自在の芸だと思います。とても劇的なつくりで、聴き手の興奮を煽る感じもありますが、曲自体がこうしたテンポの伸縮に堪えうるロマン性を備えているということで、決して作為的な感じを受けません。ただしテンポが早くなってくると、太目のがっしりした構造が崩れる感じはあって、第2楽章スケルツオなどは熱いけれども軽い感じになって、一貫性を欠く印象になることは否めません。そのなかで第3楽章は、遅いテンポのなかに渋いとさえ云える深い瞑想的な流れがあって、これは心底素晴らしいと思います。この演奏では、この第3楽章があればこそこの第4楽章があるという意味が明かされているようにさえ感じられます。第4楽章は、特に前半の歓喜の主題が登場するまでの論理的プロセスに強い説得力が感じられます。そこにフルトーヴェングラーの劇的解釈が発揮されています。ベートーヴェンは、この楽章で従来の交響曲の枠組みを確かに乗り越えたのだということが、実感として感じられます。ただし、フルトヴェングラーは第9ではいつでもこうですが、コードはその異様な速さがバタバタと曲を唐突に終わらせる感じで、やはり不満を感じます。合唱は力強く、独唱者もとても素晴らしい出来だけに、これは残念なことです。


○1951年8月6日ライヴ

モーツアルト:歌劇「魔笛」

イルムガルト・ゼーフリート(パミーナ)/アントン・デルモータ(タミーノ)/エーリッヒ・クンツ(パパゲーノ)/エディット・オラヴェッツ(パパゲーナ)/ヴィルマ・リップ(夜の女王)/ヨゼフ・グラインドル(ザラストロ)/ペーター・クライン(モノスタソス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ)

序曲はフルトヴェングラーらしい重厚な響きで、テンポの遅い演奏です。しかし、その重々しいタッチを柔らかく暖かい響きでカバーしているのがウィーン・フィルです。メルヒェン・タッチの印象ではなく 、どことなく哲学的な重さを感じさせるのがユニークですが、全体としてはその重さが生きているナンバーとそうでないナンバーが混在している感じです。タミーノのアリア「この絵姿の心奪う美しさは」やパミーナのアリア「ああ、私は感じる愛の幸せが」などは、そのテンポの重さで音楽の流れが悪くなってしまっている印象が多少します。逆にパミーナとパパゲーノの「恋を知るひどの男の方々は」などはそのほのぼのとした暖かさがあって・テンポが生きています。歌手ではタミーノやパミーナのコンビが清々しい印象で良いと思います。しかし、夜の女王はやや重い感じがします。ザラストロは声が強靭で・多少イメージが強い感じです。パパゲーノは声が太めで重く 、やや年取った印象なのは残念。


○1951年8月19日ライヴー1

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ)

表情が引き締まったダイナミックな演奏です。冒頭から暗くうねる海原の光景を感じさせるオケの響きが魅力的で、パノラマ的な視点の展開が実にドラマティックです。フルトヴェングラーの描写の巧さを感じさせます。


○1951年8月19日ライヴー2

マーラー:歌曲集「さすらう若人の歌」

ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ)

若き日のディスカウの歌唱はみずみずしく・感受性の豊かさを感じさせる歌唱です。何より言葉が明瞭であり、テキストの読みが素晴らしいと思います。フルトヴェングラーのサポートも情感が籠ったもので、歌手を優しく包み込むような 艶やかなウィーン・フィルの弦が美しいと思います。ライヴのせいもあり・フィルハーモニア管とのスタジオ録音よりもこちらの方が熱気があるようです。


○1951年8月19日ライヴー3

ブルックナー:交響曲第5番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ)

早めのテンポで・リズムは時に粗野に感じられるほどに迫力があって、力強い演奏です。ウィーン・フィルの金管が素晴らしいと思います。特に両端楽章は曲の展開がジェットコースターに乗っているようなドライヴ感覚で、めまぐるしく展開して息もつかせません。ブルックナーでこんな表現があるかと思うような悪魔的な瞬間があって・それはゾクゾクするほど魅力的なのですが、聴き終わってみると何を聴いたか印象が残らない感じです。全体に表現が未整理で・一貫したものが通っていない感じなのです。


○1951年8月31日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

イルムガルト・ゼーフリート(S),ジークリンデ・ワーグナー(A)
アントン・デルモータ(T),ヨゼフ・グラインドル(B)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、フェルゼンライトシューレ)

テンポの基本設計に変わりはないものに、フルトヴェングラーの「第9」の録音のなかでは比較的テンポの動きが少ない部類に入るのではないかと思います。そのせいか骨太く手堅い印象がします。ウィーン・フィルの響きはドイツ的に渋く重く、いかにもベートーヴェンらしい響きです。第1〜3楽章は申し分なく素晴らしいと思います。第1楽章はテンポを明確にとって思いのほか旋律線が明確で、スケールが大きく感じます。第2楽章スケルツオがオケの動きがダイナミック、一転して第3楽章は流麗とは言えない淡々とした流れのなかに飾り気のない抒情性が感じられます。フルトヴェングラーらしいテンポの揺れが出て来るのはやはり第4楽章ですが、声楽陣が充実してなかなかの出来です。特にグラインドルはその強靭な歌唱が印象に残ります。


○1951年10月29日ライヴ

ベートーヴェン:コリオラン序曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ドイツ博物館ホール)

テンポを早めに取って緊張感みなぎる演奏です。冒頭はやや弱い感じですが、曲が進むにつれて演奏が熱を帯びていくのがよく分ります。特に印象的なのは哀愁を帯びた第2主題で、じっくりとした深い味わいがあります。音楽の流れも実に自然で、いたずらに劇的起伏を強調したようなところがありません。曲の締めくくりは凄みさえ感じさせます。ウィーン・フィルの響きはいかにもベートーヴェンらしい渋い響きです。


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