(戻る)

ブーレーズの録音 (1991−1995年)


○1991年3月、1993年3月ー1

ドビュッシー:交響詩「海」

クリーヴランド管弦楽団
(クリーヴランド、独グラモフォン・スタジオ録音)

60年代のCBS録音での乾いた感じのドビュッシーとは大違いの出来で、響きの繊細さと色彩の微妙な移ろいが素晴らしく・香気を感じさせる見事なドビュッシーです。この変化をブーレーズの指揮者としての成熟と見るか・変節と見るかは見方が分かれるところ ですが、演奏自体が素晴らしいのは間違いありません。クリーヴランド管は出来は実に優秀。テンポを早めに取り・曲の展開が流れるようで・眼前に展開する煌めくような色彩の輝きが美しく響きます。


○1991年3月、1993年3月ー2

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

クリーヴランド管弦楽団
(クリーヴランド、独グラモフォン・スタジオ録音)

柔らかく香気溢れる見事なドビュッシーです。テンポはやや早め、過度にロマンティックに甘くなることなく・抑制が効いた爽やかな叙情性を感じさせる演奏です。旋律が淀むことなく・流れるようです。フルート・ソロも見事です。


○1991年3月、1993年3月ー3

ドビュッシー:管弦楽のための映像

クリーヴランド管弦楽団
(クリーヴランド、独グラモフォン・スタジオ録音)

鋭敏なリズム処理が素晴らしく・色彩感もあって、線の強さを持つこの曲ではブーレーズの精緻な指揮が一層映えるようです。イベリア・第1曲・「街路で道で」での鋭いリズム処理と色彩感は特に素晴らしいと思います。早めのテンポでキビキビと曲を進めて・ダイナミックな音絵巻を展開しています。


○1992年

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」(原典版)

シカゴ交響楽団
(シカゴ、オーケストラ・ホール、独グラモフォン録音)

シカゴ響の響きは透明で色彩的で、オケの動きが実に軽やかです。情景が刻々と変化していくさまが、まるで幻燈のように思えます。赤く輝いて見える炎が実は熱くないように・ブーレーズの指揮は冷静です。 ブーレーズは情景描写としての「火の鳥」にあまり興味はないようで・あくまで純器楽としての客観性を保っていますが、見事な演奏です。


○1992年11月・12月

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

シカゴ交響楽団
(シカゴ、オーケストラ・ホール、独グラモフォン録音)

シカゴ響という高性能オケを起用したことで、ブーレーズの分析的で・精緻な表現がより際立っていると思います。終曲のダイナミックな表現・色彩感・リズムの斬れなど、シカゴ響は今更言うまでもなく素晴らしいと思います。しかし、その一方でブーレーズと曲との感性の違いも見えているように思います。ブーレーズの表現はサラリとした冷たい感触で、第1曲(序奏)などに旋律のしなりと言うか・粘りが欠けているように思えます。第3曲(エレジー)はその叙情的な旋律に余韻を込めるでもなく、第4曲(中断された間奏曲)では木管の嘲笑もただの音の遊びに化しているように思えます。旋律に思い入れをいれず・サラリと弾いているのはブーレーズの指示だと思いますが、物足りなく思います。この演奏で取りこぼしたものは結構大きいのではないかという印象です。


○1993年3月

バッハ(ウェーベルン編曲):「音楽の捧げ物」より六声のリチェルカーレ

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ダーレム、イエス・キリスト教会、独グラモフォン・スタジオ録音)

ベルリン・フィルの暗めでぶ厚い響きがこの演奏に重厚な印象を与えていて、安心して聴けます。オケの特性をよく生かしているとも言えるし、あのブーレーズが古典化して安定してしまったとも言えるし、丸くなったなあというのが正直な感想です。


○1993年3月18日ライヴ-1

バルトーク:バレエ音楽「中国の不思議な役人」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

重量感あるベルリン・フィルのアンサンブルとブーレーズの鋭いリズム感覚が組み合わさって面白い演奏になっています。ベルリン・フィルの響きは豊穣で柔らかいので、バルトークの粗野な不協和音が上品に感じられるのがユニークです。もう少し硬質の響きの方がバルトークには似合うでしょうが、これはこれで面白いと思います。


○1993年3月18日ライヴー2

ラヴェル:「鏡」〜「海原の小舟」・「道化師の朝の歌」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ブーレーズはレコーディングでフランス音楽を演奏するのに非フランス系のオケを意図的に起用してユニークな効果を上げていますが、ここでもベルリン・フィルのやや暗めの色彩と重心の低い響きをうまく生かしています。ベルリン・フィルは重量感ある響きですが、その身体の重さを感じさせないリズム感の良さ、音の立ち上がりの斬れの良さには感嘆させられます。「海原の小舟」の波のうねるような情景の描写、「道化師の朝の歌」の鋭敏なリズム処理の巧さ。ちょっとスケールが大き過ぎと言いたくなるほどに、ブーレーズはオケの機能性を十二分に発揮させています。


○1993年3月18日ライヴー3

ラヴェル:スペイン狂詩曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

これは素晴らしい出来です。ベルリン・フィルという最高の素材を使って・ユニークなラヴェルを作り上げています。「夜の前奏曲」ではベルリン・フィルの暗めの響きが生きています。「ハバネラ・「祭り」ではベルリン・フィルもリズムの立ち上がりが鋭く、ブーレーズの鋭敏なリズム処理が光ります。


○1993年3月18日ライヴー4

ラヴェル:ボレロ

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

まさにベルリン・フィルの名人芸の連続です。低音の効いた重量級のオケの動きがクライマックスに向かって爆発するという感じです。ブーレーズだけにそのテンポ感覚は抜群です。


○1993年3月24日ライヴ−1

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

冒頭のフルート・ソロが、官能的に聴かせます。濃厚なけだるいムードがよく出ています。ブーレーズは、ベルリン・フィルの暗めで重心の低い響きを良く生かして、ふっくらとした感触の音画を描きあげました。もちろん響きはフランス的なサラりとした透明感との別種の趣がありますが、むしろブーレーズにしては意外なことに、しっとりとしてムーディな印象に仕上がっています。


○1993年3月24日ライヴ−2

ラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロア」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ベルリン・フィルの暗い目の響きを生かしたラヴェルで、もちろんオケの技巧は素晴らしいのですが、若干物足りない点があるとすれば、生真面目な印象で、ユーモアとエスプリに乏しいところです。オケのリズム感がやや重めなのと、線が太く感じられるので、そうした印象を与えるのかも知れませんが、このような曲ではもう少し軽いタッチが求められると思います。


○1993年3月24日ライヴ−3

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

線が太く、油絵具で塗りつびしたような重い表現。こうした曲ではもう少し軽いタッチで、リズムが斬れないと、冴えた表情が生まれてこないようです。表情がどこか生真面目で、エスプリに乏しいと感じられます。第1曲・前奏曲ではそうした不満がかなりあります。テンポが遅い第2曲・フォルナールでは、濃厚な味わいながら、良い出来です。第4曲・リゴドンはやや機能的な印象が強い感じがします。


○1993年3月24日ライヴ−4

ラヴェル:ラ・ヴァルス

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

どこか重く鈍重な印象で、象の舞踏会とでも言いたくなるような重い表現です。レースが風にそよぐようなタッチをベルリンフィルに求める気はないですが、油絵具で塗り潰したようで、響きが暗く透明感に乏しく、光の煌めきと香気を感じさせない。かなり期待外れの出来です。冒頭からちょっと違う感じがしますが、ワルツに入ってもリズムが乗らず、旋律が歌いません。全体的に、オケが生真面目すぎるのか、表現に遊びがなく、どこか不器用な歌い回しです。終盤はベルリン・フィルの重量感が凄いですが、曲の求めるものとはかなり違う感じです。


○1993年3月24日ライヴ−5

ストラヴィンスキー:幻想的スケルツオ

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

早いパッセージが連続するオケの超絶技巧が求められますが、弦セクションのリズムが重くて、音楽がもたれるところまでは行っていないが、さずがのベルリン・フィルも難儀していような印象です。曲の軽みがまったく生かされず、オケが図体の重さをコントロールできていないようです。オケの色調が暗いのも、曲には合っていないようです。


○1994年5月8日ライヴ

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ウィーン・フィルの出来は素晴らしく、マーラーの聖と俗が整理されてすっきちまとめられて、仕上がりは滑らかで、その意味では実に聞きやすい演奏だと思いますが、全体的な感触は冷ややかに感じられ、サラサラと耳に心地よい音響が流れていく感じで、身もだえするように狂おしい引き裂かれた感情は感じられません。どこまでのスコアを客観的に音化する態度に徹しており、この点がブーレーズらしいところですが、やはりマーラーはそこから突き抜けたところで見たものを描かないと、どうしようもないと思います。蒸留されたマーラーを聴くような味気無さです。第1楽章はちょっと遅めで、重量感あるウィーン・フィルの動きがダイナミックな音絵巻を聴かせますが、不満が残るのは第3・4楽章で、テンポ早めで味付けはあっさり気味、聴いていて音楽が耳の上をサラサラ流れていく印象です。


○1994年8月27日ライヴー1

ドビュッシー:歌曲集「ボードレールの五つの詩」〜第3曲「噴水」

フェリシティ・ロット(ソプラノ独唱)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

ロットのソプラノ独唱はやや大柄で、声に透明感が欲しいのと・ピアニッシモの繊細な表現において物足りなさを感じます。ウィーン・フィルの弦は柔らかく透明で実に雰囲気のある見事な伴奏です。


○1994年8月27日ライヴ-2

ドビュシー:牧神の午後への前奏曲

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

70年代のブーレーズの・レントゲン写真を見るような分析的で・悪く言うと香気の乏しいドビュッシーではなく、ここでのブーレーズはウィーン・フィルの個性を生かして、柔らかく雰囲気のある 、実に美しい演奏です。ウィーン・フィルの弦は滑らかで・フルートソロも美しく、古典的な趣を感じさせます。ブーレーズの線を明確にする行き方に、ウィーン・フィルの個性がこれを中和する方向でよい方に作用しているように思われます。


○1994年9月15日ライヴー1

ドビュッシー:夜想曲

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン放送合唱団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ベルリン・フィルの音色は暗めで、ややリズムは重いと思います。ブーレーズの指揮は以前ほど分析的で冷たくはないにせよ、ブーレーズの描き出くドビュッシーは旋律の絡み合いのなかに 明晰な世界を見出そうとするものであるように思います。響きがぶ厚く重いベルリン・フィルとの組み合わせが、必ずしも成功していると言え ません。どうもイメージが喚起されないところがあります。それでも「雲」でのベルリン・フィルの微妙なニュアンス、ややテンポを遅めにとって重量感のある「祭り」などは興味深く聴きました。 リズムは重めで線は太いですが、ここではベルリン・フィルの低弦が効いて迫力があります。「シレーヌ」でのベルリン放送の女性合唱 はもう少し響きへの配慮が欲しいところです。


○1994年9月15日ライヴー2

ドビュッシー:交響詩「海」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

同日の「夜想曲」と同じことが言えますが、ベルリン・フィルの暗めの響きとやや重めのリズムはドビュッシーの音楽には不向きということもないのですが、ブーレーズの行き方に必ずしもマッチしていな い印象を受けます。響きの色合いの変化への配慮があまりなく、リズム処理にばかり気が行っているようで、オケはもちろん精緻な出来ですが、音符の律動を聴くようで醒めた印象がします。カラヤンやアバドのようにもう少し主旋律を浮き上がらせる行き方の方が、ベルリン・フィルのキャンバスには合うように思います。響きの透明感が不足するので、色彩の混ざり具合の面白さが出て来ません。べルリン・フィルは第3部「風と波の対話」で旋律を息長くとって独特の粘りを見せますが、こういうところを生かせばいいのにと思います。細部には興味深いところがあるのですが、表現に奥行きがなく全体に平板に聴こえるところなしとしません。


○1994年9月25日ライヴ

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

ブーレースも20年ほど前の無機的と言えるほどに分析的に音符のひとつひとつを吟味していくという感じから大きく変わったようです。まず響きが丸く柔らか味を帯びるようになって来たことです。この演奏でもベルリン・フィルの機能性は抜群ですからその点は問題ないですが、響きが固まりになって聴き手にぶつかってくるような重さがあるのが興味深いと思いました。それはリズムが鈍いということではなくて、音響の持つ重みがベルリン・フィルの場合独特なのです。ブーレーズとベルリン・フィルの出会いが面白い演奏を生み出しました。第1部「大地の踊り」、第2部「選ばれた乙女への賛美」などの激しく足踏み鳴らすようなリズムの怒涛の迫力には恐れ入ります。鋭敏な感覚で描いた「祭典」とは違って、極太の筆で一気に描いた「祭典」と言ったところです。第1部冒頭のフルートの出だしはどこか落ちついた練れた雰囲気があるのも、この曲が完全に古典になったということでしょうか。


○1994年11月

マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

クリーヴランド管弦楽団
(クリーヴランド、メイソニック・オーディトリアム、独グラモフォン・スタジオ録音)

複雑怪奇な構成の、この交響曲をよく整理して・スッキリと聴き易くまとめています。その意味では見事に交通整理された演奏です。オケの響きも実に流麗で美しく磨き上げられています。しかし、これほどスッキリと演奏されると、その口当たりの良さに問題意識の希薄さを感じざるを得ません。この演奏からはマーラーの精神の軋み、聖と俗との葛藤はあまり感じられません。第3楽章の舞曲的リズムも奇怪な悪魔的様相を呈さず、音楽的にまとまりが付き過ぎのように思えます。両端楽章もオケはよく鳴っており・その色彩的でダイナミックな音絵巻には圧倒されますが、展開する風景がサラサラと通り過ぎていくだけでメッセージが聴き手に突き刺さってこない感じです。その意味では客観的で醒めた演奏なのです。


○1995年5月19日ライヴ

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ロンドン交響楽団
(東京、サントリー・ホール、ピエール・ブーレーズ・フェスティヴァル)

テンポを速めに取って、サラリと描き上げた印象です。響きに透明感があって・旋律を直線的に歌って余計なイメージを付け加えることをしていません。フランス的な香気はなく 、そのためアッサリした感じは確かにしますが、それは情感がなくて素っ気無いということでは決してありません。透明で重ったるいとことがない造型は、ギリシア的な明晰さと均整美を感じさせます。ロンドン響きはブーレーズの棒によく反応し、指揮者とオケの個性がぴったりマッチした名演だと思います。


○1995年5月22日ライヴ

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

ロンドン交響楽団
(東京、サントリー・ホール、ピエール・ブーレーズ・フェスティヴァル)

ロンドン響の弦は柔らかく・やや暗めの音色で、ちょっと面白いラヴェルに仕上がりました。フランス的な透明感ある明晰なラヴェルというよりも、陰影の付いたクープランへのオマージュと言ったほうがふさわしいようです。あたかもセピア色の写真を見ているように感じられました。全体に早めのテンポを取っていますが、そのなかでも第2曲「フォルラーヌ」と第3曲「メヌエット」の出来が素晴らしいと思いました。特にメヌエットは木管が大変に美しく、暗めの弦との絡み合いが見事で、遠い懐かしい出来事を思いやるような気持ちにさせられます。これで第1曲がもうちょっとテンポ遅くして、メルヒェン的な柔らかさが出れば文句ないところですが。


○1995月5月26日ライヴ−1

ドビュッシー:交響詩「海」

ロンドン交響楽団
(東京、サントリー・ホール、ピエール・ブーレーズ・フェスティヴァル)

ロンドン響の響きに透明感と軽さがあり・それが実に魅力的です。旋律が直線的に提示され・その味わいは淡白ではありますが、全体の設計がすみずみまで見通せるような明晰さにあふれています。写実的・描写的な印象より、むしろ絵画的なイメージを聴き手に与えます。その淡白な味わいがドビュッシーが北斎の浮世絵からこの曲のインスピレーションを得たというエピソードを想い起こさせるのです。全体を通して素晴らしい出来ですが、「海の夜明けから真昼まで」の海の情景の移り変わりが透明な色彩感覚にあふれていること、「風と海との対話」での盛り上げの巧さなど実に見事です。ロンドン響はブーレースの要求に見事に応えて・リズムの立ち上がりの鋭い・実に精緻な演奏を繰り広げています。


○1995年5月26日ライヴー2

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

ロンドン交響楽団
(東京、サントリー・ホール、ピエール・ブーレーズ・フェスティヴァル)

今回日本で行われたブーレーズ・フェスティヴァルの一連の演奏のなかでも傑出したものというばかりでなく、これまで聴いた「春の祭典」のなかでもその鮮烈さで 特筆すべきものだと感じま した。最近はどちらかと言えば古典的な印象に仕上がることが多くなってきた「春の祭典」が本来持っていたところの革新性・先進性を改めて感じさせます。それにしても一連の演奏会を聴いてもブーレースとロンドン響は相性では最も良い組み合わせのように思われま した。ブーレーズの棒に鋭い音の立ち上がりで反応しますし、そのリズム感の斬れが抜群です。響きに余計な重々しさがなく・透明感があることも、ブーレーズの意図を汲むうえで重要なことのように思われます。フォルテッシモでも響きが濁らず 、独特の軽さを持っています。そのため音楽の持つ鋭敏な感覚が直接的に伝わってくるようです。例えば第2部での「選ばれた処女への賛美」・「神聖な踊りと選ばれた乙女」における精緻な感覚が決して粗野で原始的なリズムだけで成り立っているわけではないことを・この演奏は明らかにしてくれます。


○1995年5月26日ライヴー3

ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」

ロンドン交響楽団
(東京、サントリー・ホール、ピエール・ブーレーズ・フェスティヴァル)

ロンドン響きはブーレーズの意図に何も付け加えず、何も引かず、素直に音化している感じで、ラヴェルの明晰なメルヒェンの世界を見事に描きだしています。第1曲「眠りの森の美女のパヴァーヌ」はリズム感が良く、その透明な響きが実に魅力的です。「パゴダの女王レドロネット」の中国ムードをむしろあっさり処理しているのも良し。ロンドン響の響きは明るく透明で爽やかですが、ブーレーズはテンポに余裕を持たせて 、旋律を十分に歌わせていて、終曲「妖精の園」にはロマンティックな雰囲気が素晴らしいと思います。


○1995年12月

マーラー:交響曲第9番

シカゴ交響楽団
(シカゴ、メディナー・テンプル、独グラモフォン・スタジオ録音)

第1〜2楽章は遅めのテンポ。第1楽章は旋律をゆっくりと漂わせるように、滑らかに弦を響かせて、ロマンティックな表現であると思います。この第1楽章は響きに頼り過ぎで、曲本来でない感傷的な要素をブーレーズが付け加えているようで、疑問を覚えます。ブーレーズのことですからしっかり交通整理はされていて、曲の見通しは良いのですが、第2楽章にしても、ブーレーズの表現はロマンティックに感じられて、拍子抜けするほど先鋭的前衛的でありません。しかし、決して甘ったるくならないのは、シカゴ響の透明で涼しい響きに拠るところが大きいようで、これがウィーン・フィルを起用していいれば印象は違っていたのではないかと思います。第3〜4楽章になるとややテンポは速めになって旋律が閉まってきます。第4楽章はスッキリとした表現で、美しいけれどものめり込むことがない冷静さも備えているようです。それにしても、この曲にはもう少し苦渋や呻きがあると思うのだけれど、ブーレーズの演奏はスッキリ整理された感じなのは、ブーレーズに根本的に曲に対する共感が根本的にないのだろうと思わざるを得ません。


(戻る)