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フルトヴェングラーの録音(1944年)


○1944年1月9日(または12日)ライヴ-1

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

エーリッヒ・レーン(ヴァイオリン独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・旧フィルハーモニー・ホール)

エーリッヒ・レーンは当時のベルリン・フィルのコンサート・マスターです。もちろん技術や音楽性は申し分ないですが、音色的にはハイフェッツで、やや響きが硬くて金属音なのがちょっと残念です。歌い回しもちょっと硬い印象がします。フルトヴェングラーのサポートは申し分ありません。旧フィルハーモニーの長い残響がその印象を強めているのかも知れませんが、響きに深みを感じさせます。ソリストを大きく包み込んで、自在に泳がせているような、スケールの大きい音楽作りなのです。協奏曲を指揮する時のフルトヴェングラーはテンポをしっかり取って作りが端正で、古典的に引き締まった印象がします。


〇1944年1月9日(または12日)ライヴー2

R.シュトラウス:家庭交響曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・旧フィルハーモニー・ホール)

とても素晴らしい演奏です。フルトヴェングラーの振るR.シュトラウスには、時代を共有した者だけに通じる共感が感じられます。曲のどの場面を取っても、精神的な裏付けがあるように思われ、実に説得力があるのです。テンポはやや速めに感じられます。ベルリン・フィルの響きには透明感があって、華麗な響きのなかにも世紀末的な退廃と哀愁がこもっていて、ほんとにツボにはまった響きだと感じます。それでいて構成がスッキリとして無駄がありません。


○1944年2月7日(または8日)ライヴー1

ヘンデル:合奏協奏曲ニ短調

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン国立歌劇場)

ロマンティックな演奏になるかと思いきや・ぶ厚い弦の暗めの響きとインテンポの折り目正しいリズムがどこか荘重で悲劇的な趣さえ感じさせて・不思議に心引かれるものがあります。演奏時期を考えあわせると・ある種の感慨を覚えます。


○1944年2月7日(または8日)ライヴ-2

モーツアルト:交響曲第39番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン国立歌劇場)

堂々たる演奏ですが、モーツアルトにしては重い表現です。もう少し軽快さが欲しいところですが、フルトヴェングラーにそれを求めるのは無理な話でしょう。全体にテンポをあまり動かさずイン・テンポの表現なのも「らしくない」ように思われます。曲がそれを許さないのか・フルトヴェングラーが曲に触発されないのかは分らないが、フルトヴェングラーには不向きの曲であるという印象です。特に第2楽章はテンポが遅すぎで鈍重な表現です。堂々たる構えの第1楽章と・晴れ渡るような後半の2楽章との対照のなかで、この第2楽章の持つ意味は大きいと思うのですが。しかし、表現は重いけれども・後半の2楽章は形容としては立派なモーツアルトです。ロマンチックな感情を秘めたこの交響曲を、フルトヴェングラーは真面目に純器楽として古典的に捉えようとしているように思 われます。


○1944年3月20日(または22日)ライヴ−1

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン国立歌劇場)

オペラティックな高揚感に満ちており、序曲だけ単独で聴いてもワクワクさせられる素晴らしい演奏です。表現のすみずみまで水を得た魚のように生き生きとしています。ここにはドイツの深い森の木々のざわめきが聞こえてくるようです。そこは昼間も太陽の光も通さないようなくらい森で、そこにうごめく何物かが人間を脅かすような恐怖に満ちているのです。そんなグリム童話に出てくるようなドイツ人の精神世界を見るような気分にさせられます。ここにはまさに「ドイツ的」と言えるものがあります。


○1944年3月20日(または22日)ライヴ−2

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン国立歌劇場)

この曲の持つ一般的イメージからはほど遠い・深刻かつ重い表現です。特に第1楽章と第2楽章は異様に思えるほどにテンポが遅い表現で、聴いていると気が滅入ります。おまけにどういう理由か・微妙にテンポが遅くなったり早くなったりして、情緒不安定で理解に苦しみます。これではオケも棒についていくのがさぞ大変だったろうとお察しします。これは大戦中の特異な状況も関係しているのでしょうが、これはとても「田舎に到着した時の楽しい気分」などというものではなくて、人生の諸問題を抱えて田園を徘徊するというところでしょう。第5楽章に至って曇り空が晴れてきたかのようにフルトヴェングラーの表現に伸びやかさが出てくるのが救いです。フルトヴェングラーが第5楽章を頂点に考えているのは確かだと思いますが、しかし、この楽章が軽めのようなアンバランスを感じるのは全体のテンポ設計に問題があるからでしょう。


○1944年6月2日または3日ライヴ

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

冒頭の気迫のこもった一撃からして聴き手に衝撃を与えるに十分です。ウィーン・フィルの重厚な響きはこれぞ本物のベートーヴェンという感じがします。得に前半の緊張を保ちつつ抑えた表現が素晴らしいと思います。劇的なフィナーレに向けての盛り上げも見事で自然で無理がなく、コンサートピースとして交響詩的に密度の高い演奏になっています。


○1944年6月2日または3日ライヴ−2

シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」〜第3幕間奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

冒頭からゆったりしたテンポがどこか遠くから鳴り響くような幻想的な雰囲気を感じさせます。特に中間部の木管を交えた旋律は微妙な強弱を伴って揺れる雰囲気が美しいと思います。後半にややテンポが速くなる部分があるのはちょっと残念です。


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