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フルトヴェングラーの録音(1943年)


○1943年6月27日または30日ライヴー1

ベートーヴェン:交響曲第4番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

第1楽章序奏部の重苦しい響きから軽快な第1主題が爆発するように湧き上がります。オケの動きは自由自在で活気に富んでおり・実に魅力的ですが、ちょっとやり過ぎの感じもなくはありません。いずれにせよフルトヴェングラーらしい表現だとは言えましょう。逆に第2楽章はテンポが遅く表現が重過ぎで、音楽が流れ出しません。こんな第5交響曲のような深刻で重い響きが第4番で必要なのかと思います。第4楽章はテンポを大きく揺り動かしてクライマックスに持っていく・いかにもフルトヴェングラーらしい表現ですが、第4番にしてはいささか構えが 重過ぎないかと思います。部分では魅力的な表現があるのですが、全体としては曲のイメージが統一されていないような不満を感じます。


○1943年6月27日または30日ライヴ−2

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

戦火が迫るベルリンでの演奏であるという異常な状況によるのでしょうか。異様な雰囲気を感じさせる演奏になっています。それはほとんど一種の儀式として鳴っているような錯覚さえ 覚えます。このようなことを思わせるのは粗悪な録音のせいもあるでしょう。まるで洞窟のなかで聴くような残響の多さ、全奏では音がダンゴ状態になっています。もっともこれはこの時期のフルトヴェングラーの録音はみん なそうで、それによって作られた・あるいは強調されたフルトヴェングラーのイメージがあるのではないかという気がします。しかし、フルトヴェングラーのベートーヴェンに対する態度は他の作曲家に対する時とは明らかに違います。フルトヴェングラーはベートーヴェンを演奏する時には、何か「守らなければならないもの」という 使命感で演奏をしているような気がします。それはもしかしたら「ドイツ的精神」とでも言うようなものであったでしょうか。いずれにせよ前半は聴いていて疲れる演奏です。第1楽章冒頭などは情念の塊として聴き手にぶつかってくるかのようです。しかし、作品の 持つ古典的なフォルムは厳格なまでに守られています。第3楽章の地底で響くとうな低弦の響き、不気味な重いリズム、それがフィナーレに至って歓喜が爆発してからフルトヴェングラーは憑き物が落ちたように表現の自由さを取り戻すのです。しかし、前半2楽章と比べると後半の表現は何だか軽く聴こえて・ちょっとアンバランスな感じ がしなくありません。


○1943年6月27日または30日ライヴー3

ベートーヴェン:コリオラン序曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

フルトヴェングラーの個性が良く出た素晴らしい演奏です。冒頭から意志と情念のこもったベートーヴェンらしいい熱い響きで・聴き手を一気に巻き込んでいきます。第2主題もじっくりとした哀切な味わいが良く出ています。短い曲のなかにフルトヴェングラーの自由な表現が凝縮された形で現れています。ゆっくりしたテンポで・リズムがしっかりとれており、一瞬たりとも聴き手を離しません。聞き終わってずっしりとした重い聴き応えがあります。


○1943年11月16日ライヴ−1

シューマン:チェロ協奏曲・第3楽章

ピエール・フルニエ(チェロ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

録音は第3楽章しか残っていません。フルニエのチェロは旋律を伸びやかに歌い、その艶のある音色が魅力的です。フルトヴェングラーの伴奏はフルニエを自由に泳がせながら、要所を締めて手堅いところを見せています。ベルリン・フィルのぶ厚い音色がロマン色豊かで素晴らしいと思います。


○1943年11月16日ライヴ−2

ブルックナー:交響曲第6番・第2楽章〜第4楽章

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

第1楽章の録音が欠落しています。第4楽章が特に印象的です。早めのテンポで畳み掛けるようにクライマックスに流れ込んでいきます。その表現は聴き手を熱気に巻き込まずには置きませんが、その一方でブルックナーの音楽とはかなりかけ離れた感じがします。粗野で荒々しく、ブルックナー独特の 清冽な世界が浮かび上がってこないうらみがあります。


○1943年12月12日ライヴ

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

交響曲の場合と違って・この変奏曲のような形式であると、フルトヴェングラーの即興的で自由なテンポ感覚と・ブラームスの形式感が違和感なく同居する感じがします。各変奏の個性がよく描き分けられて、変化のドラマがあります。しかし、テンポ速めの変奏は時に激したようにリズムの打ちが荒々しくなって、旋律が十分に息深く歌われていない感じがあり、それを元気が良くてライヴ感覚があると感じる人には良ろしいのでしょうが・聞き終わって何だか粗い感じだけが耳に残ります。しかし、実はむしろテンポの遅い変奏でのベルリン・フィルのじっくりとした深い歌いまわしこそ聴くべきかも知れません。


○1943年12月12日ライヴー2

ブラームス:交響曲第4番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

形式感を重視するブラームスの音楽とフルトヴェングラーの伸縮自在なテンポは相性が良くないと思います。特に両端楽章でそれを感じます。遅めで始まるテンポが特に急加速したり・急に遅くなったりする内的必然が感じ取りにくく、表面的な効果ばかりを狙っているように思います。これが即興的なテンポならば・こういう指揮についていくオケの緊張は大変なものだろうと同情をしたくなります。しかし、第1楽章中盤あるいは終盤、第4楽章終盤のようなテンポが速い場面では旋律が歌い切れているとは言えず・リズムの打ちが雑に感じられます。これを興に乗って熱い演奏だと感じる方にはたまらないのでしょうが、結果としては曲全体の印象が散漫になり・聴いた後の充実感があまりありません。ブラームスの場合にはこれは決定的な欠陥のように思われます。そのなかでは第2楽章が最もテンポの揺れが少なく・安心して聴けますし、また意味も重いように感じられます。

 


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