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ブーレーズの録音 (1996−2000年)


○1996年3月

ベルリオーズ:幻想交響曲

クリ―ヴランド管弦楽団
(クリ―ヴランド、メイソニック・オーディトリアム、
独グラモフォン・スタジオ録音)

曲全体の構成がすっきり見渡されたように整理された印象で、ラテン的な明晰さと透明感があり、香気さえ感じさせる実に見事な演奏です。それにしてもクリ―ヴランド管の響きは色彩感があって、音のすべてに涼しさを感じさせて素晴らしいと思います。たとえば第2楽章のワルツを美しく幻想的に響かせようとか、第4・5楽章を奇怪にグロテスクに盛り上げようとかいう芝居っ気はまったく感じさせず、楽譜にある音符を淡々と音化しようと努めているような印象なのだが、描くべきものを完全に描き切った爽やかさを感じさせます。


○1996年3月24日ライヴー1

ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ブーレーズのハイドンというのは珍しく・リズム感の鋭敏な演奏を予想していたら大はずれで、実にロマンティックな演奏です。むしろ最近のそこらのハイドンよりロマンティックな感じです。まず冒頭からして荘重と言うか・重々しい感じです。テンポが遅めであること、特に第2・3楽章においてそれが顕著です。またウィーン・フィルの高弦が実に滑らかで、艶やかなレガートを聴かせます。第4楽章を覗いてはリズムの刻みをあまり前面に出すことがなく、弦の歌い方にぬめりを感じるような鼻につくところなしとしません。第1楽章など少々甘ったるい感じさえします。これがブーレーズの演奏かと耳を疑うところがありますが、この演奏がマーラーの前プロとして組まれているのを聞くとブーレーズの意図も分かるような気がします。曲が進むにつれて耳が慣れてきて、第4楽章はテンポをあまり早くせず・締まった表現で聴かせます。


○1996年3月24日ライヴー2

マーラー:交響曲第5番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

前プロのハイドンとつなげて聴くと、ブーレーズの意図するところがよく分かる気がします。このマーラーはロマンティックな視点から見た・過去の視点から見た陰画のようなマーラーなのです。感性の軋みを感じさせない・ゆったりした構えの大きいマーラーはワルターやマゼールなどの演奏で聴けますが、それとも趣が異なるようです。第4楽章アダージェットではウィーン・フィルの艶やかな弦を生かして、テンポを遅く・旋律もたっぷりとレガートに甘く聴かせます。しかも、前座であるハイドンが大柄で濃厚なロマン性を感じさせたのと対照的に、マーラーの方はこれがスッキリと聴こえてくるのが面白いところです。もっともこちらのブーレーズへの期待からすると若干肩すかしを喰わされた感じがあって、演奏は綺麗にまとまっているが・人畜無害という印象があります。聴いていてそそられるような毒気に乏しく、他にも魅力的な演奏がいくらもあるのにわざわざブーレーズを選ぶことはないという気がします。第1楽章冒頭のトランペットの弱奏は強過ぎるようです。全体のテンポは第4楽章を除けば・遅くもなく早くもなく中庸というところ。全体に音の強弱があまりなく、平板な感じに聴こえます。このことは音楽の表情が絶えず変化する第5楽章ではとても不利に思われます。第2楽章もリズムを前面に出さず・音楽の勢いをあまり出さない感じがします。


○1996年8月15日ライヴ

マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

ウィーン・フィルの響きは柔らかでニュアンス豊かで申し分ないのですが、音楽が心に引っ掛かることなく・心地良く耳を通り過ぎていきます。第1楽章や第5楽章はウィーン・フィルがダイナミックな動きを見せますが、局面局面がサラサラと展開し、全体として非常に平板に聴こえます。細部をデフォルメする感じで・多少未整理で雑然としていても・もう少し面白いものにできるだろうにという気がします。ブーレーズでこうした問題意識のない演奏を聴かされるとは非常にがっかりでした。マーラーの毒気が感じられず、傷口に甘いベールをかぶせたような感じに聴こえます。第3楽章のワルツなど奇怪でゆがんだ感性が感じられません。


○1996年9月21日ライヴ

ブルックナー:交響曲第8番

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(リンツ、聖フローリアン教会、ブルックナー没後100年記念演奏会)

ブーレーズが初めて振ったブルックナーの演奏です。テンポの早い・あっさりした感触のブルックナーで、淡々とスコアを追った感じで驚くようなところはまったくありません。ウィーン・フィルの自発性に身を委ねた感じですが、インテンポで締めるべきところはしっかり締めていて、初めてのブルックナーにしては上々かも知れません。 指揮者とオケとの信頼関係の上に成り立った演奏であると言えます。やや線は細い感じはしますが、旋律線を強調してスッキリとした叙情性を感じさせます。ラテン的感性でとらえたブルックナー だと思いますうが、それも悪くありません。ただブーレーズの演奏では響きの色合いが単調だと思います。第1楽章や第3楽章にはテンポをふっと落として・響きの色合いを変えることで宗教的感興を呼び起こす場面があると思いますが、ブーレーズはそこをアッサリ流してしま うのは物足りない。あるいは第2楽章や第4楽章の激しいリズムに革新的な要素を孕んでいるようにも思いますが、ブーレーズは淡々として醒めた姿勢を崩しません。 この辺はブーレーズならばもう少し仕出かしてもらいたいところです。しかし、 だからと言って冷たい感触の演奏になっているわけではないのですが、手堅い演奏というところでしょうか。


○1996年12月−1

R.シュトラウス:交響詩「ツァラトストラはかく語りき」

シカゴ交響楽団
(シカゴ、オーケストラ・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

ブーレーズの初めてのシュトラウスと言うことで期待しましたが、大いに期待はずれでした。シカゴ響の響きは実に豊穣です。色彩的かつ透明で、その柔らかな響きは最高の居心地です。しかし、心に引っ掛かるものがないままに音楽が流れていきます。ふわふわして・芯のない音楽です。楽譜に書かれているものはすべて音にされていますが、主旋律の浮かび上がりと受け渡しが十分でないように思われます。「大いなる憧れについて」の響きの心地良さ、「舞踏の歌」での響きのまろやかさはさすがシカゴ響です。この難曲に息の乱れひとつ見せないという感じです。


○1996年12月−2

マーラー:「葬礼」(交響曲第2番の第1楽章初稿)

シカゴ交響楽団
(シカゴ、オーケストラ・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

交響曲第2番「復活」第1楽章初稿であるが、基本的に大きく変ることはないようです。響きにまろやかなのが印象に残りますが、全体に角がならされて・滑らかになっていて・音響的には心地良いものの、この曲の問題意識・革新性・奇怪さと言うものは消し飛んでいます。アクセントの強弱も・テンポの緩急の差も弱く、表情が生ぬるいと感じます。どの音も問題意識を以って聴き手に突き刺さって来ないという感じで、これほど生ぬるいマーラーも久しぶりで・こういう演奏をブーレーズで聴かされるとはちょっとガッカリです。シカゴ響は相変わらず見事です。


○1997年8月28日ライヴー1

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

マーラー・ユーゲント管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

若手主体オケですが、技術は優秀です。音は明快で斬れがあって、ブーレーズの意図をよく反映していると思います。そこがブーレーズらしいところですが、楽譜の音符を忠実に音化しようとしている感じで、響きの表面がザラザラと粗く・神経を逆なでする感じなのは、臨時編成オケの悪いところだと思います。音の立ち上がりが鋭すぎるのか、無機的な音の律動を聴く感じなのです。ラヴェルの音楽にひたるには、もう少し情感への配慮が必要です。ブーレーズのテンポ設定は良く、 6曲のバランスは良いのですが。


○1997年8月28日ライヴー2

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

マーラー・ユーゲント管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

ラヴェルでは響きの生な感じに不満が大きかったが、ストラヴィンスキーの方が俄然良い。オケの相性に拠るのでしょう。響きの粗さと、音の立ち上がりの鋭さが、ここでは曲の原始的・野性的な要素に適当にマッチする感じです。リズム処理が上手いのはもちろんですが、とても新鮮な印象で、最近巨匠然としてきたブーレーズですが、この演奏では久しぶりに若き日のブーレーズを思い出させる感じがします。テンポを速めに取り、思い入れが少なく乾いた表現に仕立てたことで、この曲の革新性が改めて実感できました。


○1998年5月

マーラー:交響曲第1番「巨人」

シカゴ交響楽団
(シカゴ、オーケストラ・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)

シカゴ響は巧みで・細部の構築に文句の付けようがない仕上がりなのですが、どこか感触があっさりとして、熱さや狂おしさをあまり感じさせてくれません。客観的に曲を処理していると言うか・若き日の苦悩の時代を遠く回想していると言うか、そう言う意味ではポートレートを眺めているような絵画的な印象もありますが、とにかく曲にのめり込む感じではありません。テンポも全体的に早めで・一気に駆け抜けるような感じがあり、第2楽章は特に快速テンポで・この楽章のグロテスクな要素がリズムの快感にすり替わっているようです。第1楽章・第4楽章もオケの動きはダイナミックですが、第4楽章中間部でもそのなかに・やるせないような情熱を感じさせてくれません。ただ豊穣な響きが流れるだけなのです。


○1998年10月11日ライヴー1

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

これは魅力的な演奏です。どこか遠い昔を懐かしむような・暖かい情感がそこはかとなく流れてきます。これはもちろんウィーン・フィルの特性が出て来るものでしょう。ブーレーズの明確な指揮をマイルドに受け止めて、自分の音楽にした結果です。逆に言えば、ブーレーズがオケの個性をよく生かし切ったとも言えるでしょう。響きは霞みがかかったようにぼやけ、柔らかく感じられます。旋律線が丸く感じられますが、それも良い。フランスのラヴェルらしい明晰さ・透明さはありませんが、これとは別種の趣がします。それでいて甘ったるくはなく、フォルムがしっかり押さえられているのは、ブーレーズの手腕でしょう。テンポは各曲のバランスがとても良いと思います。特に第3曲・ メヌエットがゆったりとして心現われます。全曲を通して木管が実に美しく、懐かしい。


○1998年10月11日ライヴー2

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ブーレーズの個性とウィーン・フィルの個性がうまく溶け合って、お互いが補い合っている感じで、このコンビはとても相性が良いと感じられます。このバルトークでも、ブーレーズの指揮は相変わらずキチンと整理された明晰なリードであり、テンポは正確に討ってむしろアッサリ気味と云うか淡々とした感じにさえ思いますが、これを冷たいとか無機的な感じにしないところがウィーン・フィルなのです。青白く冷たく光るみたいなバルトークも良いですが、たまにはこういう暖かくほんのり赤く光るバルトークも良いものです。旋律が直線的に歌われず、柔らかい印象になります。間奏曲の優美な表現はさすがにウィーン・フィルですが、ブーレーズに応えて随所にかなかダイナミックな機能性を発揮しており、感嘆させられます。


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