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バーンスタインの録音(1966年−1970年)


○1966年4月

マーラー:交響曲「大地の歌」

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン独唱)
ジェームス・キング(テノール独唱)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ソフィエンザール、英デッカ・スタジオ録音)

男声二人の構成は一見地味ですが、二人の独唱はいずれも素晴らしいものです。キングの繊細な歌唱は「青春について」・「美について」でその個性が生きていますが、「大地の哀愁を詠う酒の歌」はやや表面的に流れて弱い感じがします。F=ディ―スカウに関しては、言葉を大切にした説得ある歌唱がさすかと云うべきです。バーンスタインの指揮はテンポを速めに取って、サラサラと軽快に流していきますが、リズムの彫りが浅い感じで、ウィーン・フィルに共感が足りないかなと云う印象があります。時に強く鋭いアクセントがハッとさせるところが確かにありますが、全体としては強く生々しいインパクトを感じさせてくれません。


○1966年10月4日、22日

マーラー:交響曲第1番「巨人」

ニューヨーク・フィルハーモニック
(ニューヨーク、フィルハーモニック・ホール、米CBS・スタジオ録音)

いかにも若々しいバーンスタインの演奏です。テンポを早めにとってサラリとした感触で、第3楽章や第4楽章の中間部の旋律の歌い上げにもうちょっと粘りと繊細さが欲しい気もしますが、全体が清新の息吹きに溢れているので 、さほど不満を感じることもありません。第1楽章展開部のピチピチと張りのある表現、第4楽章においてクライマックスに向けて一気に駆け上がるオケの動きの若々しさが魅力的で、深みはそれと引き換えみたいなところがあります。今聴きますと 、この時期のバーンスタインのマーラーはあまりテンポを動かさず、ストレートな表現という感じがしますが、マーラー・ルネッサンスのこの時期のバーンスタインの役割を改めて感じます。第1楽章冒頭部も深い森の湿った雰囲気を感じさせず 、さわやかな朝日が差してくるような感じなのは、バーンスタインの健康さを示しているのかも知れません。第2楽章なども暗いグロテスクな印象より、リズムの面白さが際立つようです。


〇1967年10月17日・1969年2月18

マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」

クリスタ・ルートヴィッヒ(メゾソプラノ)、ワルター・ベリー(バリトン)、
ニューヨーク・フィルハーモニック
(ニューヨーク、フィルハーモニック・ホール、米CBS・スタジオ録音)

ルートヴィッヒとベリーの歌唱は表現が太い感じだが、素朴と云うのともちょっと違う感じです。元気が良いのは良いことだが、もう少し繊細さが欲しい気がします。原因のひとつはバーンスタインの伴奏が早めのインテンポで、あまり緩急がなく、歌の情感を捉えていないせいではないかと思われます。歌手のことは置いてサッサと先へ進んでいく感じがします。マーラーの曲が持つ皮肉な乾いた笑いをバーンスタインはあまり理解できてないのではないかと云う気がします。


 ○1970年7月9日ライヴ

マーラー:交響曲第2番「復活」

ローナ・ヘイウッド(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィッヒ(アルト)
クリーヴランド管弦楽団・合唱団
(クリーヴランド、セヴェランス・ホール)

第1楽章前半はテンポ速めで・インテンポで淡々としており・響きもスッキリと整理された感じで、バーンスタインらしくなく・冷静にコントロールされているような感じがします。セル存命中の演奏でもあり・どこか背後にセルの眼が感じられるようでもあります。それだけオケの個性が強いということかと思います。きっちりと定規で線を引くかのような造形、難しいパッセージでも涼しい顔で弾きこなす・オケの技術は高いものがあります。ただし全体的にはキチンとした印象が強いですが、細部を聴くとかなりテンポが揺れており・つまりバーンスタインとしてはオケを強引に引っ張りに行っているということかと思いますが、これが音楽に不安定な感じを与えて・表現の説得力が弱いと思います。一方、第2楽章はテンポが遅く思い感じで、この中間楽章の意味が生きてこない感じです。バーンスタインらしい熱さが出てくるのは第3楽章以降ですが、最終楽章は力がこもった熱演ですが・若干粗い出来だと思います。


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