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アバドの録音 (1989年)


○1989年5月7日ライヴー1

シェーンベルク:ワルシャワの生き残り

ゴットフリート・ホーネック(語り)
ウィーン国立歌劇場合唱団男性合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

ドイツ・レクイエムの前に、こういうメッセージ性の強い曲をもってくるのは、ずいぶん辛口のプログラミングだと思いますが、そこにアバドの強い意志があるのでしょう。ホーネックの語りは英語ですが、テンポに緩急を付けた、とてもドラマティックな語りで、音楽は従にならざるを得ない感じです。


○1989年5月7日ライヴ-2

ブラームス:ドイツ・レクイエム

カリタ・マッティラ(ソプラノ独唱)、ロバート・ホル(バリトン独唱)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)

アバドにしては、様相がいつもとちょっと異なる演奏のように感じます。メッセージ性の強いシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」の後に演奏されたドイツ・レクリエムは、人類の贖罪を求めるのか、救いか祈りを求めるのかという意味もアバドには当然問われるでしょう。録音のせいかも知れませんが、合唱がかなり前面に出てくる印象で、オケが引っ込み気味に聞こえて、やや聴き辛い感じです。そのせいか慰めや祈りと云うような抒情的要素がやや遠のいて聴こえます。例えば第1曲冒頭の合唱の弱音も響きに傾注する感じではないようです。全体のテンポも淡々と進む感じで何か抑えたようなところがあり、アバドに憤りというか、そんな不安的な感情が何かあるのだろうかということを思ってしまいます。


○1989年8月5日ライヴ−1

マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」

ジェシー:ノーマン(アルト)
トマス・ハンプソン(バリトン)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

一貫して早いテンポであり、透明な叙情が全体を支配しています。その一方で、この歌曲集の根底にある中世の民衆の生活の暗く陰惨な部分はメルヒェン的なオブラートで包み隠されて・耳障りが良くなってしまいました。例えば「死んだ鼓手」でのハンプソンはうまいですが、戦争の惨過と呪詛の声は消し飛んでいるようです。「魚に説教する聖アントニウス」もどこかに皮肉な味わいが欲しいところです。ノーマンも声は豊かで巧いのですが、柄が大きい歌唱で、マーラーの民謡的な旋律では素朴さに欠けるのは否めないところです。「ラインの伝説」などもちょっと色気あり過ぎかも知れません。「トランペットが美しく鳴り響く所」はノーマンが歌っていますが、ちょっと歌いすぎる感じで・ピア二シモの表現が不足で・死と静寂が十分でないような気がします。ウィーン・フィルの響きもちょっとマイルド過ぎる感じで、アバドの指揮も震えるような鋭さとグロテスクさの表現がいまひとつであると思います。


○1989年8月5日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)

86年のライヴでは第1楽章はリズムが重く暗い雰囲気でしたが、ここではテンポが若干早くなっていることと、リズムの刻みがしっかりしたことで、旋律の彫りが深くなったという印象があります。決して明るくはないですが、落ち着いた趣に仕上がっています。素晴らしいのは第2楽章です。早めのテンポですが、音楽がサラサラ流れるのではなく、しっとりと情感豊かな表現になっており・心惹かれます。第5楽章も良い出来です。自然への感謝、神への賛美をさりげなく・しかし伸び伸びと歌い上げています。アバドの指揮はウィーン・フィルを自在に歌わせながら、要所をしっかりと締めて見事なものです。ウィーン・フィルの豊かな弦の響きが素晴らしく、89年のまだ手探り状態的な演奏とは見違えるような演奏で・誰をも納得させられる正統的なベートーヴェンです。


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